2011年12月7日水曜日

クレームアドバイザーの話、面白方ですね

苦情・クレーム対応アドバイザーという人がいます。関根真一氏、西武百貨店でお客様対応室にて、長年、お客様対応をされてこられた方です。近著に「苦情・クレーム処理は楽しい!」があります。  その方がラジオ番組で、世の中はクレームを言わない人はいないという話をされていて、モンスターペアレントの話に振れていました。私たちは、話を聞くだけでも、モンスターペアレントに対して腹立たしさを覚えますが、関根さんの意見は多少違います。関根氏の話では、世の中の流れを学校の先生だけが知らないのだとのことです。  先生は、学校を卒業してから常に子供にむけて上から目線で接してきました。保護者はクレームを言うものと理解していても、プライドが邪魔をすると、保護者に対しても上から目線で接することで、もめごとが大きくなるというのだそうです。それは、クレーム処理をずっとしてきた関根氏ならではの分析です。時代の流れに職員室の世界はついてきていないというのだそうです。  物事の見方にはいろんな方向があります。一方向でとらえてはいけないということですね。

2011年12月5日月曜日

背中が語る

安岡正篤先生の言葉です。  人を観るときは、前より後から観るのがよい。前はつくろえるが後はごまかせないからだ。後姿の淋しいというのは何よりもよくない。逆だと人間が出来たのだ。  具の根も出ない言葉です、背中が語るとは、こういうことですね。この言葉に何の解説もいりませんね。  安岡正篤先生は陽明学の第一人者で、歴代総理(佐藤栄作、中曽根康弘氏ほか)の指南役でもあり、「平成」という年号を考えた人でもあります。奥深いです。いま、安岡正篤先生の本を読みはじめました。勉強になりますね。

2011年11月30日水曜日

来年は変化の年だそうです

2011年はいろいろ波乱の年でした。今年は、いろいろ、潜んでいた問題点が表に出る年だそうです。マイナスの部分がすべて表に出る年、デトックスでしょうかね。  東日本大震災もそうでしょうか。とにかく内在している悪いことがすべて表面化する年だそうです。  来年は、新しいものが生まれる年だそうです。大きく変化をする年だそうです。大きく変わります。今年あまり良いことが無かった人、来年はよくなるそうですよ。  何事も大きく羽ばたくときは、深くしゃがまなければなりません。何事も前向きにとらえることです。

2011年11月24日木曜日

立川談志師匠がなくなりました

立川談志師匠がこの世をなくなりました。天才肌といわれ、異端児といわれた巨星が堕ちたようです。  テレビで故人を想い忍ぶ中に  「過ぎたる謙虚は傲慢だ」 と言われたそうです。日本人は謙虚は美徳という風潮がありますが、このセリフは実に奥深く、うんちくがあるような気がします。  「天狗になっている人には勢いがある」 これも談志師匠のセリフです。談志さん特有の逆説でしょうか。逆説は、実はストレートに相手に響きますね。

2011年11月23日水曜日

お金とスピリチュアルと幸せ

お金は大事です。お金がないと心がふさぎます。余裕が持てません。スピリチュアルどっぷりの人は、お金に対する感情を重視しませんが、お金がなければ何もできないのも事実です。将来、通貨というものはなくなると、宇宙規模の話の中で理論を展開する人がいますが、そんなことはあり得ません。お金は重要です。  でも、お金に振り回されたくはないですよね。お金の余裕があって、はじめて精神論なのかもしれません。精神論だけで生きていけるのであれば、それはある意味、解脱しているのか、寄付で成り立っているのか、あるいは現実逃避なのかなのでしょう。でも、お金に振り回されないようにするために心を鍛えることは重要ですね。  お金の世界とスピリチュアルの世界は両立しないのかもしれませんが、それでも、どちらも大事です。  ここずっと、お金とスピリチュアルの世界を書いていますが、金儲けのために精神を鍛えるということはありません。お金を稼ぐのと精神を鍛えるのは別の次元で、目的も違います。幸せになるという目的なら同じでしょうが、お金がなくて幸せになることは厳しいですし、お金があっても幸せではありません。  お金は重要です。心も重要です。まだまだ修行半ばですね。FPとして、お金の現実ど真ん中の仕事と、かたや鎌倉でスピリチュアルを勉強していますが、まだまだ、道は遠いです。

2011年11月22日火曜日

運気を上げるためにスピリチュアルや風水があるわけではありません

金運ってなんでしょうか。壺を買ったり頻繁に神社詣でをすることでお金が増える、お金が手に入るわけではありません。  恋愛運、金運、仕事運を得るためのスピリチュアルというか、風水というか、そういったものはありません。自らの「気」をただすことのために風水があり、スピリチュアル的なアドバイスがあります。きれいな体に「運」は宿るという考え方です。金運を上げるために体をきれいにするというのは本末転倒です。  体をきれいにするということは、「気」をきれいにするということです。「気」をきれいにするということは、チャクラと呼ばれるところを整えることです。そうすることで、自然と良い空気が、良い流れが宿ってきます。それが「運」がついたということになります。  自己投資は、自らの「気」を整えることに必要で、金運を上げるということにかけることではありません。それは、自らを高めるところに必用です。

2011年11月21日月曜日

お金の欲求と精神世界は別

スピリチュアルとお金の世界は別です。金運アップとか、お金持ちになるとかありますが、必ずお金持ちになるわけではありません。そもそも欲と精神の世界は相反するものだと考えます。  そもそもお金は清いものだといわれています。「金」は光り輝くもので、むかしから聖なるものの象徴でもあります。お金に汚れがついてくるのは、人間の欲がまとわりつくからです。  精神を鍛える、こころを清らかにすることは、自然と、聖なる「金」が集まる心を養うことなのでしょう。そして、その心がお金を呼ぶのだと考えます。お金がありすぎると不幸になると言われたりもしますが、それは、お金の魔力に振り回されているのでしょう。その魔力に打ち勝つ清い心が、お金を持つ人には必要だということになるのでしょう。それがスピリチュアルの世界の考え方です。  「西に黄色」とか、「金運神社参拝」などがありますが、それだけでお金持ちになるのなら苦労はしませんよね。しかし、世の中で成功している実業家の方々や多くの社長さんたちは、どこかで、このスピリチュアルの世界とかかわっています。お金を稼ぐのは実社会、つまり人の技量であり手腕で行います。ただ、お金が稼げることへの感謝の心で精神世界と向き合っているのでしょう。自らの研さんでお金を稼ぎ、稼ぐことを感謝し、社会に貢献することで、事業に成功しているのだと思います。  金持ちになるとのふれこみで、精神世界を説くのはいかがなものか。修行により、お金を取ることは言語道断です。

2011年11月18日金曜日

勝ち組と負け組について

勝ち組と負け組  そんな言葉をよく聞きます。格差社会の本家アメリカでは、勝ち組は20%ぐらいです。その20%の人たちは平均年収2000万円だそうですが、残りの80%は年収500万円ぐらいだそうです。  それはお金の話で、果たしてそれだけで豊かといえるのかどうかです。しかし、アメリカという社会では、完全に資金力が豊かさのバロメーターです。社会制度がそうなっているからです。十分な医療を受けるにはお金は必要です。お金がないと、入院もできません。老後資金も401kですから、自分で増やさなければなりません。北欧のような、病院へは財布を持たないで行くところとは異なります。  アメリカでは宗教が流布しています。ほとんどの国民は教会に行きます。無宗教という人が多い日本とは異なり、アメリカ人は心が病んでいるということがいえるのでしょうか。アメリカ人は眠剤を含めた精神役服用率は高いのではないでしょうか。  日本にいるから言えることは、お金だけがすべてではないということです。アメリカ式の勝ち組ではなく、日本式の勝ち組があってもいいと思います。それは精神的豊かさが成り立つ国だからです。TPP参加で、日本の文化は消える問われていますが、日本の心の豊かさまでもむしばまれることがないようにしてもらいたいです。  勝ち組は、豊かな資金力を手にすることだけではありません。

2011年11月14日月曜日

真摯とは何か

真摯であれ  この言葉は一世を風靡した「もしドラ」の中にも出てきます。マネジャーは真摯でなければならないということです。  真摯という言葉を辞書で見てみると「まじめで熱心なこと」とあります。同義語には、誠実とか純粋、正直などがあります。よく「表と裏」なんてことを言いますが、うわべの繕いではなく、心底、純粋であることが真摯なのかもしれません。うわべだけというのは相手に見透かされます。心の底からの思いが真摯という言葉につながるのでしょうか。  人はいざというときにその本質がわかります。その時に表れる態度で、実態がわかります。その時に本当に真摯でいられるのかどうか。人の本質を見極めるのは難しいです。  でも、ドラッガーも書いていますが、真摯であることが成功のカギでもあるのでしょう。マネジャーの資格は真摯であること。そうでないと人を感動させられないし、人を動かすことはできないのでしょう。

2011年11月10日木曜日

行き詰ったら動きましょう。

 ぎりぎりに追い込まれたときに真の力が発揮するなんて言われますが、ぎりぎりに追い込まれるのはつらいですね。スポーツにおいても、限界まで追い込んだ先が本当の練習だと言われています。    日本中、東日本大震災以降、ぎりぎりに追い込まれることが多いようです。さらに円高により、中小企業の存続が厳しいとか、時短で労働時間が短縮されたとか、本当に何年かに一度の大ピンチなのかもしれません。  ついついネガティブな発想になり、何も考えられないという心理状況なのかもしれません。そんな時でも勇気を持って立ち向かう仁は、相当の精神力が必要です。それは、生半可な力ではありません。  一人で立ち向かうには限界があります。と言っても、「傷のなめあい」では何も生まれません。  行き詰ったらとにかく動く。なんでもいいからとにかく動くことです。何をしていいのかわからないときにはとにかく動く。動くっていったい何をすればいいのかわからなくても、なんでもいいから動くことです。仕事に関係のないことでもいいですから体を動かすことです。  私の知り合いで、毎日トイレ掃除をした人もいます。家の近くの神社の階段を掃除した人もいます。何でもいいです。それで何が変わるか、何が生まれるのかも分かりませんが、とにかく動きましょう。  周りの空気が変わるのです。

2011年11月7日月曜日

落ち込んだら

 落ち込んだり、気弱になったりしていると、せっかくの運気も近づいてきてはくれなくなります。落ち込まないように、弱気にならないようにするにはどうすればよいのでしょうか。自信を持つには、ゆるぎない信念を持つには、修行あるのみでしょうか。  マイナスの心はせっかくのチャンスを逃します。まずは自分自身のオーラを鍛えること。これいな心、清い心に、光は集まってきます。落ち込んだ時は、まずは自分のオーラ、チャクラをきれいにすることを考えましょう。気が滞っているチャクラをきれいにすることで、いい運気は必ず寄ってきます。  落ち込んだり、気弱になったら、自分をきれいにすることを考えましょう。何かが変わりますよ。  

2011年11月6日日曜日

泣きたいときは泣いた方がいい

 時々、無性に泣ける映画を見たくなります。泣けるドラマを見たくなります。泣ける歌を聴きたくなります。心が疲れているのでしょうね。泣くということは心の内なるものの発散です。とってもいいことで、心の浄化にもなります。  この歳で、最近アニメにはまっていて、「ワンピース」は見るたびになぜか涙が出てきます。大の大人が漫画の話をたとえに出すのもどうかとは思いますが、ワンピースの一場面で、この泣くことに関するセリフがあります。それは、シャンクスが、目の前で兄エースを殺されたルフィーに対して、「ルフィー、泣いてもいいんだぜ。男は泣いて強くなる」と言うセリフでした。格好い~。  本当に泣くことは心の浄化になります。すっきりとします。やせ我慢は禁物です。泣きたいときは泣いた方がいい。思いっきり泣いた後はすっきりしますよ。

