2011年3月28日月曜日

世のなかには白と黒と、そして灰色がある

 もともと世の中には白と黒しかないのでしょう。年齢は、若ければ若いほど、白と黒しか目に入らないようで、年とともに、その中間色が見えてくるのでしょう。それが灰色です。
 若いうちは、片目ずつしかものを見ることができないので、黒色と白色しか認識できないのですが、年齢とともに、経験というフィルターを通すことで、両方の目で、ものを見るようになり、その中間色を認識するのでしょう。やがて、中間色しか認識できなくなり、その原点が黒だったのか白だったのか、分からなくなる、いや、どうでもよくなるのでしょう。何せ、片目でものを見るのはしんどいですから、良穂の目でぼんやりとみることに慣れてきてしまいます。そのほうが楽ですからね。
 しかし、世の中というものは、往々にして灰色がうまくバランスが取れることもあります。灰色しか見えないことが幸せと感じる時もあるのでしょう。そうやってみんな大人を演じていくのでしょうね。
 哲学めいた話ですが、受け止め方は人それぞれかとは思います。

2011年3月27日日曜日

形は鬼なれど心は人なり

 主君がどうしようもない人で、家臣も愛想を尽かし、領民も不信感を募らせているときに、心ある家臣が、国のため領民のため謀反を起こすというストーリーでの、その家臣の心内を表現したものです。
 大事なもののためには、ことをなす時には、場合には鬼にならなければならないが、心は人です。その評価は誰がするのか。部本が正しいというのは、本人の判断で、それは本当に正しいのかどうかは歴史が判断するのでしょうか。
 心は人のままということは、私利私欲のために行うものではないとのことですが、そこには愛が必要ですね。

2011年3月24日木曜日

人が天下を望むのではなく、天下が人を望む

 「人が天下を望むのではなく、天下が人を望む」この後には「器量がなければ天下は望まない」と続きます。いくら自分が欲しいと思っても、環境が、周りが、人が、世の中が望まない限り、其の人は選ばれない。自分をもっと高めない限り、天は選んでくれない。

 自分は何か持っていると、アスリートの中ではやっている台詞のようですが、何か持っているとかいないとかは、天が決めることですね。ここぞというところで力を発揮することが、何かを持っている証拠になるということでしょうか。

 歴史ブームのようですが、戦国時代に、天下が認めた人物はだれなのでしょうか。明治維新のときに、天下が求めたのは誰か。
 平成の乱世で、求められた人物は、小泉純一郎氏と言えるのかどうか。今は乱世のようなものです。今求められている人物はだれなのか。天下が望む人とは。少なくとも都知事選に出馬している人ではないような気がしますが、今の政治の世界にいるのでしょうか。それともこれから現れるのでしょうか。

2011年3月23日水曜日

つらいことは夢中になるから面白い

 つらいことは夢中になるから面白い。つらいことは後から面白くなる。

 戦国時代を舞台としたドラマでの、窮地に追いやられた武将の家族の会話の一節です。ものは考えようとはこのことでしょうか。つらいことは、とにかく必死で、何とか難局を乗り切ろうとします。夢中になるということなのでしょう。
 でも、その時のことは、後から語ることができるようにもなります。時間がすべてを消化してくれます。時は残酷でもありますが、優しくもあります。
 不謹慎なセリフのようですが、ものは考えようとはなかなか思えませんが、必ず青空は見えてきます。

2011年3月18日金曜日

東北地方へいこう!!

 必死で、東北地方は復興へと向かっています。津波被害の家屋はまだまだで、仮設住宅もこれからの状況ですが、道路の復旧、ガソリン供給源の復活など、震災から一週間ですが、猛スピードで回復にみなさん努力していただいています。原子力発電所も、普及不眠で大惨事抑制に戦っておられます。

 東北地方の経済の復興の、私たちにできることは、東北地方にどんどん行くことです。大手旅行社を中心に、全国会議を東北地方の温泉地で行う。東北地方に旅行に行く。東北地方の食料品を買う。東北地方の生産物を買うということです。とにかく風評被害だけは防ぐようにしたいです。特に、福島県の、原発エリアは、この問題が解決すれば、原発自体は止まっていますし、海水を浴びているので、今後稼働することはありません。めっちゃくちゃ安全なところとなっています。どんどん福島に行きましょう。

 同じ日本国です。日本を救いましょう。皆で東北地方を盛り上げましょう。がんばれ、東北!!

