2012年11月5日月曜日

わからないことが不安の正体です...

 不安は、未来がわからないということから生まれます。一方で、未来は不透明なものです。未来が不透明である以上、不安は取り除くことはできません。これ から何が起きるか、確定していれば、今からその準備を行えばよいのですから、不安は生まれません。今何をしなければならないかも、具体的に理解できます。

 人生一寸先は闇なんて言葉があるくらい、将来のことはわからないもので、何一つ確定されているものはありません。でも、だからこそ人生は楽しいなんてセリフもあります。なるようになれに境地に至れば、先行き不透明も楽しめるのでしょう。まさにケセラセラですね。

 でも、なかなか、このケセラセラの境地には至れないのも人間です。人は、常に不安と向き合って生きていくものなのなのもしれませんね。

 ライフプランなんて言葉がありますが、結局は、何もできないものなのでしょう。

  でも、人間に与えられたものに知恵があります。また、想像力と言うものも人間の特権です。動物には本能と言うのもがあり、それで危険を察知して回避行動を とります。しかし、この本能による行動は、直近の出来事に対するもので、遠い未来に対してのものではありません。時間軸を長くのばしてたいおうする、想像 力による行動は、人間にしかできません。

 これから起こりうることに対して、長期ビジョンで対処することが、「準備」なのでしょう。今できることを精いっぱいしておくことで、不安は解消されなくても和らげることはできます。

 サッカー日本代表の本田圭佑は、常に「準備」と言う言葉を使います。勝負の勝ち負けは時の運かもしれませんが、準備をした者が勝つ確率は断然に高まります。ライフプランとは、結局はそういうものなのでしょうね。

 不安を取り除くには、今やれることをどれだけやっているかです。どれだけ未来に備えているのかが、不透明である未来を恐れないようになることになります。準備ですね。

2012年10月22日月曜日

夢をあきらめたら負け

家計における収支は、支出が減らない状況下で、収入が増えないというジレンマが、大きなフラストレーションとなっているのでしょう。

 バブルという、ある意味、贅沢を覚えた環境で、なかなか支出は減らない感じです。100円ショップ、ネットオークション、コストコ、フリーマーケットと、確かに、物欲を満たすのに大きな費用は掛からない選択肢は増えました。

 それでも、満足感と言う、心の欲求は、どこかで浪費が伴うことがあります。ぜいたく品を買うという衝動は、どこかににあるのでしょう。いまや日本全体が、フラストレーションに凝り固まっているのかもしれませんね。

  生活のサイズが小さくなると、当然経済も縮小します。政府や中央銀行による株価対策を行っても、消費者マインドが冷えていれば、景気は良くなりません。 もっとも、消費マインドが冷えているというよりも、縮小しているというのが正しいのかもしれません。デフレの恐ろしさは、モノの値段の下落にありますか ら、それに満足しなくても、そのサイズに生活や収入が合わそうとする動きは、なかなか止められないのでしょう。

 収入に対するどん欲さ は、「欲」ではないにせよ、「夢」のダウンサイジングを生みます。あきらめではなく、手に届く大きさを求めるようになってしまうのでしょう。そもそも、実 力以上のものを夢見ることがわからないというのは恐ろしいことです。それは発展や成長がないということになってしまいます。

 こんな世の中に誰がしたという感じです。これが格差なのでしょう。格差の始まりは、夢をあきらめるのかどうかにかかっているのでしょう。

 ソフトバンクの孫正義氏も、決して財閥ではなく、自ら成功を切り開いたのだと思われますが(実際はいろいろあるのでしょうが一応、表面的では)、海外へのM&Aを仕掛けるスケールの大きさとは対照的な世界も、これもまた現実なのでしょう。

 着実に、格差は広がっています。

 そんな中での、花巻東高校160キロ右腕の大谷翔平投手のメジャー挑戦は、拍手を送りたいです。

 私たちが夢を持つためにはどうしたらよいのでしょうか。日本人が自信をなくしているのでしょうかね。今必要なのは自信を取り戻すことなのかもしれませんね。

2012年10月21日日曜日

行動の動機づけ

夢は叶う、よく聞く言葉です。それは強く願いを心に刻む、その実現を心から願うことです。そこから行動が生まれるということなのでしょう。つまり、行動の動機づけが必要で、その動機付けが強ければ強いほど、実現の可能性が高いということなのでしょう。