2011年11月5日土曜日

欲との戦い、それは人間の性ですね

 欲との戦い、これは永遠のテーマです。人間にしかないもの、それが欲です。動物は、必要以上は欲しがりません。お腹いっぱいになったら、それ以上は求めません。にんげんは、お腹がいっぱいになっても、まだ、それ以上を求めます。  欲とは自我、自己中心の考えなのでしょう。欲は、決して人を助けません。自分の欲求を満たすこと以外は何も生みません。また、自我が強い分、そのものが持つエネルギーも強く、えてして、そのパワーは、邪悪な場合が多いです。邪悪であるなら、それはマイナスのエネルギーを引き寄せます。エネルギーが強い分、マイナスのエネルギーを引き寄せる力もつよくなります。  欲は、生きる力を生み出すという人もいます。欲が向上心の源と断言する人もいます。ネットワークビジネスのセミナーなどで垣間見ることがあります。欲から生まれるものは、必ず欲により滅ぼされます。欲が自我の塊であるなら、最後は自我に押しつぶされるでしょう。  人に騙され、その人を恨む。賭けに負け悔む。すべて欲がなせるもので、欲があって行ったことゆえ誰も責めることはできません。欲により人に騙されるのは自分が悪いとなります。  欲は無制限です。欲をコントロールすることが修行なのでしょう。人間は常に欲とは戦っている生き物なのですね。

2011年11月2日水曜日

欠点は魅力

 ケーブルテレビでかつての大河ドラマ「毛利元就がまた放映していました。少し前に放送していたかと思ったのですがね。  今日の話の中で、毛利元就があたらしいかしんをめんせつするという場面でした。そこでの話で、すべての面で秀でているものはとかく人望がない。多少欠点があっても、一つのことに優れている人には人が集まるという台詞がりました。  無難というのは一見いいように見えて、そつがない分、抜け目がないという感じで、自分が部下に持つときは、一つのことに秀でている人を集めるだろうなと思います。違う分野のスペシャリストを集めるのが集団としては面白い。それを統合する人、すべてに秀でている人は一人で十分ですね。  ドラマでは赤川元保という家臣がすべてに秀でている人で、のちに、毛利元就の知略に勝てぬと知った元保は、息子の隆元に取り入るという行動に出ます。器用な人は時には過信による行動に出ます。  欠点を失望することはありません。欠点は魅力ととらえましょう。  

2011年11月1日火曜日

貴船神社の御神水について

 先月上旬に鞍馬へ行ってきました。それはもうすごい山道で、汗だくになり、鞍馬寺から奥宮を抜けて、最後は貴船神社にたどり着くコースでした。  貴船神社には御神水があって、そこには「水五訓」が書いてありました。その内容は 水五訓 1、自ら活動して他を働かしむるは水なり 2、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり 3、自ら清くして他の汚水を洗い清濁併せ容るるの量あるは水なり 4、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり 5、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり雪と変し霰と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、而   もその性を失わざるは水なり  そこで竜神さんの水晶玉を買いました。水は清くもあり、濁ることもあり、水を見る人の心を映し出しているのでしょうか。水は気持ちによっては、暴れ水にもなったり、せせらぎのごとく静かなものなったりするのでしょうか。水の心は奥深いです。

2011年10月31日月曜日

ふとした時に観音経を唱えています

 想いは必ずかなう。これはよく耳にする言葉です。しかし、悪い想いも実現されます。人への恨み妬みは。巡り巡って必ず自分のところに帰ってきます。それだけ想いというおは強いものです。  ましてや、その想いを言葉にするとパワーは増幅されます。夢、なりたい自分を公言することで、それは現実となります。これはいい話ですが、マイナスの言葉を発すると、それもまた、パワーは増幅されます。良いことも悪いことも、全部自分に帰ってきます。  人間ですから、完ぺきではないので、どこかでねたみもあり、畜生と思うこともあります。私はそんなときは観音経を唱えるようにしています。完璧に観音経を覚えているわけではないので、なんとなく観音経をイメージするようにしています。そして、時間があれば、長いですが、観音経を写経します。  仙人ではないですから、どこかで悪い言葉を発し、そう思うことも多々あります。そんな時に、ふと我に返って、それを反省する姿勢が大事なのでしょう。そういう習慣をつけることが重要な気がします。

2011年10月30日日曜日

柔軟性は真実を見極めるコツ

 物事は、いろんな角度からみれば、まったく違ったものに見えます。一つのものをいろんな角度から見ることは非常に重要です。それは偏見をなくすということです。偏見は視野を狭くします。偏見は本質が見えなくなってしまいます。  物事をいろんな角度から見るということに重要なのは経験です。もう一つは想像力です。この二つから、洞察力は養われます。ここが重要です。  頭が柔らかいというのは、この偏見という概念が無いことなのかもしれません。柔軟性というのは、こだわらないという言葉と等しいのかもしれません。  柔軟性は、物事の真実を見るためには必要です。

2011年10月26日水曜日

イメージは大事

 イメージは大事です。悪いことばかり考えていると、実際に現実に呼び込んでしまうそうです。いいイメージを持つことが大事です。思いは必ず伝わります。思いは必ず実現します。だから、いいイメージを常に持つようにしましょう。必ず問題は解決します。今起きていることは、その解決のための必要なステップです。これをクリアすれば、必ず光はさしてきます。  思考の好循環ですね。難題、試練は、ありがとうと言って受け入れる姿勢が大事です。解決策は、どこからか必ずやってきます。ひょっとししたらもう目の前にきているのかもしれません。  なにやらどこかの宗教団体のようなセリフになていますが、でも、本当に大切なことですね。がんばろう!!

2011年10月24日月曜日

ダメだと思ったときからが本当の勝負

 松岡修三という、やたら熱いイメージの、元日本テニスプレイヤーがテレビに出ていました。「応援」というテーマで、応援する側も必至で応援しなければならないと力説していました。  応援にもコツがあるそうで、相手の気持ちになることが大事そうです。特に、相手の過去を知り、「一度はあきらめたこの世界にまた戻ってきたじゃないか」「本当は○○になりたかったんだろう。あの時と同じようにまたあきらめるのか」と叱咤激励するそうです。  その叱咤激励にも、声をかけるタイミングがあるそうです。それが「限界を超える」時だそうです。限界を超えるときとは「ダメだ、もう無理」と思った瞬間だそうです。そこから先は、なかなか一人では立ち向かえないものです。そりゃそうでしょう。本人は「もうダメだ」とあきらめかけているときですからね。この限界を超えた時にこそ、「かつてお前は・・・」という過去の後悔を思い出させ、今最後の力をもう一度振り絞れと励ますそうです。これは効くそうです。いや効きますよね。  「ダメだ」と思った時からが本当の勝負です。そこから本当の実力が内面から出てくるのでしょうし、その時にきっと神様は救いの手を差し伸べてくださるのでしょう。限界を超える前には奇跡は起きません。奇跡は、自分が100%以上の力を出した時にこそ訪れるものだと思います。

2011年6月12日日曜日

「頼みごと」は“試され”ごと

 昨日、飲食店チェーンオーナーの方とお話をした際に、教えて頂いた言葉です。「頼まれたこと」を、ただそれだけをするのではなく、相手に分かりやすく、見やすく、あるいはこうすれば相手のためになるという、一工夫して、頼まれたことを、よりスピーディーに行うことで、確実の信用を得ることができます。つまりは人にものを頼むことで、その人を試しているのだという教えです。

 「一」をいって「十」を知るという言葉がりますが、今どきの人は(なんて年よりくさいセリフでしょう)、なかなか「一」をいって「十」を知る行動をとる人は非常に少ないです。マニュアル化とリスク回避行動、さらには変な効率化追求などから、人は、必要以上のことをしなくなりました。それが無難に世の中を生きていく方法と思っているのです。私が今どきの人間と付き合いたくないのは、おそらく、絶対的な価値観が異なるからでしょう。

 頼まれたことを確実に行うのは当たりまえで、それ以上のことを想像して、あるいは相手の身になって、すすんで行うことに、信頼が生まれ、自分の価値を相手に認めてもらうことになるのだと思います。

2011年6月8日水曜日

今だからできること

 宮城県ゆかりのアーティストが集まって、「みやぎびっきの会」を結成し、歌声を被災地にというイベントの紹介がありました。いろんなところで、チャリティーは行われています。

 それに参加したさだまさしさんが「僕たちは、被災された時には何の役にも立たない人間ですが、少し落ち着いてきて、さあこれからという時には役に立つ人間です。」とおっしゃっていました。

 東日本大震災の被災の映像を見て、その後のニュースを見るたびに、いかに自分は、ファイナンシャルプランナーやコンサルタントの資格は、こんな時に無力なのかと痛感していました。何もできることはない。木材ひとつ運ぶこともできず、資金援助する余裕もない。なんと情けないとずっと思っていました。

 少し前、NHKで「再開」をテーマに、笑福亭釣瓶さんとさだまさしさんが、被災地を訪れ、いろんな人と再会する番組がありましたが、なぜだか涙が止まりませんでした。

 歌を歌う、演技するなど、形のないものを極める人たちは、ある意味、時間というものを提供しています。空間とか空気でもいいかもしれませんが、見てくれるひとに、空間を共有してくれる人に「感動」を与えることを使命とされています。
 いま、震災から時間が経過し、少しずつまわりを冷静に見ることができるようになった心に、優しく語りかけることができるようになったのかもしれません。だからいま、彼らは立ち上がったのでしょうか。

 私にもきっとできることがあると思います。さださんの言うような「こんな時に役に立つ」人間になれるのでしょうか。いや、そういう人間になりたいです。

2011年5月25日水曜日

仏は働き足りぬものだけを生かしている

 仏は働き足りぬものだけを生かしている。生かされているものは、これから何でもできる

 生かされているということは、必ずこの世に使命を持って生まれてきています。つまり、生きていることだけで意味があるということです。自らの手で、生かされていることを放棄することは許されません。天寿を全うという言葉がありますが、それは十分働いたよということで、生かされている以上、まだまだ働き足りないということです。
 逆に、生かされているということは、まだまだ死なないということですから、これからなんでもできます。すべては神様の掌の中です。もがきあがかず、なるようになるの精神で、生きることを楽しみましょう。生きている使命は必ず全うしなければならないのですから、いまさらじたばたしても仕方ありません。
 生きていることを楽しみましょう。
 

2011年5月11日水曜日

人間には三つの坂がある

 人間には三つの坂がある。小泉元総理が用いていたセリフです。「上り坂、下り坂、まさかの坂」の話です。この中で肝心なのは「まさかの坂」で、まさかの時の人の動きが、上り坂に押し上げるか、下り坂に突き落とすかを握っているいうことです。
 戦国武将の奇襲攻撃の話ですが、まさか攻めてこないと思うことと、そのまさかをつくこと。まさかの油断を突くことが大事との教えです。
 初めから無理と決め付けることはない。先々、起こるかもしれない不幸ばかりを考えることこそが不幸だと、このセリフに関しては、以前、このブログでも書きました。
 「一か八か」という言葉にも感じが似ていますが、人生の中で、「えいや~」という時がありますよね。

 このまさかの時の振る舞いが、その後の人生を決めるのであり、そのまさかの時に決断できるために、日頃より情報を集め経験値を高めているのでしょう。すべては日頃が大事ということですね。

2011年5月6日金曜日

引き際を知ることが成功の道

 前に進むことは誰にでもできる。引くことができるものは少ない。引き際をとらえることが、成功の道。

 若さと力だけで、物事を突破しようとすることへの戒めのようです。引くことに勝機あり。投資も同じです。いかに損失を少なくするか、つまりはロスカットができる者が、投資で勝てる者なのです。ここは判断を誤ったと素直に認め、いかに損失を受け入れるかが重要です。損失を最小限にとどめることはそうたやすいことではありません。なにせ、損を心から受け入れなければならないということですから、勇気のいる決断です。

 何事においても、攻める局面ばかりではありません。攻めは最大の防御とも言いますが、局面における冷静な判断なくして、引き際を悟ることはできません。
 奥が深い言葉ですね。

2011年5月2日月曜日

努力と根性だけでは戦いにのぞむ資格なし

 戦国武将の話です。運も実力。天が味方してくれることも多々あります。いざ決戦という時に雨が降り、馬の気配をなくし、存在をかき消してくれることがあります。織田信長が世の中にデビューした桶狭間の戦いがそれです。人数で圧倒的不利な局面を逆転したのは、まさに雨でした。霧が勝敗を分けることもあります。武田・上杉の長きにわたる川中島の合戦では。霧は重要な要素でした。

