2011年4月15日金曜日

利便性重視社会、正確重視の社会、自己保身の社会ってイヤ

 先日、証券会社に、投資信託の解約手続きの電話をしました。無機質なアナウンスで、「○○のお手続きは1番、△△のお手続きは2番・・・」とずっと聞かされ、オペレーターを待つこと数十分。やっとつながったら、「担当部署が異なりますので、□□にお電話をおかけ直しください」と言われました。ここでかなり頭に血が上っていましたが、そこは冷静に、指示通りに原話をかけなおしました。

 電話をかけなおした先でもずいぶん待たされ、やっとつながったかと思えば「お客様はネットにログインされていないので、まずはログインして・・・」このあたりでボルテージは最高潮にのぼりました。それでも冷静を装って「ログイン方法を教えて下さい」と尋ねると、「後日郵送でIDとパス・・・」ここで「もういい」と放り投げたい衝動を必死で抑えて「どれくらい時間はかかりますか」と尋ねたら「一週間ぐらいは・・・」

 お客様サービスっていったいなんなのでしょうか。商売の基本は「御用聞き」で、好きな時に好きなものを好きな方法で手にするという欲求を満足させるのが顧客サービスです。郵便局や信用金庫の自転車による自宅訪問が、いかに愛されているかよくわかります。機械・技術が進み、ネットが盛んになり、世の中が時間的にも便利になっても、直接お客様と接する「営業」という職種がなくならないのはよくわかります。

 前日の一連の電話の話は、お年寄りにとっては苦痛以外の何物でもないでしょう。これが利便性重視の社会なのでしょうか。ネット社会の本質は、無機質で、顧客無視のようです。
 利便性や正確性は、お客様に合わすのではなく、お客様の方から合わせてもらうことにより成り立つシステムなのでしょう。それがネット社会という、大きなくくりで許されているという、何とも奇妙な営業スタイルとなっているのでしょう。
 震災復興は国民全体で負担という大義名分で、震災復興税が創設される、増税を飲まなければ非国民だと言わんばかりの押しつけに似た感じがします(飛躍しすぎていますか)。

 今こそ大切なものは何か、人のぬくもり、こころ、愛と、人の温かい感情を大切にすることが訴えられています。霊的や神がかりのイメージが強かったスピリチュアルですが、実は、スピリチュアルブームも、魂の原点に帰ることを教えてくれているのではないでしょうか。なんかそんなような気がします。

2011年4月12日火曜日

目標意識が重要です

 なにをしたいか、なにを成し遂げたいかという目標を持つことは非常に重要です。投資で稼ぐと決めたら、投資を勉強し、月いくら稼ぐかという目標を立てることが重要です。独立するなら、いつまでに独立するという、期限を決めることです。独立したあとは、月いくら稼ぐかを決めることです。英語を取得すると決めたら、いつまでに終わるかを決めることです。
 しかし、これは目標ではなく、あくまでも目的です。この目的だけを決めると、多くの人は途中で挫折します。英語習得やダイエットなどがそうですね、ご経験ありじゃないですか。

 では、目標とは何か。投資で稼いでなにをしたいかどうしたいか。英語を勉強して海外移住するとか、その時の自分をイメージして、非常に心地よい感じがするという感覚が大事です。独立してなにをしたいか。独立してどうなっているかを想像してください。それが目標です。その、どうしてもそうなりたいという目標のために、英語を学ぶことが必要、お金を稼ぐことが必要という感じになります。この目標意識が無ければ、行動は持続されません。

 目標と目的、もう一度考えてみましょうね。

2011年4月11日月曜日

生きることは遊びじゃ

 「生きることは遊びで、人生すごろくのようなもの。予期しないことが多いからこそ、生きることは面白い。」
 「生きることに苦しんでいる人へ。いい目にあっている人が修正いい目にあうことはなく、苦しんでいる人が修正苦しいことはない。生きることをなげるな。」

 自分にも言い聞かせている、あるドラマでのセリフです。ついメモしてしまいました。このセリフに何の注釈もありません。そのまんまです。

 苦しいことを楽しむことは、なかなかできません。苦境やトラブルを楽しむ境地には簡単にはできません。苦境を与えてくれて感謝しています。ありがとうと思えるようになるには、精神修行が必要ですが、そう思えるようになると、生きることが楽しくなるのでしょうか。
 でも、そういう感覚で、そう思うことで、苦しみを受け入れることから、怒りや苦しみの感情から解放されるようです。

2011年4月8日金曜日

まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 「袖刷りあうも多生の縁」という言葉の意味を、このブログでも紹介しました。「たしょう」は「多少」ではなく多くの生、つまり前世です。袖が触れ合うといいことは、前世で何かの関係があった、偶然は必然ということですな。
 
 「情けは人のためならず」も、使われ方は間違っていて、情けをかけることは相手にとって良くないという意味ではありませんね。むしろ人に情けをかけましょう。人のために情けをかけるのではなく、巡り巡って、自分にもよいことが返ってくるから、積極的に人には良くしてあげましょう。人のためではないですよ。自分のためですよと説いた言葉のようです。