 願いはかなうは、スピリチュアルな話ではなく、たとえば、願えば天から何かが降ってくるというたぐいの話ではありません。願いは、あくまでも、行動することから実現するのですね。やはり、願いをかなえるのには、自分自身の行動が重要なのです。

  思いが強ければ、きっと情報を集める能力も高まります。興味を持てば自然と仲間が集まる感じです。強く願うことで、今まで見落としていたことが、ヒントに 思えてくるときがあるのでしょう。思い一つで、行動は違ってきて、行動が違えば、集まる情報も仲間も違ってくるのです。

 ではファイナン スはどうでしょう。お金がなくては何もできないですが、今お金がないからとあきらめる夢は、所詮それだけのもので、そんな夢は、資金があっても実現しない でしょうし、実現しても心は満足しないのかもしれません。今のサイズに合ったものを願うのは夢ではありません。今のサイズのさらに先を追いかける。自分よ りも高みにあるものを望む、それが夢なのでしょう。

 それがあまりにもかけ離れていると、それは空想になるのでしょうが、その空想と現実 をいかに埋めるかが努力であり、それが人生設計であり、そのギャップを埋めるタイムスケジュールがライフプランなのでしょう。ライフプランは、夢実現のた めにスケジュールなのかもしれませんね。

 強く願うことが、本当に実現したいという思いが行動を変える。そういう意味では、願いはかなうという言葉に、スピリチュアル的な要素があるのかもしれません。

 スピリチュアルで言うなら、その願いが世の中に役に立つことであれば、神様が後押しして下さるのでしょう。個人的欲望だけでは、手助けはしてくれないということですかね。

 社会に貢献した結果、その大法は払われる、つまり、巡り巡って自分に帰ってくるというものでしょう。話が、かなり哲学や宗教にかかってきましたが、行動の動機づけは重要です。深い話ですね...

2012年9月11日火曜日

「無」について

 「無心」「無我夢中」、つまり「ゼロ」ということが「無」ということですね。

 しかし、単なる「ゼロ」ではなく、まったく空っぽの状態が、本当の「無」なのでしょう。「無欲」は、少しでも欲があってはいけません。まさに欲という概念が空っぽでなければなりません。

 まったくの「ゼロ」の状態にするなら、少しでも残っているものを吐き出す必要があります。お腹の中から、体の中からすべてを吐き出すことで、空っぽの状態が作れます。体内のものをすべて出すことで、浄化が起こります。「無」となることは、すべてを吐き出す「浄化」をともなって、はじめて空っぽの「無」となります。

 なんか哲学的な話ですが、「無」からすべてが生まれるので、先ずは「無」になることが重要です。

 浄化を伴う「無」であれば、良質のものが入ってきます。

 「無」を扱う言葉なり表現は、たくさんあります。「ゼロからの出発」もそうですね。「大きくジャンプするには深くしゃがむこと」も、一旦は「無」になることの重要性をうったえていますね。

 意識して「無」となること、そのためにはすべてを吐き出すことです、まさに「無防備」となるので、安心、安全なところでないとできないですね。

 環境を整える、安心な心休まる状況を作る、これも、「無」から生まれる良産物ですね。

 「無」は、心穏やかに、リラックスした環境を整え、すべての邪念を吐き出し、完全に空っぽにして、初めて生まれるもので、そこから先は、より良質なものが流れてきて、より高く飛躍できるということなのでしょう。

 つまり、「無」はすべての始まりなのですね。

2012年8月15日水曜日

努力は大事ですが…

プロセスが大事
確かにそうですが、結果が伴なわない経過は、何の意味をも生み出せません。努力は無駄にはなりません。ただし、今までの努力したことが、具体的に次の成功に導かない限り、やはり、自己満足です。