 勢いだけでは勝てないことも多くあります。桶狭間の戦いもそうですが、大内方陶軍の大軍団を、知略を持て小軍隊を勝利に導いた厳島の戦いは、まさに毛利元就の、相手の性格をうまく利用した戦いでした。
 努力は必要です。しかし、努力は結果が出て初めて報われます。努力だけでは、けっして勝つことはできません。努力は無駄にはなりませんが、結果を導き出すものではありません。ましてや根性だけで層にかなるのはスポコンアニメの世界だけです。
 かつて「チャンスは平等、結果は不平等」という言葉をこのブログで書きました。また、「努力した人にしか運は来ない」も書きました。努力と根性は必要条件ではありますが、十分条件ではありません。それだけではまだ成功までには足りないのです。

 頭です。頭がよくなくては決して戦には勝てません。なによりも強い武器は「頭」です。一流のスポーツ選手で、子と自分の競技のことで無知な人はいません。トレーニング方法も効率的に考えています。運だけでのし上がった人でも、その後、自分の足りないところを自覚して、補う努力をしています。
 竹中平蔵氏は「頭で汗をかく」などと表現していましたが、肉体労働だけが汗をかくことではないのです。「諜略大木は勝ち、少なきは負け」こtrは出雲の国主、尼子経久の言葉です。諜略は、人に嫌われ、性格が悪くなりそうですがね。あえて鬼になる気構えなくして、戦いには勝てませんからね。

2011年4月15日金曜日

利便性重視社会、正確重視の社会、自己保身の社会ってイヤ

 先日、証券会社に、投資信託の解約手続きの電話をしました。無機質なアナウンスで、「○○のお手続きは1番、△△のお手続きは2番・・・」とずっと聞かされ、オペレーターを待つこと数十分。やっとつながったら、「担当部署が異なりますので、□□にお電話をおかけ直しください」と言われました。ここでかなり頭に血が上っていましたが、そこは冷静に、指示通りに原話をかけなおしました。

 電話をかけなおした先でもずいぶん待たされ、やっとつながったかと思えば「お客様はネットにログインされていないので、まずはログインして・・・」このあたりでボルテージは最高潮にのぼりました。それでも冷静を装って「ログイン方法を教えて下さい」と尋ねると、「後日郵送でIDとパス・・・」ここで「もういい」と放り投げたい衝動を必死で抑えて「どれくらい時間はかかりますか」と尋ねたら「一週間ぐらいは・・・」

 お客様サービスっていったいなんなのでしょうか。商売の基本は「御用聞き」で、好きな時に好きなものを好きな方法で手にするという欲求を満足させるのが顧客サービスです。郵便局や信用金庫の自転車による自宅訪問が、いかに愛されているかよくわかります。機械・技術が進み、ネットが盛んになり、世の中が時間的にも便利になっても、直接お客様と接する「営業」という職種がなくならないのはよくわかります。

 前日の一連の電話の話は、お年寄りにとっては苦痛以外の何物でもないでしょう。これが利便性重視の社会なのでしょうか。ネット社会の本質は、無機質で、顧客無視のようです。
 利便性や正確性は、お客様に合わすのではなく、お客様の方から合わせてもらうことにより成り立つシステムなのでしょう。それがネット社会という、大きなくくりで許されているという、何とも奇妙な営業スタイルとなっているのでしょう。
 震災復興は国民全体で負担という大義名分で、震災復興税が創設される、増税を飲まなければ非国民だと言わんばかりの押しつけに似た感じがします(飛躍しすぎていますか)。

 今こそ大切なものは何か、人のぬくもり、こころ、愛と、人の温かい感情を大切にすることが訴えられています。霊的や神がかりのイメージが強かったスピリチュアルですが、実は、スピリチュアルブームも、魂の原点に帰ることを教えてくれているのではないでしょうか。なんかそんなような気がします。

2011年4月12日火曜日

目標意識が重要です

 なにをしたいか、なにを成し遂げたいかという目標を持つことは非常に重要です。投資で稼ぐと決めたら、投資を勉強し、月いくら稼ぐかという目標を立てることが重要です。独立するなら、いつまでに独立するという、期限を決めることです。独立したあとは、月いくら稼ぐかを決めることです。英語を取得すると決めたら、いつまでに終わるかを決めることです。
 しかし、これは目標ではなく、あくまでも目的です。この目的だけを決めると、多くの人は途中で挫折します。英語習得やダイエットなどがそうですね、ご経験ありじゃないですか。

 では、目標とは何か。投資で稼いでなにをしたいかどうしたいか。英語を勉強して海外移住するとか、その時の自分をイメージして、非常に心地よい感じがするという感覚が大事です。独立してなにをしたいか。独立してどうなっているかを想像してください。それが目標です。その、どうしてもそうなりたいという目標のために、英語を学ぶことが必要、お金を稼ぐことが必要という感じになります。この目標意識が無ければ、行動は持続されません。

 目標と目的、もう一度考えてみましょうね。

2011年4月11日月曜日

生きることは遊びじゃ

 「生きることは遊びで、人生すごろくのようなもの。予期しないことが多いからこそ、生きることは面白い。」
 「生きることに苦しんでいる人へ。いい目にあっている人が修正いい目にあうことはなく、苦しんでいる人が修正苦しいことはない。生きることをなげるな。」

 自分にも言い聞かせている、あるドラマでのセリフです。ついメモしてしまいました。このセリフに何の注釈もありません。そのまんまです。

 苦しいことを楽しむことは、なかなかできません。苦境やトラブルを楽しむ境地には簡単にはできません。苦境を与えてくれて感謝しています。ありがとうと思えるようになるには、精神修行が必要ですが、そう思えるようになると、生きることが楽しくなるのでしょうか。
 でも、そういう感覚で、そう思うことで、苦しみを受け入れることから、怒りや苦しみの感情から解放されるようです。

2011年4月8日金曜日

まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 「袖刷りあうも多生の縁」という言葉の意味を、このブログでも紹介しました。「たしょう」は「多少」ではなく多くの生、つまり前世です。袖が触れ合うといいことは、前世で何かの関係があった、偶然は必然ということですな。
 
 「情けは人のためならず」も、使われ方は間違っていて、情けをかけることは相手にとって良くないという意味ではありませんね。むしろ人に情けをかけましょう。人のために情けをかけるのではなく、巡り巡って、自分にもよいことが返ってくるから、積極的に人には良くしてあげましょう。人のためではないですよ。自分のためですよと説いた言葉のようです。

 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 私がある人に教わったことですが、情報は与えて初めて帰ってくるといわれました。大きなたらいに水が入っていて、自分の側だけが切れていて、その下にバケツが置いてあると想像してください。その水をより多くバケツに入れようとするとみんなはどうするでしょう。一生懸命、手を広げて、あるいは指の隙間をなくして、手前にかいて、バケツに水を集めようとしますよね。これでは多くの水をためることはできません。
 逆に、両方の手をくっつけて向こうに押し出すのです。すると、水は向こうの壁にぶつかって、周りをつたって、手前の切れ目からバケツにいっぱい水が入ってきます。 

 つまり、一生懸命抱え込もうとするよりも、相手にいっぱい与えることで、巡り巡って自分の懐にも帰ってくるというのです。与える情報が良質であればあるほど、戻ってくる水は透明できれいなものだそうです。
 
 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

2011年4月7日木曜日

焦ってもろくなことはない

 今日の3時までに振り込まなきゃと、自転車で銀行に駆け込み、操作がもたついて、間に合ったかどうかわからないですが、その精神状態のままだったので、帰り道で転んでしまいました。
 焦ってもろくなことはありません。そんな時こそ、地に足をつけることが重要です。グランディングというそうですが、両の足の裏でしっかりと地面を踏みしめることが必要です。重心をうんと下げて、そう、そういう時はお相撲の四股を踏むのがいいそうですよ。イチロー選手のバッターボックスに入るまでの動作がそうです。足を真横に開いて腰を落とす態勢です。

 いつぞやのテレビで、お寺の住職のお話しを聴くところがあり、「無量の時間の中で“あせらず”“ゆっくり”“しっかり”」と過ごしなさいというお言葉がありました。この世は仏様の体の中 私たちはその細胞のひとつです。量り知るころできない時間の中で生かされているのだから、小さなことにとらわれず、ゆったりと時間を過ごす心構えが必要だとのことです。

 重心が上にあると、すぐに倒れやすくなりますし、ものの考えも浮ついてしまいます。しっかりとした判断ができなくなります。落ち着いて、重心は下に、両足で大地をつかむ気持ちで...ね。

2011年4月5日火曜日

貧乏は恥ではない

 貧乏というキーワードで、いろんな名言が世の中にはあります。たまたま、見つけた名言がおもしろかったので、インターネットで「貧乏」というキーワードで検索してみましたら、いっぱい、いろんな名言がありました。
 たまたま見つけたのが、貧乏という言葉を用いたものだったので、特に貧乏という言葉を調べていたわけでははありませんが、「偶然は必然」ということから、きっと何か見ることに意味があるのでしょうね。

 「貧乏は恥ではない」という言葉の続きには
    「しかし、心からその言葉を肯定している人はいない」
    「しかし、ひどく不便なものだ」
    「しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことである」

 などなど、「しかし」の後のフレーズが実に面白いですね。

2011年4月4日月曜日

真剣な姿勢が感動を呼ぶ

 昨日、日本テレビで「世界一のショータイム」という番組がやっていました。前回の放送で柏高校吹奏楽部の演奏にすごく感動しました。今回も、すべてのパフォーマンスを見ましたが、みんな一生懸命で、真剣に一つのことを追求する姿勢だからこそ感動を与えてくれます。
 パフォーマンスには人生があります。真剣なパフォーマンスには生きざまが表れます。だから感動するのです。その人に感動します。演じる人の真摯さに、私たちは感動します。昨日のパフォーマンスやパフォーマーの真剣さと真摯さに、感動しました。自然と涙が出ました。すばらしいですね。
 いっこく堂の悔し涙、9歳のジャズピアニストの思い、サザンのコピーバンドのいちずな思い、ブラスバンドの真剣さなど、どれをとっても感動でした。自分の生き方を見つめ直したような気がします。

2011年4月1日金曜日

脳はマイナスな言葉は理解できない

 脳には「not」は理解できない。プロのアスリートにメンタル指導をしている外国のカウンセラーの言葉です。
 あるプロゴルファーが、「左は池があるから打ちたくない」と思うと、脳は「左」という言葉しか理解できないので、ショットは必ず左へ行くと言っていました。その時は「右,右」と脳に思い込ませるのだそうです。
 ミスショットをした後、そのショットをずっと悔いる精神状況が続くと、脳は、その状況がその人にとっては良いことだと判断して、ミスショットを繰り返させるというのです。18ラウンドでは何度もそういた局面はあるそうです。

脳に「not」を植え付けないためには平常心が必要です。その平常心を鍛えるには、毎日、同じことをするルーティーンが大事だそうです。同じことを、毎日決めたことを何度無繰り返すことで平常心は養われるそうです。
 さきほどのプロゴルファーの型は、実際にボールを打つのではなく、毎日、目標を定めとアドレスまでの流れを繰り返すそうです。南ぽでボールンそばへ行くかとか、目標設定から構えまでの時間を一定にする訓練をするそうです。大リーガーで、次々と記録を塗り替えているイチロー選手も、バッターボックスに入るまでの一連の動作はいつも同じです。

 このブログでも依然「想念」という話を書きました。思っていることは必ず実現される。それはマイナスなことほどすぐに実現するそうです。常に、プラス思考で、できる、うまくいくと考え続けることが大事ですね。