2011年3月16日水曜日

心温まる節電ポスター

節電をお願いするポスターの言葉が、非常に心温まります。日本人って素晴らしいと、本当に思います。

 電気と一緒に心が届く
 未来に明かりを届けるために
 消すとわかるよ、電気のありがたみ。そのありがとうを被災地のみなへ 届け
 この瞬間 消えそうな命が同じ日本にあることを
 節電でつながる命がそこにあります。 消さないでその命。

読んでて涙が出そうな、温かい言葉です。 

http://setsuden.tumblr.com/

小さなことでも、私たちができることを考えましょう。

2011年3月14日月曜日

写経して、お祈り申し上げます

 被災地の方々のご心痛、いかばかりのものか。その場で立ちすくむ人や、身内の方を探しておられる姿、家が流される映像、見ているだけで涙が止まりません。
 祈ることしかできませんが、今日は写経をします。明日、それを納めに行こうと思います。

 一刻も早く、被災地の方々の生活が元に戻りますように、心がいやされますように、心よりお祈り申し上げます。また、救援の方々、本当にありがとうございます。

2011年3月11日金曜日

坂上二郎さんの忘れられない言葉

 坂上二郎さんが亡くなられました。苦労人として知られるかたで、忘れられない言葉があります。それは苦労人ならではの言葉です。「苦労は買ってでもしろというのは嘘です。苦労はせずに済むならしないほうがいい」
すごいうんちくのある言葉です。それは坂上二郎さんならではの言葉だと思います。
 若いうちの苦労は、のちの肥やしになるとはよく言いますが、あえて、坂上二郎さんは、苦労なんかしなくてすむのであればしないほうがいいとおっしゃっておられました。
 これは究極の言葉です。究極の名セリフです。どんなに素晴らしい言葉よりも、重みのある言葉です。

2011年3月10日木曜日

自分の心と向かい合いましょう

 心と向き合うのは、簡単なようで難しいものです。今の自分は、それまでの生き方や、環境から、必要以上に鎧をまとってみたり、猜疑心が強くなったりしているもです。また、自分では気づかない、幼いころの記憶が、自然と今の自分の性格を、行動を作っていることもあります。そんなことは、自分では気づかないものです。
 でも、ふとしたことで、たとえば実家で親と話をしているときとか、子供のしぐさを何気なく見ているときとか、自部の忘れていた感情をふと思い出す時があるようです。その感覚を大事にしておくことが大事ですね。自分と向き合う訓練になるのでではないでしょうか。
 私は日ごろ、ふと思ったことを書き留めているようにしています。心に思ったこと、頭の中で誰かが言っているような気がした時の言葉など、なんでこんなときにこの言葉が浮かんだのだろうと思うよなことも、心に留めておくようにしています。すると、あとで、その言葉が必要な場面に出くわすことがよくあります。それがとても重要なことであったりします。
 話があちこちに飛んでいますが、自分の心と向き合うのは難しいものです。本当は、のどから手が出るほど欲しいはずなのにとか、わざと別の顔をするとか、人には余計なプライドというものがあるのですね。自分のことは自分が一番よく知っています。だから、悩んだときは自分に聞きましょう。生きてくた事、上眼れてこの方の体験や感情は、すべて自分の細胞にしみ込んでいるそうですよ。だから、悪いことも、恨みつらみも、すべて自分の細胞にしみ込んでいるそうです。体を洗うがごとく、きれいな体でいるには、思考を変えることであるいうことは、なんかよくわかりますね。

2011年3月9日水曜日

あまりの苦しさに負けてしまいそうなときは

 あまりの苦しさに負けてしまいそうなときに、親を、家族を思い出せ。ある人の言葉ですが、今の家族状況をみていると、その家族に問題を抱えていることが多いですね。親しい人顔を思い浮かべれば、どんな苦しいことも乗り越えられるということなのですが、今の社会問題には「孤独」があります。あまりの苦しさに負けてしまいそうなときに、親を、家族を思い出せという言葉も、今の時代には修正が必要なのでしょうか。
 
 苦しい時に「孤独」は、絶望の淵に追いやる元凶なのかもしれません。コミュニティの重要性はうなづけます。
 NHKで、「友達作り」のサークルのドキュメントがありました。子育中のお母さんの悩みを話し合うサークル作りの内容だったともいます。出身地ごとに円卓を囲み、自己紹介し合うというものでした。

 このブログでも書きましたが、「友達」とは、心配してくれる人ではなく、自分が心配する人がいるということです。ただコミュニティを作って、「孤独」ではないという環境をつくることが、「孤独を感じている」人の心を解決することではないような気がします。自分から誰かを心配する人がいることを実感してもらうことが必要だと思います。しかし、そもそも、孤独感を抱えている人が、自分から他人にアクションを起こすことができるのでしょうか。奥が深そうな話です。

 自分がいないと、誰かが困るということを分かってもらうことが必要です。あなたの存在は、必ず必要なのです。「おらんでええという仲間はひとりもおらん!!」昨年のNHK大河ドラマ龍馬伝の中の、龍馬の海援隊のメンバーへの言葉だったと思います。この世の中、みんな生きる意味があり、使命を持って生まれてきています。