努力は報われることはありません。努力は、自分の力で報わせるものです。そうでないと、努力が時間の無駄になってしまいます。

努力の姿勢を、まわりが認めてくれて、贔屓にしてもらうことはあるでしょう。

結果が出ない努力は、努力の仕方が間違っているのです。

努力は大事です。努力なくして成功はありません。でも、努力は必ずしの報われるものではありません。靴のかかとを減らした分だけ報われるわけではありません。

2012年8月2日木曜日

練習は大事

内村航平選手が、団体での雪辱を晴らすかのように、個人総合で「金」をとりました。これでもかと、審査員の採点をももろともない、圧倒的な勝ち方でした。自分自身への、審判団への怒りの「金」ですね。

  プレッシャーを感じないと言っていましたが、団体戦では、他の選手のミスをカバーしようと、やはり自分に課すものが大きかったのかもしれません。個人戦ではのびのびと戦えたのでしょうか。

 練習がすべて、アスリートのみなさんの共通の言葉です。どれだけ練習するかが重要のようです。

 あるプロゴルファーは、木の中から打つ練習ばかり行うそうです。内村選手は、練習では、あえて落下し、失敗を繰り返すそうです。メジャーリーガーのイチロー選手は、外野フライを、わざと目をそらして補給する練習をするそうです。

 「練習は嘘をつかない」落合中日前監督の言葉です。弱いチームに関しての評価はいつも同じで、「立って練習していないから弱いに決まっている」です。

 練習は大事です。どれだけ練習をしているかが、本番の自身につながります。

 背泳の寺川選手のメダルは感動しましたね。どれだけ練習したのでしょうかね・・・

2012年7月28日土曜日

幸せはお天道様の下を堂々と歩くこと

「ごくせん」、日本テレビで放映していて、映画にもなった、仲間由紀恵主演のドラマです。その中のセリフで、幸せは、お天道様の下で、後ろめたいない気持ちで暮らせることだと言っていました。それだけで幸せなんだとのことです。

 なんか、人は後ろめたいことをいっぱいぶら下げているような気がします。何にしても一生懸命、 精一杯である時が、結果はどうであれ幸せなのでしょう。

 お天道様の下で恥ずかしくない生き方、昔気質のセリフですが、ちょっと心にグッときました。

 手を抜くことは、周りには見えなくても自分自身が良くわかっていることです。自分にだけは嘘はつけないですからね。
 
 がんばってみようかね~

2012年7月27日金曜日

日本がスペインに勝った!! 一生懸命を応援します!!

すべての紙面のトップが、ロンドンオリンピック男子サッカー予選で、日本が優勝候補スペインに「1-0」で勝ったことが報じられています。ロンドンオリンピック最初の競技となる女子サッカーでは、なでしこジャパンがカナダに「2-1」で快勝。日本には幸先の良いスタートを切りました。

 それにしても、スペインに勝つとは、日本の実力もすごいものがありますね。中田英寿がオリンピック代表時のチームは、世界の強豪ブラジルを破っています。

 吉田兼好の「徒然草」に、木登りの名人が、弟子に高い木の枝を切らせていた時に、何の声掛けもしていなかった名人が、弟子が軒下の高さまで降りてきたときに、はじめて「気をつけろ」と声をかけたことに対し、危険なところでは、精神を集中し、自分でも気を付けるが、もう大丈夫と安心した時に気を抜いて事故につながることが多いから注意を促したという話があります。

 強豪相手の試合の後の、格下チームとの対戦の取りこぼしがあるのは、気を抜いているわけではないでしょうが、相手チームは必死ですから、ただ立場が入れ替わったということになるのでしょう。日本がスペインに勝ったあとの、格下チームとの戦いが重要ですね。

 どんな相手にも全力で戦う、野生の世界は厳しく、トラも小物を仕留めるときも全力投球、息の根を止めるまでは気を抜かないと言います。

 たとえがちょっと恐ろしいですが、日本チームも、どんな相手に対しても、気を抜かないで、全力で戦ってほしいです。

 ここで、考え方を変えると気を抜かなくなると思います。それは、勝つために戦うのではなく、見ているお客様に感動を与えるために戦うとなると、どんな場面でも気を抜けなくなります。一生懸命のプレーを見てもらうことで、結果、勝ちがついてくるというものです。