2011年3月28日月曜日

世のなかには白と黒と、そして灰色がある

 もともと世の中には白と黒しかないのでしょう。年齢は、若ければ若いほど、白と黒しか目に入らないようで、年とともに、その中間色が見えてくるのでしょう。それが灰色です。
 若いうちは、片目ずつしかものを見ることができないので、黒色と白色しか認識できないのですが、年齢とともに、経験というフィルターを通すことで、両方の目で、ものを見るようになり、その中間色を認識するのでしょう。やがて、中間色しか認識できなくなり、その原点が黒だったのか白だったのか、分からなくなる、いや、どうでもよくなるのでしょう。何せ、片目でものを見るのはしんどいですから、良穂の目でぼんやりとみることに慣れてきてしまいます。そのほうが楽ですからね。
 しかし、世の中というものは、往々にして灰色がうまくバランスが取れることもあります。灰色しか見えないことが幸せと感じる時もあるのでしょう。そうやってみんな大人を演じていくのでしょうね。
 哲学めいた話ですが、受け止め方は人それぞれかとは思います。

2011年3月27日日曜日

形は鬼なれど心は人なり

 主君がどうしようもない人で、家臣も愛想を尽かし、領民も不信感を募らせているときに、心ある家臣が、国のため領民のため謀反を起こすというストーリーでの、その家臣の心内を表現したものです。
 大事なもののためには、ことをなす時には、場合には鬼にならなければならないが、心は人です。その評価は誰がするのか。部本が正しいというのは、本人の判断で、それは本当に正しいのかどうかは歴史が判断するのでしょうか。
 心は人のままということは、私利私欲のために行うものではないとのことですが、そこには愛が必要ですね。

2011年3月24日木曜日

人が天下を望むのではなく、天下が人を望む

 「人が天下を望むのではなく、天下が人を望む」この後には「器量がなければ天下は望まない」と続きます。いくら自分が欲しいと思っても、環境が、周りが、人が、世の中が望まない限り、其の人は選ばれない。自分をもっと高めない限り、天は選んでくれない。

 自分は何か持っていると、アスリートの中ではやっている台詞のようですが、何か持っているとかいないとかは、天が決めることですね。ここぞというところで力を発揮することが、何かを持っている証拠になるということでしょうか。

 歴史ブームのようですが、戦国時代に、天下が認めた人物はだれなのでしょうか。明治維新のときに、天下が求めたのは誰か。
 平成の乱世で、求められた人物は、小泉純一郎氏と言えるのかどうか。今は乱世のようなものです。今求められている人物はだれなのか。天下が望む人とは。少なくとも都知事選に出馬している人ではないような気がしますが、今の政治の世界にいるのでしょうか。それともこれから現れるのでしょうか。

2011年3月23日水曜日

つらいことは夢中になるから面白い

 つらいことは夢中になるから面白い。つらいことは後から面白くなる。

 戦国時代を舞台としたドラマでの、窮地に追いやられた武将の家族の会話の一節です。ものは考えようとはこのことでしょうか。つらいことは、とにかく必死で、何とか難局を乗り切ろうとします。夢中になるということなのでしょう。
 でも、その時のことは、後から語ることができるようにもなります。時間がすべてを消化してくれます。時は残酷でもありますが、優しくもあります。
 不謹慎なセリフのようですが、ものは考えようとはなかなか思えませんが、必ず青空は見えてきます。

2011年3月18日金曜日

東北地方へいこう!!

 必死で、東北地方は復興へと向かっています。津波被害の家屋はまだまだで、仮設住宅もこれからの状況ですが、道路の復旧、ガソリン供給源の復活など、震災から一週間ですが、猛スピードで回復にみなさん努力していただいています。原子力発電所も、普及不眠で大惨事抑制に戦っておられます。

 東北地方の経済の復興の、私たちにできることは、東北地方にどんどん行くことです。大手旅行社を中心に、全国会議を東北地方の温泉地で行う。東北地方に旅行に行く。東北地方の食料品を買う。東北地方の生産物を買うということです。とにかく風評被害だけは防ぐようにしたいです。特に、福島県の、原発エリアは、この問題が解決すれば、原発自体は止まっていますし、海水を浴びているので、今後稼働することはありません。めっちゃくちゃ安全なところとなっています。どんどん福島に行きましょう。

 同じ日本国です。日本を救いましょう。皆で東北地方を盛り上げましょう。がんばれ、東北!!

2011年3月16日水曜日

心温まる節電ポスター

節電をお願いするポスターの言葉が、非常に心温まります。日本人って素晴らしいと、本当に思います。

 電気と一緒に心が届く
 未来に明かりを届けるために
 消すとわかるよ、電気のありがたみ。そのありがとうを被災地のみなへ 届け
 この瞬間 消えそうな命が同じ日本にあることを
 節電でつながる命がそこにあります。 消さないでその命。

読んでて涙が出そうな、温かい言葉です。 

http://setsuden.tumblr.com/

小さなことでも、私たちができることを考えましょう。

2011年3月14日月曜日

写経して、お祈り申し上げます

 被災地の方々のご心痛、いかばかりのものか。その場で立ちすくむ人や、身内の方を探しておられる姿、家が流される映像、見ているだけで涙が止まりません。
 祈ることしかできませんが、今日は写経をします。明日、それを納めに行こうと思います。

 一刻も早く、被災地の方々の生活が元に戻りますように、心がいやされますように、心よりお祈り申し上げます。また、救援の方々、本当にありがとうございます。

2011年3月11日金曜日

坂上二郎さんの忘れられない言葉

 坂上二郎さんが亡くなられました。苦労人として知られるかたで、忘れられない言葉があります。それは苦労人ならではの言葉です。「苦労は買ってでもしろというのは嘘です。苦労はせずに済むならしないほうがいい」
すごいうんちくのある言葉です。それは坂上二郎さんならではの言葉だと思います。
 若いうちの苦労は、のちの肥やしになるとはよく言いますが、あえて、坂上二郎さんは、苦労なんかしなくてすむのであればしないほうがいいとおっしゃっておられました。
 これは究極の言葉です。究極の名セリフです。どんなに素晴らしい言葉よりも、重みのある言葉です。

2011年3月10日木曜日

自分の心と向かい合いましょう

 心と向き合うのは、簡単なようで難しいものです。今の自分は、それまでの生き方や、環境から、必要以上に鎧をまとってみたり、猜疑心が強くなったりしているもです。また、自分では気づかない、幼いころの記憶が、自然と今の自分の性格を、行動を作っていることもあります。そんなことは、自分では気づかないものです。
 でも、ふとしたことで、たとえば実家で親と話をしているときとか、子供のしぐさを何気なく見ているときとか、自部の忘れていた感情をふと思い出す時があるようです。その感覚を大事にしておくことが大事ですね。自分と向き合う訓練になるのでではないでしょうか。
 私は日ごろ、ふと思ったことを書き留めているようにしています。心に思ったこと、頭の中で誰かが言っているような気がした時の言葉など、なんでこんなときにこの言葉が浮かんだのだろうと思うよなことも、心に留めておくようにしています。すると、あとで、その言葉が必要な場面に出くわすことがよくあります。それがとても重要なことであったりします。
 話があちこちに飛んでいますが、自分の心と向き合うのは難しいものです。本当は、のどから手が出るほど欲しいはずなのにとか、わざと別の顔をするとか、人には余計なプライドというものがあるのですね。自分のことは自分が一番よく知っています。だから、悩んだときは自分に聞きましょう。生きてくた事、上眼れてこの方の体験や感情は、すべて自分の細胞にしみ込んでいるそうですよ。だから、悪いことも、恨みつらみも、すべて自分の細胞にしみ込んでいるそうです。体を洗うがごとく、きれいな体でいるには、思考を変えることであるいうことは、なんかよくわかりますね。

2011年3月9日水曜日

あまりの苦しさに負けてしまいそうなときは

 あまりの苦しさに負けてしまいそうなときに、親を、家族を思い出せ。ある人の言葉ですが、今の家族状況をみていると、その家族に問題を抱えていることが多いですね。親しい人顔を思い浮かべれば、どんな苦しいことも乗り越えられるということなのですが、今の社会問題には「孤独」があります。あまりの苦しさに負けてしまいそうなときに、親を、家族を思い出せという言葉も、今の時代には修正が必要なのでしょうか。
 
 苦しい時に「孤独」は、絶望の淵に追いやる元凶なのかもしれません。コミュニティの重要性はうなづけます。
 NHKで、「友達作り」のサークルのドキュメントがありました。子育中のお母さんの悩みを話し合うサークル作りの内容だったともいます。出身地ごとに円卓を囲み、自己紹介し合うというものでした。

 このブログでも書きましたが、「友達」とは、心配してくれる人ではなく、自分が心配する人がいるということです。ただコミュニティを作って、「孤独」ではないという環境をつくることが、「孤独を感じている」人の心を解決することではないような気がします。自分から誰かを心配する人がいることを実感してもらうことが必要だと思います。しかし、そもそも、孤独感を抱えている人が、自分から他人にアクションを起こすことができるのでしょうか。奥が深そうな話です。

 自分がいないと、誰かが困るということを分かってもらうことが必要です。あなたの存在は、必ず必要なのです。「おらんでええという仲間はひとりもおらん!!」昨年のNHK大河ドラマ龍馬伝の中の、龍馬の海援隊のメンバーへの言葉だったと思います。この世の中、みんな生きる意味があり、使命を持って生まれてきています。

 新の友達作りは、現代においては難しいことなのでしょうね。

 

2011年3月8日火曜日

不幸を数えることはよくない

 先々の不幸ばかりを数え上げて、あるかないかの不幸を予測し、己の動きを押しとどめることはおろかなこと。考えることばかりで、安心を追いかけるあまりに行動が鈍ることへの警告です。
 誰でも先々は不安なのものです。用意周到といえばそれも大事なことです。無鉄砲がよいことではありません。しかし、考えるあまりに行動が鈍ることはよくありません。動いて初めてわかることもあります。動きながら考えることもありですよね。
 考えることは大事で、想像力は大事です。それと行動、動きがリンクすることはありません。行動は、思考とは別のような気がします。成功者といわれる人は、決して動いていないことではありません。熟考はしていますが、それでも必ず何か動いています。
 動くことは重要です。動いて「なんぼ」ですかね。とにかく動かないとなにも始まりませんからね。

2011年3月7日月曜日

名将と呼ばれる者は、みな悪徳と背中合わせに生きている

 歴史上の人物でも、一代を築いた人は、どんな人でも、光と影があると言われています。どこか非情であるところがあります。小泉純一郎元総理が、郵政解散での刺客と呼ばれる対立候補者を擁立するときにも「時には非情に徹しなければならない」と言っていました。
 戦国武将の織田信長の非情さは有名ですね。土佐(高知)の山内一豊の長宗我部氏勢力の一掃にも、非情な手段を使っています。どちらも名将と呼ばれています。
 名将と呼ばれる者は、みな悪徳と背中合わせに生きています。大なり小なり、いろんな事はあります。大きなことをするときは、小さな過ちは仕方がない。これも、よく言われれうことです。
 後者の部分は、正しいかどうかはわかりませんが、人には必ず光と影があり、片方でその人物を判断してはいけないということなのでしょう。
 

2011年3月5日土曜日

謀多きは勝ち、少なきは負ける

 西国一の大名までに上り詰める毛利元就の言葉です。もともと、これは出雲の国人、尼子経久の言葉で、大河ドラマ「毛利元就」では、尼子経久役の緒方拳の、劇中での「謀多きは勝ち、少なきは負ける。戦いの世に生きる男のありようだ」というセリフがあります。

 相反する表現で「策に溺れる」という言葉もあります。おそらくこれは。基本があって、王道があって、奇策があるということで、何事も小手先だけではだめだ、芯がしっかりとしていての奇策ということなのでしょう。「奇策は危険を伴う」とも言われていますが、リスクを取らなければ戦局は好転しないこともあります。王道を貫くだけが戦略ではありません。どうせ敗れるなら王道の方が悔いは残らないと言う、武士道のような考えもありますが、負けを前提に戦をする人はいません。

 「情報がすべて。戦う前に結果は見えている」「戦は始まった時にすでに勝敗は決している」「戦わずして勝つことが本当の戦だ」すべて、毛利元就を主人公としたドラマのセリフですが、すべて正しいですね。今の時代にもばっちりと当てはまる言葉です。本田圭介の「すべて準備が大事」に通じるものがあります。「試合の勝ち負けは練習で決まる」「練習は正直」これらもアスリートの言葉ですが、戦うものすべてに言えることです。イチローは練習の仕方にこだわるそうです。効率的ということですね。

