2013年4月10日水曜日

整理ができない人はなにもできない

ものを片付けるという行為は非常に需要です。病気の中には、ものが片付けられないという症状があるとは聞いています。ものを片付けることで、全体を見渡すことができ、また、整理することで、段取りがうまくなります。段取りベタは何をやってもダメです。

物事を整理して考えることは非常に重要です。感情だけで走るのは、時としてはいいこともありますが、概ね良い結果は生み出しません。

整理整頓の癖は、考えをまとめる時にも役に立ちます。物事考えるときも、整理して、いろいろな側面を組み立てて考えることができるようになります。

机の上がきたない営業担当者は成績が上がらないと聞いたことがあります。整理整頓はすべての基礎となることです。片付けを馬鹿にしてはいけません。

散らかっている方が仕事をした気分いなるという言い訳をすることがありますが、あくまでも自己満足でしょうからね。綺麗な方が運気も上がります。観音様はきたない場所にはお立ち寄りなさらないというそうですよ...

2013年4月3日水曜日

競争社会を生き抜くには...

アベノミクス、ようは、円安にして株価を上げ、物価を上げて法人税収を改善し、公共事業を拡大し、規制緩和で企業の競争力を促進することが目的のようです。競争社会を作ることです。

競争社会は、今の日本人には不慣れな世界で、多くは振り落とされると思われます。自分というものをしっかりと持つことが重要です。

人と同じでは、誰も選んではくれません。人と違う事が望まれます。自分にしかできないことは何か、何が秀でているかを自己アピールする必要があります。本当に日本人には苦手な分野です。

TPP参加に伴い、労働力が流動化します。海外から賃金の安い労働力が入ってきます。つまり、単純労働は、取って代わられます。また、コンピューターのほうが効率的ですから、作業の速さや正確さだけでは、差別化は厳しいです。

いかに自分に付加価値がつけられるかです。コンピューターにもできない、人にとって代われないものが必要です。それは何か、それを模索することができた人だけが生き残れる世界になってきます。

自分との対話が必要です。自分はなにものなのか、必死で探ることです。

いやはや生きづらい世の中になりそうですね...

2013年4月2日火曜日

ケ・セラ・セラ

ケ・セラ・セラ、なるようになるさと、ある意味開き直りの心境って、ふっと肩の力が抜けて、良い結果を生むことがあります。火事場のくそ力と言うのがありますが、これも開き直りの心理から、力が抜けた時に沸いて出てくるモノなのでしょう。

どうしようもなく切羽詰った時、もう開き直るしかないと思う時、ケ・セラ・セラとなれればいいですよね。余裕があるわけではないですが、いい意味での開き直りは、気を楽にしてくれます。でも所詮開き直りは開き直りですけどね。

つらい時はつらいと言おう。泣きたい時は、我慢しなくて泣いた方が楽になります。我慢は一番いけません。

いざと言う時、ここぞという時、力を抜く意味で、ケ・セラ・セラと歌ってみるのもいいのかもしれません。無駄な力は抜きましょう...

2012年11月5日月曜日

わからないことが不安の正体です...

 不安は、未来がわからないということから生まれます。一方で、未来は不透明なものです。未来が不透明である以上、不安は取り除くことはできません。これ から何が起きるか、確定していれば、今からその準備を行えばよいのですから、不安は生まれません。今何をしなければならないかも、具体的に理解できます。

 人生一寸先は闇なんて言葉があるくらい、将来のことはわからないもので、何一つ確定されているものはありません。でも、だからこそ人生は楽しいなんてセリフもあります。なるようになれに境地に至れば、先行き不透明も楽しめるのでしょう。まさにケセラセラですね。

 でも、なかなか、このケセラセラの境地には至れないのも人間です。人は、常に不安と向き合って生きていくものなのなのもしれませんね。

 ライフプランなんて言葉がありますが、結局は、何もできないものなのでしょう。

  でも、人間に与えられたものに知恵があります。また、想像力と言うものも人間の特権です。動物には本能と言うのもがあり、それで危険を察知して回避行動を とります。しかし、この本能による行動は、直近の出来事に対するもので、遠い未来に対してのものではありません。時間軸を長くのばしてたいおうする、想像 力による行動は、人間にしかできません。

 これから起こりうることに対して、長期ビジョンで対処することが、「準備」なのでしょう。今できることを精いっぱいしておくことで、不安は解消されなくても和らげることはできます。

 サッカー日本代表の本田圭佑は、常に「準備」と言う言葉を使います。勝負の勝ち負けは時の運かもしれませんが、準備をした者が勝つ確率は断然に高まります。ライフプランとは、結局はそういうものなのでしょうね。

 不安を取り除くには、今やれることをどれだけやっているかです。どれだけ未来に備えているのかが、不透明である未来を恐れないようになることになります。準備ですね。

2012年10月22日月曜日

夢をあきらめたら負け

家計における収支は、支出が減らない状況下で、収入が増えないというジレンマが、大きなフラストレーションとなっているのでしょう。

 バブルという、ある意味、贅沢を覚えた環境で、なかなか支出は減らない感じです。100円ショップ、ネットオークション、コストコ、フリーマーケットと、確かに、物欲を満たすのに大きな費用は掛からない選択肢は増えました。

 それでも、満足感と言う、心の欲求は、どこかで浪費が伴うことがあります。ぜいたく品を買うという衝動は、どこかににあるのでしょう。いまや日本全体が、フラストレーションに凝り固まっているのかもしれませんね。