 新の友達作りは、現代においては難しいことなのでしょうね。

 

2011年3月8日火曜日

不幸を数えることはよくない

 先々の不幸ばかりを数え上げて、あるかないかの不幸を予測し、己の動きを押しとどめることはおろかなこと。考えることばかりで、安心を追いかけるあまりに行動が鈍ることへの警告です。
 誰でも先々は不安なのものです。用意周到といえばそれも大事なことです。無鉄砲がよいことではありません。しかし、考えるあまりに行動が鈍ることはよくありません。動いて初めてわかることもあります。動きながら考えることもありですよね。
 考えることは大事で、想像力は大事です。それと行動、動きがリンクすることはありません。行動は、思考とは別のような気がします。成功者といわれる人は、決して動いていないことではありません。熟考はしていますが、それでも必ず何か動いています。
 動くことは重要です。動いて「なんぼ」ですかね。とにかく動かないとなにも始まりませんからね。

2011年3月7日月曜日

名将と呼ばれる者は、みな悪徳と背中合わせに生きている

 歴史上の人物でも、一代を築いた人は、どんな人でも、光と影があると言われています。どこか非情であるところがあります。小泉純一郎元総理が、郵政解散での刺客と呼ばれる対立候補者を擁立するときにも「時には非情に徹しなければならない」と言っていました。
 戦国武将の織田信長の非情さは有名ですね。土佐(高知)の山内一豊の長宗我部氏勢力の一掃にも、非情な手段を使っています。どちらも名将と呼ばれています。
 名将と呼ばれる者は、みな悪徳と背中合わせに生きています。大なり小なり、いろんな事はあります。大きなことをするときは、小さな過ちは仕方がない。これも、よく言われれうことです。
 後者の部分は、正しいかどうかはわかりませんが、人には必ず光と影があり、片方でその人物を判断してはいけないということなのでしょう。
 

2011年3月5日土曜日

謀多きは勝ち、少なきは負ける

 西国一の大名までに上り詰める毛利元就の言葉です。もともと、これは出雲の国人、尼子経久の言葉で、大河ドラマ「毛利元就」では、尼子経久役の緒方拳の、劇中での「謀多きは勝ち、少なきは負ける。戦いの世に生きる男のありようだ」というセリフがあります。

 相反する表現で「策に溺れる」という言葉もあります。おそらくこれは。基本があって、王道があって、奇策があるということで、何事も小手先だけではだめだ、芯がしっかりとしていての奇策ということなのでしょう。「奇策は危険を伴う」とも言われていますが、リスクを取らなければ戦局は好転しないこともあります。王道を貫くだけが戦略ではありません。どうせ敗れるなら王道の方が悔いは残らないと言う、武士道のような考えもありますが、負けを前提に戦をする人はいません。

 「情報がすべて。戦う前に結果は見えている」「戦は始まった時にすでに勝敗は決している」「戦わずして勝つことが本当の戦だ」すべて、毛利元就を主人公としたドラマのセリフですが、すべて正しいですね。今の時代にもばっちりと当てはまる言葉です。本田圭介の「すべて準備が大事」に通じるものがあります。「試合の勝ち負けは練習で決まる」「練習は正直」これらもアスリートの言葉ですが、戦うものすべてに言えることです。イチローは練習の仕方にこだわるそうです。効率的ということですね。

 戦国武将からは学ぶことが多いです。「戦」の世の中は嫌いですが、皮肉にも、乗り物やインターネットなどは、軍事により発展したものです。便利の裏側に、多くの人の命が失われていることを忘れないようにしたいものです。

2011年3月4日金曜日

ストレスフリーの生き方をしたいですね

 決まっていることはじたばたせずに楽しく受け入れる。とても楽な生き方ですね。一方、最後まであきらめずに戦う。これも必要な生き方ですね。この両方の生き方は相反するものなのでしょうか。

 最後までもがきにもがいて、結論が出るまでは、絶対にあきらめない姿勢が大事です。でも、どうしようもない結果が出たとき、それはその事実を受け入れて、後はなるようになるさの、ケ・セラ・セラがいいのでしょうね。でも、その境地に入る前提として、それまで一生懸命頑張るということです。ここまで頑張ったのだからと、自分に納得することですね。ケ・セラ・セラだけでは、後悔が付いて回りますからね。

 「ストレスフリー」はいつもキーワードです。どんな局面でも、仕事でもプライベートでも、とにかくストレスフリーが望ましいですね。
 しかし、日々、生活をしていると、多くの場合、ストレス賦課の場面は多くあります。ストレスをいかに逃がすか。ストレスとの上手な付き合い方が、心のメンテナンスなのでしょう。常に自分の行動に納得するように心がけ、当然、その行動を起こす前には、十分な準備が必要で、その考えに至った経緯に自信を持ちます。検証は確固たる裏付けによる行動でない限り、原因解明はできませんからね。その行動の前提が正しいのかどうかはわかりません。あとは結果を待つ。結果が出た後はケ・セラ・セラですね。