 戦国武将からは学ぶことが多いです。「戦」の世の中は嫌いですが、皮肉にも、乗り物やインターネットなどは、軍事により発展したものです。便利の裏側に、多くの人の命が失われていることを忘れないようにしたいものです。

2011年3月4日金曜日

ストレスフリーの生き方をしたいですね

 決まっていることはじたばたせずに楽しく受け入れる。とても楽な生き方ですね。一方、最後まであきらめずに戦う。これも必要な生き方ですね。この両方の生き方は相反するものなのでしょうか。

 最後までもがきにもがいて、結論が出るまでは、絶対にあきらめない姿勢が大事です。でも、どうしようもない結果が出たとき、それはその事実を受け入れて、後はなるようになるさの、ケ・セラ・セラがいいのでしょうね。でも、その境地に入る前提として、それまで一生懸命頑張るということです。ここまで頑張ったのだからと、自分に納得することですね。ケ・セラ・セラだけでは、後悔が付いて回りますからね。

 「ストレスフリー」はいつもキーワードです。どんな局面でも、仕事でもプライベートでも、とにかくストレスフリーが望ましいですね。
 しかし、日々、生活をしていると、多くの場合、ストレス賦課の場面は多くあります。ストレスをいかに逃がすか。ストレスとの上手な付き合い方が、心のメンテナンスなのでしょう。常に自分の行動に納得するように心がけ、当然、その行動を起こす前には、十分な準備が必要で、その考えに至った経緯に自信を持ちます。検証は確固たる裏付けによる行動でない限り、原因解明はできませんからね。その行動の前提が正しいのかどうかはわかりません。あとは結果を待つ。結果が出た後はケ・セラ・セラですね。

2011年3月3日木曜日

友達ってなに

 大人になると、なかなか友達って作りづらくなりますよね。
 いざという時、自分が困っているときに手を差し伸べてくれる、助けてくれる人が友達だという定義は間違いです。自分が心配してあげる人がいる。自分がいざという時に何とかしてあげたいと思える人が友達です。相手が自分にどうしてくれるかを計るのではなく、自分が心から、何かをしてあげられる人かどうかが重要なのです。

 自分の弱さを見せられる人が友達なのでしょう。自分から、実は駄目な人間なんだと言えば、相手も実は私も駄目なんだと言いあえれば、それはとても良い関係なんだと思いますね。

 「恋」と「愛」は違うなんてことも言いますよね。「恋」は奪うもので、「愛」は与えるものだと。奥が深い話ですね。「恋は盲目」なんていいますよね。「恋は身勝手」とも表現しますね。

 何かをするのに、つねに主語が「自分=I(アイ)」の人、いますよね。常に自分中心で、自分のことしか考えていない。自分が嫌だからやらない。自分のもうけのために人に親切にする。善は、人のためではなく、己のよくをかなえるためというのが見え見えの人。いますよね。

 無心で、人に尽くしてこそ、心が伝わるのでしょう。それが好循環を生みます。
 友達をいっぱい作りましょう。

2011年3月2日水曜日

ピンチはチャンス

 よく言われている言葉です。ピンチにチャンスあり。精神面での奮起を計る意味でもあるのでしょうが、実際にピンチの時ほど、たくさんのチャンスがあるようです。それは、目の前の利益だけではなく、学びもオスですし、経験も貴重な財産です。
 ただ、どうしても物理的な改善、あわよくば、逆転を狙いがちです。心の満足だけでは飯は食えませんから、精神面も物理面も両方必要です。でも、精神面、ピンチの時に得た友や情報、必ず後に、恩恵として自分に戻ってきます。時間が解決するのでしょうね。我慢比べですかね。
 ピンチの時の得たチャンスは、往々にして大きなものでもあります。今までの成功者は、必ず、大なり小なりピンチを迎えております。その時の自分の有様で、その後の人生は変わります。ピンチの時の振る舞いこそ、最も重要だと言えるのでしょう。
 人生、生涯、学びですね。

2011年3月1日火曜日

知識・経験・知恵

 ビジネスセミナーや自己啓発セミナーなどでよく聞かれるものですね。「知識×経験=知恵」と表現されていますね。
 知識は大事です。知っていると知らないでは大きな違いがあります。勉強は大好きです。知らないことがわかるようになるんですよ。いつも言いますが、学生時代は、勉強の仕方を学ぶ場です。社会で役に立つかどうかは関係なく、数学や古典、物理や歴史、とにかく何でも学ぶのです。役に立たない物は一切ありません。すべてを学んでいない限り、社会人になって、これが必要だと思っても、その情報を効率的に取るすべを知らないままでいるこおとになります。経営者の会などの場で古典や歴史を知らないと会話がはずます、ビジネスパートナーにも慣れないということがあります。地位が上がるごとに、文化や芸術はついて回ります。経営において数学的発想の場面はいっぱいあります。人間性だけでは切り抜けないことは山ほどあります。知識は絶対に必要です。
 経験も必要です。でも経験だけではダメです。知識に裏打ちされた経験は進歩しますが、やみくもに経験を積むだけでは、時間の無駄とは言いませんが、時間をロスします。表現は乱暴ですが、頭がない人ほど、経験を重視します。知識者を、経験もない頭でっかちと非難しますが、両方大事だということを理解しましょう。
 でも、これだけでもだめなのですね。知識は、アウトプットして初めて開花します。知識を表に出し、それを商品化したり、サービスに転嫁したりと、工夫して世に出す、そこに価値が見出されます。それには、経験が必要です。やったことのないことは時間もかかりますし、失敗もあります。それを繰り返して、効率を上げるのです。それが知恵です。知識と経験から知恵が生まれます。知恵を生むことを意識して経験を重ねます。その時に知識が必要だと、痛いほどわかるのでしょう。
 投資においても「効率的」という言葉をよく使います。少ない投資額で最大の利益を得るなどという時に使います。「資金×時間=収益」でしょうか。良い金融商品とは効率的な商品ということで、リスクに見合ったリターンを得ることができる商品が良い商品となります。リスクが高いのにリターンが少ないのは最悪です。
 私たちの行動も効率的な動きが求められます。ただ、人間は感情の生き物なので、効率的だけを求めると失敗します。「効率×感情=成果」とでも言うのでしょうか、損して得取れのたとえもあります。
 物事単純ではないので、難しいですね。
 

2011年2月28日月曜日

政治風刺コントを見てきました

 先週の土曜日、永田町の社民党本部にある社会文化会館で、「はだかの王様」という、政治風刺コントがありました。一緒にラジオ番組を行っている、松崎菊也さんのグループのコントです。
 時事の風刺なのですが、今回のテーマというか、終始一貫、政治家の不用意な発言、言葉の軽さを揶揄していました。
 菅総理の、国債格下げ時の「うとい」発言、鳩山前総理の、沖縄普天間基地に関しての「方便」発言が集中砲火でした。特に、鳩山前総理の「方便」に関しては怒り心頭のようで、徹底的にいじっていました。
 マーケットでは、政治混乱は「買い」、民主党安定は「売り」という、外国人投資家のスタンスだそうで、何か皮肉なものですね。ようは、外国関係者は、日本の改革を望んでいます。2005年、40.2%も株価が上昇した時も、郵政解散がきっかけでした。民主党は、もっと大胆な改革を断行することが必要です。はっきりと、社会保障に関しては大きな政府、それ以外は小さな政府と、明確に意思表明すべきだと思いますね。
 私たちは、あまりにも政治に無関心です。「どうせ誰がやっても...」とか「なにも変わらない」とあきらめないで、政治を注視して行くことを続けましょう。日本は間接民主主義ですから、私たちの一票で選んだ代議士により、日本政治が成り立ているのです。また、感情論や、マスコミの重箱のスミ攻撃にさらされないで、客観的に政局を見ることが大事です。
 政治風刺コントは、400人も入る会場ほぼ満員でした。コントから政治に関心を持つこともいいと思います。とにかく、私たちが政治を見放した時に、彼らのやりたい放題になり、日本が滅びます。CMではないですが日本をあきらめないで...

2011年2月26日土曜日

集めて、楽しませて、伝えて、買わせる

 昨日、誠ブログのオフ会に参加しました。その後の懇親会で、たまたま席が同じだった方から、ツイッターの商売の仕方について、いろいろお話を聞きました。その時に教わった言葉です。
 これは、いろいろな場面でも共通に言えることだと思います。人を集めることが大事です。集まる要素が必要です。圧また人を飽きさせない努力が必要です。そこで、正確に自分たちのことを伝える脳食が日長で、最後に、必ず買わせる、お金を回収することが必要です。そうでないとボランティアになってしまいます。
 それぞれの項目で、どうやって成果を出すか、効率よくできるかが問題です。twitterなどの、ネットという手段は、とにかくアップさせて「待ち」の姿勢だから、きっと誰にでもできるような気がするので、、昔みたいに、「集めて」は営業となると、実際に人と接触して行うとなると、二の足を踏むのでしょう。そのあたりの垣根が低くなったことが、ネットという媒体なのでしょう。

2011年2月25日金曜日

12%と0.7%

 GDPに対する金融での収入のウェイトの日米比較です。アメリカが12%で、日本が0.7%です。金融での収入は、金利や配当などになります。
 投資で生計を立てている人に対して、汗水流さず楽して儲けている印象があるようです。あぶく銭という感じなのでしょうか。そうなると、証券会社の人たちはどうなるのでしょうか。投資顧問業の人はどうなるのでしょうか。そろそろ金融業というものを認めていきましょうよ。

 ファイナンシャルアカデミーのイベントが国技館でありました。竹中平蔵氏が講演で、「金融は頭の中が汗をかいている」と言っていました。聞き様によってはいろいろ捉えられますが、投資をする人たちは、すごく勉強しています。世の中の動きにも精通しています。また、いろんなことをよく調べます。勿論失敗もいっぱいして、たくさんの経験をしています。実際にお金を投じて運用していますので、精神面も鍛えられています。

 そろそろ、投資や運用に対しての、今までのイメージを払しょくしましょう。昔は、食卓でお金を話をすると怒られたものです。株でもうければ、黙っていた時代もあります。「あの人株で家を建てたんだって」「あの人配当でピアノ買ったんだよ」と、なにか悪いことをしたかのように後ろ指を指される時代もありました。
 今の日本のトップはサービス業です。楽天やヤフーなど、ちょっと前なら、絶対に受け入れられない世界の人たちです。勿論製造業が土壌を作っていることは間違いないですが、価値観が多様する中、社会構造の変化も鑑み、投資を生業とする世界も認められるようになったほうがよいのでは...
 投資をしていない人でも、景気や株価、あるいは何か良い金融商品はないか気になるようです。投資を生業としている人たちの生態もちょっと改めたほうがよいかもしれません。もう少し社会性を持つことも考えましょう。社会性が持てないから一人でできることを選ぶということもあるでしょう。ITの世界には多いかもしれません。ホリエモンがジーパンにTシャツで公の場に登場することを善しとしない風潮でもありますから、なかなか相互理解は難しいのかもしれません。投資家は引きこもりというイメージもあるのでしょう。
 資産家と呼ばれる、土地持ちの方、親の遺産で食っている人たちは、社会的地位を求めるそうです。町内会会長になるのもそのせいなのかもしれません。名刺、肩書きがほしいそうです。その気持ちも、自分は資産家ではないですが、わかるような気がします。

 いずれにしても言えることは、これからの社会構造の変化、特に社会保障の疲弊が深刻化する中、収入の入り口は複数持つことが大事です。これだけは明らかな事実として受け止めることが必要です。