 小さな力士が大きな力士を倒す、柔よく剛を制す、まさに美学ですね。

 とにかく、アスリートたちには、余計なプレッシャー、日本のマスコミの金メダル一辺倒の期待は無視して、自分たちが頑張ってきた努力の成果を、悔いのないように思いっきりぶつけてきてください。金メダルへの思いは、だれよりも、アスリート自信が、強く持っているはずです。思いはかないます。

 私たちは、アスリートの見えない努力の成果を見せてもらい、ぎりぎりの極限のアスリートの力に感動させてもらい、彼らのご褒美を得る時間を共有させてもらえれば十分です。

 自分たちのために、頑張ってください。私たちは、一生懸命応援します!!

2012年7月26日木曜日

受け入れる強さを持とう

拒否からは何も生まれません。拒否は相手にも伝わります。拒否した段階で、もう何も入って来ません。

受け入れることには、大なり小なり、リスクは伴います。受け入れられないということは、変化を恐れていることです。そのことで、自分が変わることを嫌うことが拒否につながります。

まず受け入れて、ダメだったら吐き出せばいいのです。吐き出すにもそれなりの力が必要です。受け入れた瞬間に染まらない強さも必要です。

受け入れてから、自分になんの影響もなく吟味できる余裕が必要ですね。

でも、なんでもかんでも拒否は困ります。成長しません。変化を受け入れる勇気は持ちましょう。

2012年7月25日水曜日

内村航平選手はすごい

いよいよロンドンオリンピック開幕です。筋書きのないドラマと言われますが、アスリートのひたむきな姿勢は、本当に心打たれます。マスコミは、やたら金メダルと騒ぎますが、アスリートたちの努力の結果のご褒美がオリンピックですから、メダルのことは気にせずに、めいいっぱい楽しんで欲しいと思います。

それにしても、体操の内村航平選手はすごいですね。生まれてこの方、プレッシャーなんて感じたことがないと言うのです。プレッシャーってなんですかときたもんだ。

プレッシャーを楽しめる選手になりたいと多くのアスリートのは願うそうですが、それが全くないというのですから恐ろしいですね。宇宙人か、はたまた、すでに精神が飛んでいるのか...

でも、すごく練習しているようで、とにかく練習しているようです。天才は一日にしてならずですよね。その裏付けが、プレッシャーをなくしているのでしょう。やれて当然というレベルまでイメージして、練習しているのでしょうね。

頑張れ!!自分のために頑張ってください。

2012年7月23日月曜日

勝者は、必ず称賛に値するのか・・・

成功者は全員、称賛に値するのか。成功の仕方によってそれは異なるのかもしれません。でも、場合によっては、成功の陰には、誰かが悲しんでいる場面はあるかもしれません。

 人の不幸の上に、成功があるわけではありませんが、競争において、勝ち負けは必ず存在します。負けた人を乗り越えて、成功者は存在するのでしょう。

 その競争は、正当であるものであればいいのですが、蹴落とす、押しのける、だますなどであれば、どうでしょうか。でも、それも競争での勝ち抜く手段と言えるのかもしれません。

 成功しているから称賛されるというのはおかしいですが、成功しているという事実は、認めざるを得ないでしょう。

 勝者がすべて正しいわけではないということは、このブログにも書きましたが、 やはり、いわゆる「いい人」は、勝ち続けてほしいですね。

 勝ってこそです。「いい人」は勝ち続けてほしいです。

2012年7月22日日曜日

いいところみっけ

写真のプロの方は、被写体に惚れるといいます。

人物を撮る時は、その人物に恋することが重要だそうです。恋するということは、被写体となる人の、素敵な部分を引き出そうとすることですね。

つまり、いいところを見つける作業をすることです。

人の評価には、加点方式と減点方式がありますが、モチベーションを上げるには、やはり、加点方式が望ましいのかもしれません。

「いいところみっけ」の繰り返しは楽しいものです。人のいいところを見つける作業は、人との付き合いにおいても、好循環を生みますよね。

嫌なところにばかり目が行きがちですが、あえて、意識して、いいところを見つけて行きましょう。

また一つ、いいところを見つけましたよ…

2012年7月21日土曜日

接客と接遇

昨日、あるイベントで、ANA(全日空)が、接遇セミナーを行っていました。CA(キャビンアテンダント)として訓練してきた接遇訓練を、いろんな企業やいろんな場面で、提供する事業を展開しています。とくに、医療機関にこそ、接遇が必要と、営業しているようです。