2011年3月3日木曜日

友達ってなに

 大人になると、なかなか友達って作りづらくなりますよね。
 いざという時、自分が困っているときに手を差し伸べてくれる、助けてくれる人が友達だという定義は間違いです。自分が心配してあげる人がいる。自分がいざという時に何とかしてあげたいと思える人が友達です。相手が自分にどうしてくれるかを計るのではなく、自分が心から、何かをしてあげられる人かどうかが重要なのです。

 自分の弱さを見せられる人が友達なのでしょう。自分から、実は駄目な人間なんだと言えば、相手も実は私も駄目なんだと言いあえれば、それはとても良い関係なんだと思いますね。

 「恋」と「愛」は違うなんてことも言いますよね。「恋」は奪うもので、「愛」は与えるものだと。奥が深い話ですね。「恋は盲目」なんていいますよね。「恋は身勝手」とも表現しますね。

 何かをするのに、つねに主語が「自分=I(アイ)」の人、いますよね。常に自分中心で、自分のことしか考えていない。自分が嫌だからやらない。自分のもうけのために人に親切にする。善は、人のためではなく、己のよくをかなえるためというのが見え見えの人。いますよね。

 無心で、人に尽くしてこそ、心が伝わるのでしょう。それが好循環を生みます。
 友達をいっぱい作りましょう。

2011年3月2日水曜日

ピンチはチャンス

 よく言われている言葉です。ピンチにチャンスあり。精神面での奮起を計る意味でもあるのでしょうが、実際にピンチの時ほど、たくさんのチャンスがあるようです。それは、目の前の利益だけではなく、学びもオスですし、経験も貴重な財産です。
 ただ、どうしても物理的な改善、あわよくば、逆転を狙いがちです。心の満足だけでは飯は食えませんから、精神面も物理面も両方必要です。でも、精神面、ピンチの時に得た友や情報、必ず後に、恩恵として自分に戻ってきます。時間が解決するのでしょうね。我慢比べですかね。
 ピンチの時の得たチャンスは、往々にして大きなものでもあります。今までの成功者は、必ず、大なり小なりピンチを迎えております。その時の自分の有様で、その後の人生は変わります。ピンチの時の振る舞いこそ、最も重要だと言えるのでしょう。
 人生、生涯、学びですね。

2011年3月1日火曜日

知識・経験・知恵

 ビジネスセミナーや自己啓発セミナーなどでよく聞かれるものですね。「知識×経験=知恵」と表現されていますね。
 知識は大事です。知っていると知らないでは大きな違いがあります。勉強は大好きです。知らないことがわかるようになるんですよ。いつも言いますが、学生時代は、勉強の仕方を学ぶ場です。社会で役に立つかどうかは関係なく、数学や古典、物理や歴史、とにかく何でも学ぶのです。役に立たない物は一切ありません。すべてを学んでいない限り、社会人になって、これが必要だと思っても、その情報を効率的に取るすべを知らないままでいるこおとになります。経営者の会などの場で古典や歴史を知らないと会話がはずます、ビジネスパートナーにも慣れないということがあります。地位が上がるごとに、文化や芸術はついて回ります。経営において数学的発想の場面はいっぱいあります。人間性だけでは切り抜けないことは山ほどあります。知識は絶対に必要です。
 経験も必要です。でも経験だけではダメです。知識に裏打ちされた経験は進歩しますが、やみくもに経験を積むだけでは、時間の無駄とは言いませんが、時間をロスします。表現は乱暴ですが、頭がない人ほど、経験を重視します。知識者を、経験もない頭でっかちと非難しますが、両方大事だということを理解しましょう。
 でも、これだけでもだめなのですね。知識は、アウトプットして初めて開花します。知識を表に出し、それを商品化したり、サービスに転嫁したりと、工夫して世に出す、そこに価値が見出されます。それには、経験が必要です。やったことのないことは時間もかかりますし、失敗もあります。それを繰り返して、効率を上げるのです。それが知恵です。知識と経験から知恵が生まれます。知恵を生むことを意識して経験を重ねます。その時に知識が必要だと、痛いほどわかるのでしょう。
 投資においても「効率的」という言葉をよく使います。少ない投資額で最大の利益を得るなどという時に使います。「資金×時間=収益」でしょうか。良い金融商品とは効率的な商品ということで、リスクに見合ったリターンを得ることができる商品が良い商品となります。リスクが高いのにリターンが少ないのは最悪です。
 私たちの行動も効率的な動きが求められます。ただ、人間は感情の生き物なので、効率的だけを求めると失敗します。「効率×感情=成果」とでも言うのでしょうか、損して得取れのたとえもあります。
 物事単純ではないので、難しいですね。