2011年2月24日木曜日

世の中に「こうあるべき」ということはない

 固定概念がどれだけ不要なもので、なにも生みださない概念か。人の数ほど生き方があり、誰一人同じ生き方をしていることはなく、世の中に「こうあるべき」姿などなく、それぞれの人が思い描くイメージは、違うのが当たり前である。
 男はこうあるべき、主婦はこうあるべき、子供はこうあることが普通などという概念は、人の成長を妨げ、弊害しかねない。「こうあるべき」を標準体とするのは、思考のストップを意味します。それは必ず、万物のバロメーターではないということです。
 またまた哲学的な話ですが、人に「こうあるべき」を決めてもらうことは、非常に楽な感じがします。変な安心があるのでしょう。人と一緒は心地よくなる気持ちもわかります、人と違うことは、何か常に気を張っているような感じがするのでしょう。でも、今以上には絶対になれないことも理解できます。
 かつてこのブログで
     「常識と真理は違う」
          http://cafestyle.blogspot.com/2010/09/blog-post_24.html
 というのを書きました。常識は非常識という科学者の発想も大好きです。
 個性は、組織の中では埋没することがあります。また、迎合が美徳とされることもあります。「和を尊ぶ」はけっして没個性ではないと思います。個性の上手な付きいあい方から「和」が生まれるのだと思います。「和」をつくろうことが、真の団結ではないと思います。
 いやはや、ほんの短いフレーズから、いろんなことを考えます。このブログを書いてていつも思いますが、言葉の持つ力ってすごいですね。

 

2011年2月23日水曜日

即決できる決断力を身につけるには

 古田敦也前東京ヤクルトスワローズ監督の話です。
 キャッチャーというポジションの特性で、瞬時に物事を判断しなければならないことが多くあります。ほんの数秒で、バッターを見て、状況を判断して、ピッチャーにサインを出します。内外野に指示を出します。
 古田氏が日ごろ気を付けていることは三つあるそうです。一つ目は、時間を守る癖をつくことです。限られた時間にいろんなことをジャッジしなければならないので、お尻が決まっているという感覚を常に身につけることが大事だそうです。時間を守るということは自分に厳しくすることにもつながるのでしょう。
 第二に、大勢に影響のないことは即決する癖をつけるということだそうです。例として昼食のメニューを決めることを挙げていました。Aランチ、Bランチ、Cランチがあって、どれにしようか迷うことに時間を使うのはやめよう、今日食べてまずかったら明日違うのを食べれないいという話でした。これは性格もあるのでしょうが、どうでもいいことは意識して即決することをしましょう。
 第三番目は、決めたら一生懸命にすることだそうです。一生懸命やれば駄目な結果でも悔いが残らないというそうです。決めたことに後悔はしないことだそうです。それが大事だそうです。
 さすがに、一時代を気付いた人の経験談は本当にうんちくがありますね。

2011年2月22日火曜日

気にしないことが人を育てる

 臨機応変という言葉があります。これは場当たり的とはちょっと違います。ネット上のgoo辞書には「状況に応じた行動をとること。場合によって、その対応を変えること。▽「臨機」は事態にのぞむこと。「応変」は変化に応じる意。「機きに臨のぞんで変へんに応おうず」と訓読する。」となっています。
 流されるという言葉もあります。「浮き草のように」とか「成り行き任せ」と似ている言葉だそうです。

 自分にストレスをかけない。あまり自分を追い込まないことが、成長の鍵だそうです。ただし、ここで重要なのは、単に流れに任すのではなく、とにかく全力投球して「打たれたらしょうがない」と思えということです。打たれるんじゃないか、ダメなんじゃないかと考える前に、「結果なんて知らん」という開き直りで、ただ一点集中して全力投球するということが大事です。流されるだけでは何も解決しません。のびのびとやりなさいという教えのようです。
 変に力が入ると、実力は十分に発揮されないことがよくあります。緊張は程よい程度は地力以上の隠れた能力を引き出しますが(火事場のくそ力ですかね)、過度の緊張は何も良い結果を生み出しません。ピンチの時は人も同じです。間違いないです。
 緊張をなくすには、日々の努力、練習です。過去にこのブログで同じようなことを書きました。
「力が入りすぎてすぐにでも倒れそう」http://cafestyle.blogspot.com/2011/02/blog-post_10.html
 また、サッカー日本代表の本田圭介の口癖「準備が大事」、準備が完璧ならそこから自信が生まれます。

 とにかくはじめましょう。世の中の成功者は、10人中10人が行動が速いのが特徴です。とにかくやる。無鉄砲ではないですよ。中にはそういう方もおられるでしょうが、やってから修正するぐらいの気持ちの方が案外うまくいくのかもしれませんね。

2011年2月21日月曜日

変化は進化

 昨日、ファイナンシャルアカデミー主催のイベント「お金の教養フェスティバル2011」に参加しました。竹中平蔵さんの講演に始まり、4講演あり、最後が、東京ヤクルトスワローズ前監督の古田敦也氏の対談でした。何をやっても格好いいですね。実績を残した人は、立ち振る舞いから発言から、どれをとっても格好いいです。実績は、成果はその人そのものを変えてしまいますね。
 その中で、恩師野村克也氏から、古田氏が選手時代に言われた言葉だそうです。「変化しないと何も進化しない」これを当時の野村監督は言い続けていたそうです。でも、そうとう強権だったそうで、コーチや選手はピリピリしていたそうです。それも、のちにマネージャーとなる古田氏の、反面教師の部分だったそうです。
 成功例を持っている人ほど、変化を望まないそうです。イチロー選手がシーズン中でも、打撃フォームを変えることは、絶対にありえないことだと、依然何かで聞いたことがあります。彼は、まさに「変化は進化」を地でやっているのでしょう。でも、イチローの場合はぶれない一つの信念のもとで、変化を受け入れているような気がします。
 でも、変化を受け入れないと、いつまでも現状維持で、その場所から抜け出すことはできません。進化する手目には、今よりもさらに高めを目指すためには変化が必要だと、古田氏は述べていました。大半の日本人は、この変化を受け入れないような気がします。その風土を打破することが、何よりも必要なのでしょう。

2011年2月20日日曜日

チャンスは平等、結果は不平等

 ビジネスにおいて、いや、人生において、すごく重要な言葉です。誰にでも起業する門は開かれています。投資をする環境は誰にでも平等に提供されています。誰にでも、大金持ちになるチャンスは十分にあります。でも、その成果は、行動の結果は、人によって異なります。結果は必ずしも平等ではありません。もし、結果が平等であるなら、それは社会主義国です。今の社会主義国家でも、決して結果が平等ではありませんね。
 努力すれば必ず結果が良くなるというわけではありません。効率的な力の入れ方、効率的行動には知恵が必要で、無駄なことにいくら努力しても、非効率は解消されません。しかし、努力は必ず報われます。今まで汗を流したことが無駄だとわかることも、これも立派な成果です。次回の行動の改善点になるからです。努力した人が全員金持ちになる社会は、これはこれで不平等です。一生懸命勉強して努力して、知恵を駆使し、効率的行動を学んだ人にとっては、とてもたまらないことになります。頭が必要です。頭を鍛えることが必要です。
 努力した人にしか奇跡が起こらないのも事実です。世の中、ラッキーはありません。ラッキーを誘い込むのも実力です。それまでの行動や考え方、思考の前向きな改善が生んだ結果です。努力したのに報われないのは当たり前です。努力の仕方が間違っていたと思いましょう。
 人が、成功への方法を教えてくれることは決してありません。すべて自ら学び、自分で考えるものです。人が与えてくれないから、教えてくれないからというのは、その時点で負け組の仲間です。
 チャンスは平等でも結果は不平等です。

2011年2月17日木曜日

顔で泣いて心で笑う

 顔で笑って心で泣いて・・・は聞いたことがあります。やせ我慢のようなものですね。「男はつらいよ」で、寅さんがよく使っている言葉で、変な男の美学のように使われることがあります。
 劇中でも、何作目かで、甥っ子の吉岡くんが後藤久美子が嫁に行くのを妨害した時に、寅さんが、吉岡くんにたしなめていた時のセリフでもあります。そこに、浅岡ルリ子群するリリーさんが、寅さんに「あんたは馬鹿よ」となじります。自分の気持ちに正直になれないのは臆病で卑怯だ。女心が全然わかっていないといわれます。
 最近の男子は、女性に好きだと告白しないそうです。断られるのが嫌だからそうで、その手前で、チャレンジをやめてしまうそうです。逆に女性の方が強いですよね。どうも、若い男子とはそりが合わないようです。
 顔で泣いて心で笑うぐらうでないと男の世は渡れぬは、義母が娘に言っているシーンでしたが、女を武器に、顔で泣いて見せて男を手玉にとって心で笑うグラウでないとだめだという、したたかさを教えているシーンでした。娘の夫の浮気に気づき、知らぬふりをすればよいか、なじった方がよいかの相談の時の言葉です。我慢せずに、嫌なものは嫌だと言えとのアドバイスでした。
 いやはや女は強い。弱いところをわざと見せるしたたかさは、男の場合は、妙なプライドがありますからね。なんか妙に共感してしまいまた。

2011年2月16日水曜日

まいったといわなければ喧嘩は負けない

 私はもともと教師になるのが夢でした。小学校の先生の影響で、その先生が熱血教師で、自分も熱い先生になりたいと思っていました。大学まで、その思いは持っていましたが、大学の教職単位取得の時に、彼女におぼれて、そっちの方が楽しくなり、単位は取らずに、結局教師にはなれませんでした。
 そんなせいか、学校もののドラマには思わずはまってしまいます。ただ金八先生だけはだめでした。私がJTBに在職中、修学旅行担当で、高校の先生とよく話しましたが、みんな「金八世代」と呼ばれる教師らしく、その教師の特徴は、生徒と友達になるという感覚のようで、金八先生が現場の教師をダメにしたと、よく愚痴をこぼしておられました。金八先生は、確かに社会問題を取り上げた内容で、重厚感はありましたが、先生の立ち位置が、私の中では共感できませんでした。教師は生徒と友達でいいのか。同レベルでいいのかは疑問でした。
 いま、小学校では、学級崩壊が問題になっています。モンスターペアレントという、私には到底理解できないやからもいますが、教師の在り方、児童の悩みなど、いろんな要素がからんで学級は崩壊していくのでしょう。モンスターペアレントなるものが学校に生息していることも問題のようですがね。フジテレビでの「スクール」という番組の中での、民間校長と恩師である元校長先生との間での会話でのセリフが「参ったといわなければ喧嘩は負けない」です。心に残りました。民間校長は、くじけずに、難題に立ち向かうのでしょう。参ったとは最後まで言わないというストーリーなのでしょうが、私も絶対に口にはしません。
 学校社会こそ、民間経営者が入るべきだと思います。学校の先生に、ぜひ一般の社会人になってもらうことが大事だと思います。学校という閉鎖社会の常識を打ち破ることが学校を救うような気がします。ただ、学校側だけの問題ではないと思ます。家庭の在り方、親と子の在り方など、問題は根が深いです。今にして思えば、私は学校の先生という、とってつもない大仕事はできない、今の私のようなレベルでならなくてよかったと思います。単位を取れなかったのは、神様が私には無理だと教えていただいたのでしょうか(すいません。言い訳です)。

2011年2月15日火曜日

生きる気合とは

 生きることに気合が入っている人はすごい。この気合とは何か。一生懸命生きるとはどういうことか。志がある人は強いということか。やりたいことがある人が強いのか。
 生きる気合とはなにか。生きることに真摯であることか。
 生きる強さとは何か。生きる目標がある人は強いのか。守ることがある人は強いのか。
 生きる気合なんて、青臭いセリフかもしれませんが、命に真摯であることがすべての要なのでしょう。

2011年2月14日月曜日

固定概念を捨てるのは

 何事にでもそうですが、固定概念を捨てるのは難しいですね。
 きょう、マーケッターという方と打ち合わせをしていましたが、いい意味での裏切りが必要だという話から、逆説切り口はないかなどの流れで、固定概念を捨てるのは難しいという流れになりました。
 何の話かさっぱりでしょうが、こうくればこうなるはずだ、こうなるべきだを裏切る結果に導くことは、すごく重要だということです。
 王道、正道はあり、きをてらすことばかりがよくないこともありますが、常識を破る発想から、なにかが生まれるのではと思います。その、常識にとらわれない、固定概念を捨てることと、今までを否定することは違うのですが、そう捉える人が多く、また、今までを否定することに抵抗がある人が多いのも事実です。
 今回は、なにが言いたいのかよくわかりませんが、とにかく、いい意味での裏切りのエッセンスを磨きたいです。