 接客と接遇、どう違うのか。

 全日空講師によれば、接客は一方通行で、主に商品販売が主目的の行為と定義しています。一方、接遇は、双方向のコミュニケーションで、こちらが相手が望んでいることを理解して、積極的に行うことで、相手の満足度を上げることだそうです。

 スマイルとアイコンタクト

 笑顔が大事、つまりは第一印象のアップです。目を見て相手のことを思っているよという意思表示も大事だそうです。

 相手が望んでいることを理解して、それを先回りして行う、頭の回転の速さが必要です。また、いろんな経験や学びから、それを理解する力も重要です。

 医療機関において、どんなにシステムが素晴らしく、施設が充実していても、そこで患者さんと接する人、看護師やドクター、事務スタッフや職員さんの態度が、横柄で上から目線であれば、絶対のその医療機関は伸びません。医療現場のほとんどは、人的要素が多く、人が変われば医療機関は変わります。

 この接遇の精神はよくわかりますね。

 いま、業態の垣根を越えて、他の業種で成功していることを、積極的に取り入れることが、生き残る道と言われています。

 接遇、相手の気持ちを理解する・・・なるほどね~

2012年7月20日金曜日

善人は強くなければならない

安岡正篤翁の言葉に「善人よ強くなれ」というのがあります。全員が善行を積むことは当たり前で、それゆえ善人と呼ばれるのであって、最も大事なことは、善人が強くなることだと述べています。

 文中ではパスカルの言葉を引用し 「正義が強いか、強いものが正義か、正しい物が強くなるか、強い物が正しくなるか、より外に人間は救われない」とあり、安岡翁は、「救われるためにどうしても善人が強くならなければならない」としています。

 強くなるためには、感情的・感傷的にならずに、線が太くならなければいけないとも述べています。

 戦国時代などの乱世では、力こそ正義でした。勝者がすべて正しい時代です。強さとは、非情になることも必要なのでしょう。感情的・感傷的ではいけないのですね。夜叉の面をかぶり、心で涙する・・・ですか。使い方を間違えれば、とんでもないことになりますけどね。

 金が正義と言う人もいました。それで、時代の寵児ともてはやされ、その後は、奈落の底に突き落とされました。報道の仕方もヒステリックに感じ、嫉妬ともとれ、成功者への妬みとも取れました。表現が、あまりにもストレートであったのが、世間の反発を買ったのでしょうか。

 バブルがあって、バブルがはじけて、カリスマ政治家が持て囃され、金持ち父さん貧乏父さんがはやり、それを実現した人が持ち上げられては貶められ、今度は逆に、スピリチュアルブームが巻き起こり、そして今は、歯に衣を着せぬ発言が受け入れられるようになりました。時代の流れでしょうか。

 その時代時代によって、正義と言うものは変わってくるのでしょうか。本来、正義は不変なもののように思いますがね。物事の本質は見極めなければなりません。善人の定義が難しいです。

 でも、負けてしまえば、正論は消されてしまいます。やはり、安岡翁の言うとおり、善人は勝たなければなりません。

 私は常に、多数決の反対側に、物事の真実が隠されていると思っています。数の論理は、時として暴力となり、正義を覆い隠してしまいます。それゆえ、正義は、善人は、勝ち続けなければならないのでしょう。そういう意味では、勝った者が正義なのかもしれません。それが民主主義なのでしょうかね。

 善人は強くなければならない...すごく重い言葉ですね。

2012年7月19日木曜日

想いはかなう、念ずれば必ずかなう

何度もこのブログでも書いていますが、念ずればかなう、思いは通じるということを、改めて、考えさせられます。

 アスリートの世界では、この言葉が実に、ぴったりと当てはまりますね。オリンピックを目指して、四大メジャー出場を目指して、MLBを目指してなど、夢であったことを、毎日思い続ければ、まさに岩をも通して実現できることを、多くのアスリートたちは、わかりやすく表現してくれています。