  生活のサイズが小さくなると、当然経済も縮小します。政府や中央銀行による株価対策を行っても、消費者マインドが冷えていれば、景気は良くなりません。 もっとも、消費マインドが冷えているというよりも、縮小しているというのが正しいのかもしれません。デフレの恐ろしさは、モノの値段の下落にありますか ら、それに満足しなくても、そのサイズに生活や収入が合わそうとする動きは、なかなか止められないのでしょう。

 収入に対するどん欲さ は、「欲」ではないにせよ、「夢」のダウンサイジングを生みます。あきらめではなく、手に届く大きさを求めるようになってしまうのでしょう。そもそも、実 力以上のものを夢見ることがわからないというのは恐ろしいことです。それは発展や成長がないということになってしまいます。

 こんな世の中に誰がしたという感じです。これが格差なのでしょう。格差の始まりは、夢をあきらめるのかどうかにかかっているのでしょう。

 ソフトバンクの孫正義氏も、決して財閥ではなく、自ら成功を切り開いたのだと思われますが(実際はいろいろあるのでしょうが一応、表面的では)、海外へのM&Aを仕掛けるスケールの大きさとは対照的な世界も、これもまた現実なのでしょう。

 着実に、格差は広がっています。

 そんな中での、花巻東高校160キロ右腕の大谷翔平投手のメジャー挑戦は、拍手を送りたいです。

 私たちが夢を持つためにはどうしたらよいのでしょうか。日本人が自信をなくしているのでしょうかね。今必要なのは自信を取り戻すことなのかもしれませんね。

2012年10月21日日曜日

行動の動機づけ

夢は叶う、よく聞く言葉です。それは強く願いを心に刻む、その実現を心から願うことです。そこから行動が生まれるということなのでしょう。つまり、行動の動機づけが必要で、その動機付けが強ければ強いほど、実現の可能性が高いということなのでしょう。

 願いはかなうは、スピリチュアルな話ではなく、たとえば、願えば天から何かが降ってくるというたぐいの話ではありません。願いは、あくまでも、行動することから実現するのですね。やはり、願いをかなえるのには、自分自身の行動が重要なのです。

  思いが強ければ、きっと情報を集める能力も高まります。興味を持てば自然と仲間が集まる感じです。強く願うことで、今まで見落としていたことが、ヒントに 思えてくるときがあるのでしょう。思い一つで、行動は違ってきて、行動が違えば、集まる情報も仲間も違ってくるのです。

 ではファイナン スはどうでしょう。お金がなくては何もできないですが、今お金がないからとあきらめる夢は、所詮それだけのもので、そんな夢は、資金があっても実現しない でしょうし、実現しても心は満足しないのかもしれません。今のサイズに合ったものを願うのは夢ではありません。今のサイズのさらに先を追いかける。自分よ りも高みにあるものを望む、それが夢なのでしょう。

 それがあまりにもかけ離れていると、それは空想になるのでしょうが、その空想と現実 をいかに埋めるかが努力であり、それが人生設計であり、そのギャップを埋めるタイムスケジュールがライフプランなのでしょう。ライフプランは、夢実現のた めにスケジュールなのかもしれませんね。

 強く願うことが、本当に実現したいという思いが行動を変える。そういう意味では、願いはかなうという言葉に、スピリチュアル的な要素があるのかもしれません。

 スピリチュアルで言うなら、その願いが世の中に役に立つことであれば、神様が後押しして下さるのでしょう。個人的欲望だけでは、手助けはしてくれないということですかね。

 社会に貢献した結果、その大法は払われる、つまり、巡り巡って自分に帰ってくるというものでしょう。話が、かなり哲学や宗教にかかってきましたが、行動の動機づけは重要です。深い話ですね...

2012年9月11日火曜日

「無」について

 「無心」「無我夢中」、つまり「ゼロ」ということが「無」ということですね。

 しかし、単なる「ゼロ」ではなく、まったく空っぽの状態が、本当の「無」なのでしょう。「無欲」は、少しでも欲があってはいけません。まさに欲という概念が空っぽでなければなりません。

 まったくの「ゼロ」の状態にするなら、少しでも残っているものを吐き出す必要があります。お腹の中から、体の中からすべてを吐き出すことで、空っぽの状態が作れます。体内のものをすべて出すことで、浄化が起こります。「無」となることは、すべてを吐き出す「浄化」をともなって、はじめて空っぽの「無」となります。

 なんか哲学的な話ですが、「無」からすべてが生まれるので、先ずは「無」になることが重要です。

 浄化を伴う「無」であれば、良質のものが入ってきます。

 「無」を扱う言葉なり表現は、たくさんあります。「ゼロからの出発」もそうですね。「大きくジャンプするには深くしゃがむこと」も、一旦は「無」になることの重要性をうったえていますね。

 意識して「無」となること、そのためにはすべてを吐き出すことです、まさに「無防備」となるので、安心、安全なところでないとできないですね。

 環境を整える、安心な心休まる状況を作る、これも、「無」から生まれる良産物ですね。

 「無」は、心穏やかに、リラックスした環境を整え、すべての邪念を吐き出し、完全に空っぽにして、初めて生まれるもので、そこから先は、より良質なものが流れてきて、より高く飛躍できるということなのでしょう。

 つまり、「無」はすべての始まりなのですね。