2011年2月11日金曜日

先の不幸を数えることは不幸だ

 言葉の通りです。「前へ前へとすすむ人は倒れない」という言葉が続きます。先のことをくよくよ考える前に、まずは行動しなさい。リスクを考えてもはじまらない。
 捨て身になり、体を張ることも大事です。頭であれこれ考え、ぬかりのないように考え安全に動くことも大事ですが、ぬかりのない方法は、安全でその場はしのげても、その先にはつながらないものです。
 危険は避ける方法とぶつかって壊す方法があります。時と場合においては、自ら血を流す覚悟でぶつかることも大事です。
 前だけを見て、前へ前へと進む。当然、その責任は自分にあり、自分の内面では血を流すこともあるのでしょうは、とにかく前へ進む、とても重要なことです。

2011年2月10日木曜日

力が入りすぎてすぐにでも倒れそう

 頑張ろう、頑張ろうとして、つい力が入ることってありますよね。握りこぶしをめいいっぱい握って生きている人もいますよね。負けてたまるかの思い、責任感が強すぎて出るときだなど、力が入りすぎて今にも倒れそうな感じです。そんな時には、決して良い結果が生まれないことが往々にしてあります。力を抜いて考えたほうが、名案が浮かぶことがあります。
 そんな時は、わざと、あえて弱音を吐いてみる。恥ずかしいと思うことを口に出せば力は抜けるものです。これでもう倒れることはない。火事場のくそ力以外、力が入りすぎて良い結果は生まれません。スポーツでもそうですよね。
 子供のころの悪戯ををするつもりの感覚で、存分に楽しむ気持ちになれれば問題ないですね。楽しむ感覚はなかなか持てないかもしれませんが、気楽にいきましょう。

2011年2月9日水曜日

理がたちすぎれば成り立たず

 やはり、あるドラマの中でのセリフです。ものの本には、理とは理屈・道理を意味すると書いてあります。この後に「命がけの思いが人を動かす」「理におぼれると心が沈む」と続きます。
 理屈ばかりこねても人の心は動かすことはできない。本気で、命がけで相手と向き合わなければ、なるものもならないと諭しています。捨て身の思いが喜びとも表現しています。
 ものの道理も時と場合には大事です。道理に物事が成り立つのも真理です。しかし、いざという時に、切羽詰まったときに、人の心を動かすのは本気の心、命がけの思いが窮地を救うのです。理は時として邪魔になることがあります。理がたちすぎると成り立たず。理におぼれると心が沈むことになるのでしょう。
 本気の心とは、命がけの思いとはなんでしょうか。

2011年2月8日火曜日

天職と適職は違う

 ずいぶん以前に誰かに聞いた言葉です。魂が求める仕事と、お金を稼ぐ仕事は違うということだそうで、何もスピリチュアルな話ではなく、本当にやりたい仕事と、お金を稼ぐ仕事は違うということです。
 やる意義のある仕事や行動はありますが、お金に直結していないこともたくさんあります。武士は食わねど高楊枝というわけにはいきませんからね。
 それでも、世のため人のために行うことは、まわりまわって、自分にもよいことが巡ってくるものです。因果応報ですかね。
 今の仕事が本当にやりたいことではないといって、簡単にあきらめるのではなく、それが人のためになっているのであれば、まずはとことんやりぬくというのも大事だと思います。転職は決して後ろ向きなことではありませんが、転職の仕方、動機が大事です。
 私も転職経験がありますが、転職により、サラリーマンでの社内競争に背を向けたのは事実です。いまだに、出世している同期たちには心から尊敬します。私はそのレースから逃げ出したのですから。今は自営ですが、あのままサラリーマンを続けていたら、はたして出世していただろうかと考えます。
 人それぞれに、必ず天からの使命があります。それを日頃の仕事で行うのか、違う場面で行うのかは異なります。天職と適職、考えさせられますね。

2011年2月7日月曜日

ワンピースにはまっています

 遅まきながらワンピースにはまっています。もうずいぶん前から世間ではワンピースブームのようですが、今更ながら感動しています。昔のワンピースを知らないので、登場人物の相関関係がよくわからないので、なぜこうなったのかという背景もわからないですが、それでも十分楽しめます。
 インターネットを駆使して、なんとか過去のストーリを埋めようとはしていますが、何せここまで50巻以上も単行本が出ているので、なかなか全容はつかめません。
 芸能人でもワンピースマニアが多くいるとか。サラリーマンの飲み屋での会話も、特に若者は政治よりもワンピース、文学よりもワンピース、歴史よりもワンピースという感じです。
 電車の中で、若いサラリーマン同士の会話で、「あの先輩は七部海側の人だね」とか「あの上司はエロエロに身を食べている」などの会話が飛び交っていました。
 毎週日曜日が楽しみになってきました。いい大人がとは思いますが、おもしろいです。

2011年2月5日土曜日

どうにかしたいことがあったら人は何とかするもの

 これは、今の大河ドラマ「江」の中の、信長の言葉です。江が信長に、家康の正室と長男を殺させた真意を問いただした時に、「秀吉にねねを殺せと命じたら、許しを請うか、自分が死ぬ」と言い、「家康は頭がよいので考えての行動」と江に諭した。そのあとで、「妻の代わりに死ぬ男を決して手放さない。自分の命で身内にまで手をかける男を決して裏切らない」と続けます。
 上司と部下、人と人との関係なのでしょうか。何やら奥が深すぎて、最も人の生き死にが題材となっているせいでもあり、すっとは心に落ちませんが、考えさせられました。
 ただ、その中で、人は追い詰められたら、何とかしなければならないと真剣に考えたら、必ず何とかするものだということが、心に響きました。すごいセリフです。でも、それを信長は人に押し付けているということですからね。人をその状況に追い込んでいるということになります。人を試しているのかと疑われますね。すごい試し方ですが。
 歴史上、大河ドラマなどでも、織田信長という人物はこのように描かられることが多く、実に興味深い人物です。信長は本当は優しい人だ、天下布武というお題目を唱え、平和を願うなど、人間的な面を前面に出すとらえ方と、神をも恐れぬ極悪非道を前面に出すとらえ方と、ドラマの構成によって異なりますが、単に、事実だけで織田信長という人物を見てみたいと思います。そこで自分は何を感じるのかに興味があります。
 戦後や幕末、いつの時代も乱世に使命を持って生まれてきた人の生きざまには、本当に興味がそそられます。

2011年2月4日金曜日

トップが駄目だと、材料がよくてもだめ

 ファンドマネージャーがよく言っていますが、当たり前の言葉なのですが、どんなに業種が上向きで、その流れに乗ったいい材料を持ていても、それを動かす人間が駄目なら、企業業績は上がらないとのことです。
 ファンドマネージャーは、多くのお金(ファンド)を動かしています。どこの企業に投資するか(株を買うか)で、お金を増やすか減らすかの、両極端な結果を生み出します。それだけ、銘柄選択には慎重になります。単にデータだけで判断するのではなく、直接、企業トップにインタビューして、投資するかどうかを判断します。企業は人が動かしているということです。
 ある企業ですが、セクター(業種)では、非常に伸びているところですが、社長が株好きで、積極的投資がやりすぎているところがあり、案の定、同業他社との業績の格差は広がり、株価は伸び悩んでいます。
 トップが駄目ならすべてがダメだ。ITが進んでも、最後は人間が大事です。

2011年2月3日木曜日

俺はお前を信じている

 長友選手がイタリアに旅立ち、ザッケローニ監督もイタリアへ一時帰国。これで、あの興奮したサッカーアジアカップから、いよいよ次の感動を求めることになるのでしょう。
 監督と選手とのコミュニケーションが話題を呼んでいます。次々と、監督選手間の会話の内容が明らかになっていますが、GK川島がミスをして失点した後の試合で、ザッケローニがかけた言葉が「俺はお前を信じている。」だそうです。くぅ~泣けますね。こんなことを言われて奮起しない人はいませんね。
 サブの選手たちにも「困ったことはないか。必ず出番はある。」と言い続けたそうです。こんな上司だったら仕事バリバリ働きますね。上司にしたい人ナンバーワン間違いなしですね。
 言葉は大事です。言霊ともいわれ、言葉が出すエネルギーはそれはすごいものです。マイナスのメッセージは、本当に凶器ともなりえます。それだけ言葉は重要です。褒めるばかりが能ではないですが、言葉が秘めるパワーは大事にしたいものです。
 オーストラリア戦前日にザッケローニ監督が本田選手にかけた言葉「あすはプレーするのではない。勝つんだ。」もう格好良すぎます。

2011年2月2日水曜日

成功は約束されていないが、成長は必ず約束されている

 ザッケローニ監督が、選手たちに語っていた言葉だそうです。選手とコミュニケーションを大事にする監督で、まさに名言がいっぱいです。 控えの選手にも心配りが凄く、必ず活躍する場がめぐってくると言い続けていました。
 この言葉も、選手にやる気を与えてくれるものですよね。結果は、いろんな要素が絡みます。実力がなければ運はめぐってこないし、努力した人にしか運はやってこないですが、約束されているものではありません。しかし、努力は、直接の結果ではないにしても、必ず報われます。

2011年2月1日火曜日

批判されて本物

 アメリカに渡ったときに感じたイチローの言葉です。
 「おまえはすごい。ぜひ一緒にやろう!」という褒め言葉ばかりだったそうで、まさにリップサービスです。でも、イチローが感じたのは、褒める時より批判された時が本物だということだそうです。
 確かに、どうでもいい人に対しては、無難に接するようにしますが、本当に考える相手には、苦言も呈したくなりますが、それは相手への期待の表れでもあります。ましてや、一流選手にとっては、批判は、まさに最高の評価なのかもしれません。
 でも、批判を評価と受け止める精神も凄いことです。それは、自信の裏打ちがあってのことなのでしょう。

 批判されて本物です。批判もされないようではダメということなのでしょうか。批判されるというこよは、批判対象をよく理解しないとできないことですからね。

2011年1月31日月曜日

どこの番組もサッカー、サッカーです

 おめでとう!!日本サッカー代表アジアNo1!!
 ザッケローニ監督の采配への絶賛、各選手の素晴らしいパフォーマンスに拍手喝さいです。ゴールを決めた瞬間の選手の歓喜の表情、一生懸命から生まれるドラマは最高ですね。スポーツは本当に感動を与えてくれます。各ゴールシーンがくり返しテレビで流れますが、見るたびに目頭が熱くなります。
 一生懸命から生まれるドラマは、本当に感動します。ザッケローニ監督は「相手が自分に合わすのではなく、自分が日本の風土に合わせるのだ」と、就任時に思われたそうです。選手とのコミュニケーションを大事にする姿勢はそこから生まれてきたのでしょうか。素晴らしいですね。
 2月は、日本のプロ野球ではキャンプインです。冬のスポーツに続き、夏のスポーツも動きいだします。テニス・全豪オープン、ゴルフ・マスターズ、わくわくしますね。

2011年1月30日日曜日

袖振りあうも他生の縁

 青山で旅行社を経営している人がいます。彼が好んでよく使う言葉に「袖振りあうも他生の縁」という言葉があります。
 この意味は、道で知らない人と袖がちょっとでも触れあうようなささいなできごとでも。そんな単なる偶然ではない。どんな些細な出会いも大切にせよという意味です。「他生の縁」を「多少」と理解している人が多いようですが、感じでは「他生」と書きます。「多生」とも書き、これは今の世の中ではない、ほかの世の中、つまりは前世などで、袖振りあった人も、前世からの因縁があって今袖が出会ったと解釈します。縁とはそれだけ深いものなのですね。
 人はこの世に、必ず前世からのメッセージを携えて生まれてきています。生きるということには、必ずそれぞれに使命があるのです。
 出会いは大事にしたいものです。

2011年1月29日土曜日

サッカーが盛り上がっています

 サッカーのマーケティングは大成功ですね。Jリーグ発足前は、国際試合でも、こんなに盛り上がっていなかったですよね日本が一つになって「ザック・ジャパン」を応援しています。今まで、サッカーを知らなかった人までも盛り上がっています。
 野球も、サッカーをまねてWBCなる国際試合を、アメリカの都合でルール変更しながら開催されています。サッカーも「中東の笛」なる、実に不公平な部分はあります。嫌な部分ですね。
 でも、その完全アウェーの中を勝ち抜く、今回のサムライたちの姿は、まさに美学ですよね。
 いずれにしても、日本のサッカーは、素人目で見ても、間違いなく強くなっています。すごい。今までは、一人のスーパースターが全体をひっぱていますが、今の代表には、かつてのスーパースターレベルの選手がたくさんいて、また、チームワークによる相乗効果があるのでしょうか。素晴らしいですね。日本も捨てたもんじゃないですよね。国債格下げがなんだ。不公平なルールに負けるな。