 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 私がある人に教わったことですが、情報は与えて初めて帰ってくるといわれました。大きなたらいに水が入っていて、自分の側だけが切れていて、その下にバケツが置いてあると想像してください。その水をより多くバケツに入れようとするとみんなはどうするでしょう。一生懸命、手を広げて、あるいは指の隙間をなくして、手前にかいて、バケツに水を集めようとしますよね。これでは多くの水をためることはできません。
 逆に、両方の手をくっつけて向こうに押し出すのです。すると、水は向こうの壁にぶつかって、周りをつたって、手前の切れ目からバケツにいっぱい水が入ってきます。 

 つまり、一生懸命抱え込もうとするよりも、相手にいっぱい与えることで、巡り巡って自分の懐にも帰ってくるというのです。与える情報が良質であればあるほど、戻ってくる水は透明できれいなものだそうです。
 
 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

2011年4月7日木曜日

焦ってもろくなことはない

 今日の3時までに振り込まなきゃと、自転車で銀行に駆け込み、操作がもたついて、間に合ったかどうかわからないですが、その精神状態のままだったので、帰り道で転んでしまいました。
 焦ってもろくなことはありません。そんな時こそ、地に足をつけることが重要です。グランディングというそうですが、両の足の裏でしっかりと地面を踏みしめることが必要です。重心をうんと下げて、そう、そういう時はお相撲の四股を踏むのがいいそうですよ。イチロー選手のバッターボックスに入るまでの動作がそうです。足を真横に開いて腰を落とす態勢です。

 いつぞやのテレビで、お寺の住職のお話しを聴くところがあり、「無量の時間の中で“あせらず”“ゆっくり”“しっかり”」と過ごしなさいというお言葉がありました。この世は仏様の体の中 私たちはその細胞のひとつです。量り知るころできない時間の中で生かされているのだから、小さなことにとらわれず、ゆったりと時間を過ごす心構えが必要だとのことです。

 重心が上にあると、すぐに倒れやすくなりますし、ものの考えも浮ついてしまいます。しっかりとした判断ができなくなります。落ち着いて、重心は下に、両足で大地をつかむ気持ちで...ね。

2011年4月5日火曜日

貧乏は恥ではない

 貧乏というキーワードで、いろんな名言が世の中にはあります。たまたま、見つけた名言がおもしろかったので、インターネットで「貧乏」というキーワードで検索してみましたら、いっぱい、いろんな名言がありました。
 たまたま見つけたのが、貧乏という言葉を用いたものだったので、特に貧乏という言葉を調べていたわけでははありませんが、「偶然は必然」ということから、きっと何か見ることに意味があるのでしょうね。

 「貧乏は恥ではない」という言葉の続きには
    「しかし、心からその言葉を肯定している人はいない」
    「しかし、ひどく不便なものだ」
    「しかし、その貧しさから脱しようと努めず、安住することこそ恥ずべきことである」

 などなど、「しかし」の後のフレーズが実に面白いですね。

2011年4月4日月曜日

真剣な姿勢が感動を呼ぶ

 昨日、日本テレビで「世界一のショータイム」という番組がやっていました。前回の放送で柏高校吹奏楽部の演奏にすごく感動しました。今回も、すべてのパフォーマンスを見ましたが、みんな一生懸命で、真剣に一つのことを追求する姿勢だからこそ感動を与えてくれます。
 パフォーマンスには人生があります。真剣なパフォーマンスには生きざまが表れます。だから感動するのです。その人に感動します。演じる人の真摯さに、私たちは感動します。昨日のパフォーマンスやパフォーマーの真剣さと真摯さに、感動しました。自然と涙が出ました。すばらしいですね。
 いっこく堂の悔し涙、9歳のジャズピアニストの思い、サザンのコピーバンドのいちずな思い、ブラスバンドの真剣さなど、どれをとっても感動でした。自分の生き方を見つめ直したような気がします。

2011年4月1日金曜日

脳はマイナスな言葉は理解できない

 脳には「not」は理解できない。プロのアスリートにメンタル指導をしている外国のカウンセラーの言葉です。
 あるプロゴルファーが、「左は池があるから打ちたくない」と思うと、脳は「左」という言葉しか理解できないので、ショットは必ず左へ行くと言っていました。その時は「右,右」と脳に思い込ませるのだそうです。
 ミスショットをした後、そのショットをずっと悔いる精神状況が続くと、脳は、その状況がその人にとっては良いことだと判断して、ミスショットを繰り返させるというのです。18ラウンドでは何度もそういた局面はあるそうです。

脳に「not」を植え付けないためには平常心が必要です。その平常心を鍛えるには、毎日、同じことをするルーティーンが大事だそうです。同じことを、毎日決めたことを何度無繰り返すことで平常心は養われるそうです。
 さきほどのプロゴルファーの型は、実際にボールを打つのではなく、毎日、目標を定めとアドレスまでの流れを繰り返すそうです。南ぽでボールンそばへ行くかとか、目標設定から構えまでの時間を一定にする訓練をするそうです。大リーガーで、次々と記録を塗り替えているイチロー選手も、バッターボックスに入るまでの一連の動作はいつも同じです。

 このブログでも依然「想念」という話を書きました。思っていることは必ず実現される。それはマイナスなことほどすぐに実現するそうです。常に、プラス思考で、できる、うまくいくと考え続けることが大事ですね。