2011年1月28日金曜日

土を掘って水を流せ

 ソニー創業者、井深大氏の言葉で、最初に開発したテープレコーダーの販売時の時のセリフです。
 「いいものを作れば必ず売れる」というが、創業者井深氏、盛田氏のポリシーであったのですが、アメリカで注目の商品を独自に開発したテープレコーダーが全然売れなかったそうです。値段が高いのもそうですが、「商品はいいですね」という販売者側の感想はいただくも、実際の注文はなかったそうです。
 その時に、営業の大事さを理解したそうで、市場は自ら作れという理念で、従業員にかけた言葉が「土を掘って水を流せ」だったそうです。
 その後、裁判所の記録手段として売れ始め、学校でも注文があったそうです。なるほど、必要としているところは必ずありますよね。あきらめない執念のなせる技でしょうか。この商品の利便性からどこが必要とするかを考えることが大事です。勉強になります。
 その後、アメリカに単身で乗り込み、アメリカ相手に一歩も妥協しなかったというのは有名な話です。そのときの従業員募集のキャッチフレーズが、「英語を話せて、アメリカ人とケンカできる人募集」というという内容だったと思います。おもしろいですね。

 ソニーや松下、戦後という、日本が敗戦から立ち直ろうとしているところでの、民間企業が社会に対して何ができるかが、はっきりとしていて、また、日本国民が元気になるという、はっきりとした、また高い志で、起業する姿勢は、素晴らしです。
 今の世の中において、社会に何ができるのか。複雑な社会構造、完全に裕福になった日本人に対しての貢献は、今は精神的なものに集中しているようですが、まだまだ、井深氏、盛田氏、そして松下幸之助氏のような、高い志を持た経営者は必要です。技術論ではなく、その奥の深いところの理念が重要であることをもう一度考えたいです。

2011年1月21日金曜日

面白いことは自分で探すもの

 「面白いことは自分で探すもの。頭の悪いものは、人から与えられることを待ってばかりいる」
 あるドラマの中のセリフです。自分の立場が理解されず、周りからも評価されないで悶々としていて、愚痴ばかり言っている人に対しての、値㏍らの天真爛漫な人が説いている場面でした。
 この前向きな考え方は非常にいいですね。頭の悪い人を表現しているところも面白いです。人から与えられることしかできない人は、確かにつまらないでしょうね。それを楽しいと思う人もいるでしょうが、神速歓びを感じているかどうかは別ですよね。憧れは、きっと別のところにあるのでしょうか。
 頭の悪い人は、なにも勉強ができないということではないでしょうが、勉強はできたほうがいいですね。「勉強だけがすべてではない」と、社会勉強のほうが大事といういう人がいますが、それは勉強ができないことに言い訳にしか聞こえなくなってきました。勉強は、分からないことを理解できる素晴らしいものです。学生時代に勉強するのは、勉強の仕方を学ぶもので、数学も古典も大事です。社会人に名て勉強の仕方を知らない人がたくさんいます。
 話はそれましたが、試験の点数は悪くても、頭のいい人は自分で面白いことを見つけてくるのでしょうね。

 このシーンとは別のところで、その人が言っていた別のセリフです。
 「人は食べて歌って恋をして、この三つだけをしているに限る。そのような者には決して貧乏神は近づけぬ。
また恋をしなされ。そのほうが道は開けますぞ。」時代劇だったので、セリフの言い回しが独特ですが、実に面白い内容です。思わずメモしてしまいました。

2011年1月17日月曜日

演説に必要なこと

 海部俊樹元総理が、演説に必要なこと都としていくつか挙げていたのを見ました。早稲田雄弁会の出身で、ご自身も演説上手との評判だった総理だったそうです。「演説は人々の魂に彫刻する芸術である」とも称しています。
 演説に必要な3つのことは「正直さ」「人間味」「誠実さ」だそうです。演説に限らず、いろんな場面で必要される要素のようです。
 海部元総理の演説のテクニックも披露されていました。まず、聴取者の中で、自分と敵対する人、自分を認めない人をじっと見て演説すること。反論しづらくなるそうです。次に、いきなり本題に張らず、最初の3~4分は
地元の話や種変の身近な話題に触れるとのことです。最後に嘘をつかないこと。知ったかぶりはNGとのことです。
 演説だけでない、すべてのことに言える内容ですね。

2011年1月13日木曜日

負けを知ることが大事

 成功のためには、必ず「負け」を知ることが必要です。「負け」から、次へのステップが生まれます。「負け」を知らない人に人を掌握することはできません。
 負けた時の考え方が大事です。客観的に負けを分析し、勝つための手段を模索します。次回、「負け」を繰り返さないためにも、反省は必要です。
 今成功している人は、必ず一度は大きく負けています。今「負け」を体験している人でも、必ず「勝ち」は転がってきます。いや「勝ち」を引き寄せるのです。そのために今負けているのです。

2011年1月12日水曜日

天下の主を目指さなくて一国の主などなりえない

 CS放送でかつての大河ドラマを放送しています。銀河チャンネルで「毛利元就」が放映されていて、そこでの幼い元就のセリフです、長男ではないので、このままでは一国一城の主になるのは難しいです。そんな状況下での、元就の厳島神社で祈願したセリフです。
 「天下の主を目指さなくて一国の主などなりえない」大きい目標を見据えないで、小さな目標はかなわない。「一国の主を目指していては実現しない」深い言葉です。
 目の前の課題をコツコツと解決することは重要です。大志はもっと大きいところに見据えないと、目の前の小事も実現できない。己を常に高みに置き、常に高みを目指す姿勢こそ、夢を実現するためには必要なことです。

 毛利元就は安芸の群雄割拠する一小国に過ぎないところから西国一の大大名にまでのし上がっていきました。武力を門汁のではなく、常に調略をも落ち、小国なりの戦い方で、大国に勝っていった知将でもあります。学ぶべきところは多いですね。

2011年1月11日火曜日

パワースポットブームですね

 今朝、伊勢神宮の映像がテレビで流れていました。すごい人で、行列ができている状況でした。各地のパワースポットと呼ばれる芭蕉あ似たり寄ったりなのでようかね。
 パワースポットに行けばいいというわけではありませんよね。そこに行く心構えや日頃の鍛錬が重要ですよね。精進というのでしょうか。
 パワースポットめぐりをしているわけではありませんが、毎年12月1日には熊野三山めぐりをしています。これだけは四年続けています。今度は大神神社も加わるかもしれません。神社めぐりは結構やりますね。
 毎日、神棚に感謝のお参りをしています。それだけでもパワーをいただく感じがします。やはり日頃の精進が重要ですね。

2011年1月10日月曜日

アスリートの凄さは

 アスリートはすごい。その技術の高さはもちろんですが、練習への取り組み、なにより、その競技に対する人並み以上の愛情の注ぎ方、そして、その競技に対しての真摯な姿勢が、一流と呼ばれるプレーを見せ、人を感動させるのでしょう。
 アスリートが、他のアスリートに敬意を表するのは、その極限での精神力、逆境で強さにリスペクトしているようです。テレビでトッププロ同志の対談を聞いていると、その部分を強く感じます。一瞬の、ここという時に力を発することができるのが「プロ」です。ここがアマチュアとの違いなのでしょう。
 女子プロゴルファーの宮里藍選手が「もしゴルフの女神さまが一つだけプレゼントしてくれるとしたら何がいい」という質問に対して、「強い精神力」と答えていました。その分野で技術が高いのは当たり前で、なにより、精神力の強さが重要だそうです。
 いざというという時に最大の力を発揮するために、大変な量の練習を積み重ねるのだそうです。契約更改を有利にするために、シーズン後半にホームランを量産する選手よりも、ここ一番に強い選手が感動を与え、印象に残ります。数字ではあらわされない部分なのでしょうかね。
 スポーツは筋書きのないドラマだとよく言います。彼らの、真剣な、体を張ったパフォーマンスに加え、あの強い精神力、見習いたいものです。

2011年1月7日金曜日

薄利多売からの脱却

 デフレが叫ばれてからずいぶん経つます。というよりも、一回もデフレから脱却していないような気がしますね。世の中は、モノの値段が上がり、コンサルタントの方も、高い根付でのものの販売に消極的な意見が聞かれます。あまり値段が高いと売れないのではとの発想から、物事を組み立てているような気がします。
 でも、昨年から、その流れは変わっているような気がします。薄利多売から高少売とでも申しましょうか、いいものは高くても売れるという感じです。むしろ、いいものを作って売る、いいサービスに値段がつくという感じです。
 じゃあ、いいもの、いいサービスってなんなのでしょうか。顧客が求めているものなのでしょうか。

 いずれにしてもお金を持っている人は、いいものが買え、いいサービスが受けられるというもので、お金がない人は、やはり値段そのものが安いものにしか手が届かないのでしょうね。
 いいものを、あまねく広く、いろんな人の手に届けられれば良いのですが、資本主義の基本で、貧富の差は否めません。
 
 士業と呼ばれる人、コンサルタントと呼ばれる人は、高額所得者を常にターゲットとしています。薄利多売よりも高利少売、すごくわかるのですが、人を救うという観点からではどうなのでしょうか。所詮、営利とボイラティアは相反するもので、同じ土俵で考えてはいけないのですね。

 いずれにしても、これからの経済活動においては、価格競争からの脱却が進むと思われます。

2011年1月6日木曜日

下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し

 言葉の中の「一寸」は3cmです。
 戸や障子の閉め方一つで、その人の品性がわかるそうです。品性の卑しい者は、戸や障子を占めるときに一寸ぐらい締め残し、のろまは三寸ぐらい締め残し、馬鹿は開けっ放しにするという意味だそうです。「下種」とは、「下衆」とも書き、品性が劣っていたり、能力が不十分であったりする者のことです。
 今の家では、障子やふすまは少ないですが、現代版の馬鹿は、「とびら」を開けっ放しにするのでしょうか。最後まで扉を閉めないのが「下種」でしょうかね。
 とびらをあけたら、後ろを振り向いて、きっちりと占めるというのは習慣の問題です。家庭のしつけでしょうかね。子供は子供、親は親とは言いますが、子供のすることはその家庭がみられることで、イコール親の評価でもあります。そう思わない親が多いのでしょうか。
 この言葉はインターネット上で、ふと見つけた言葉なのですが、なぜか心に残って書き留めたものです。自分を振り返ると、きっちりと戸は閉めていると思います。だからと言って「下種」でないとは言い切れませんかね。

2011年1月3日月曜日

成功している共通点「限界を決めつけることはダメ」

 私のクライアントで成功している人には共通点があります。それは、自分の能力に限界をつけないことです。「やらなければならないときはやるしかない」という感じです。
 今目の前にあることを解決することに対して、自分の能力を理由にあきらめることはしないという発想です。それゆえ、人を雇う時も「上を決めつける人は一緒に仕事したくない」そうです。自分で限界を作る人とは一緒にいたくないと言われます。
 「夜寝る一時間も仕事をする一時間も同じ」
 体力的にどうかとは思いますが、成功している人は本当に寝ませんね。「寝る間も惜しむ」ということを実践している人が多いです。
 成功する人と、成功を求めない人とは明らかに違います。 

2011年1月2日日曜日

「運」は努力した人にしかこない

 「運」は努力した人にしかこない。「運」はあきらめない人の上にくる

 「運」も実力のうち。精神と肉体を鍛錬した人にしか運はこない。

 「○○」さえよければできたのに。「○○」があればできたのに。ということばかり言う人に明日はありません。「運」は実力で引き寄せるものです。そもそも「実力」場ない人の所に「運」はやってきません。
 まずは、自分を鍛え、「実力」をつけたら「運」がやってきます。

 自分を磨くことが大事です。