 想いはかなう・・・改めてかみしめたい言葉ですね。

 どこかで、夢と現実とを、勝手にバランスを取ろうとするのが、大人なのかもしれませんが、小さな目標を積み重ねることを考え、その先に大きな目標が待っていると思えば、実現可能かもしれませんよ。

 アスリートの人たちも言っていますが、テクニカルな部分というよりも、精神的な要素の方が大きいとのことです。踏ん張りは精神力です。どれだけ、夢に対しての思いが強いかどうかですね。夢をあきらめないでなんてセリフもありますが、強い想いは必ずかなうという信念が大事ですね。

2012年7月17日火曜日

第三の目

  第三の目と呼ばれるものがあるそうです。直感をつかさどるところのようで、おでこの真ん中、眉間のあたりにあるそうです。チャクラの世界の話です。

 ここを鍛えると、洞察力が磨かれるそうで、ここを鍛えると感がさえるのだそうです。

 どうやって鍛えるのかは、その世界の方にゆだねますが、直観力は、良い方がいいですよね。先を見通す力ですから、迷ったら直感にゆだねることはよくあることです。それが、正しい方向に導いてくれるのであれば、それはそれでありがたい話です。

 直感って、何も、神がかりなことばかりではないような気がします。経験から打ち出された結果、かこの経験がデータとなて、瞬時に、無難な方向を示唆してくれるのでしょうか。

 ひらめきってありますよね。神が降りたなんて表現をするかたもおられますが、閃きにばかり頼るのもよくないですが、磨けるものなら磨きたいですね。

 芸術家って、このひらめきが多いのでしょうか。

 人間の体には、7つのチャクラがあるそうです。以前、このブログにも書いた「丹田」というのも、その一つです。

 胸騒ぎ、嫌な予感、これも、一つの直感でしょうか。やめておいた方がいいよ、避けたほうがいよというシグナルですかね。

 うまくできていますね。いつでも、守られているのかもしれません。感謝感謝。何事も感謝です。

2012年7月16日月曜日

命について

命ってなんだろう。命よりも重いものがあるのでしょうか。

 いじめによる自殺が、連日報道されています。見て見ぬふり、気づいてて何も対処しない、まさか死にまで至るとは思っていなかったのでしょう。ほんの小さなことが、最悪な結末を生むこともあります。

 その後の、教育委員会や学校側の態度は、保身に終始し、死と言うものに対して、決して真摯に向き合っていない状況です。命をなんだと思っているのでしょう。

 防衛力と戦争を、イコールに考えることは良くないことかもしれませんが、問題のオスプレイも、米軍という軍隊は、人を殺すための舞台です。抑止力の論理はわかりますが、ここでは、政治的な話よりも、単純に考えて、やはり、武器や兵器は、命を奪うものです。

 死には、いろんな形があります。寿命、天寿を全うすることが一番ですが、それ以外に、病死があります。防げる死の形には事故死があります。その中に殺人もあります。戦争もそうです。そして、長寿に逆らう行動が自殺です。

 命よりも重いものが、この世に存在するのでしょうか。

 

2012年7月15日日曜日

夢を掘り起こしてみましょうよ

初心忘れすべからず...初志貫徹..

 最初に抱いていた夢を、忘れていくことが、あるいは修正していくことが大人になることのように思えるときがあります。あきらめの正当化ですね。

 昔は、今のようにPCが普及していなかったので、ホームビデオは、小さなカセット型のテープで、それこそ、ビデオデッキで、大きなVHSテープで保存していました。

 いま、それらを簡単に、DVDに焼き付けることができるのですね。昔の思い出を、今の機器に対応させて保存することができます。

 子供の小さい時の動画や、自分のものが残っているといいですけどね。

 あの時思い描いていた夢は、今どうしているのでしょう。ちょっと思い出してみましょうよ。あのころは何に燃えていて、何をしようと思っていたのでしょうか。その夢と今と、どれだけ乖離しているのか、あるいは叶っているのか・・・

 夢は叶う

 強く思えば必ず成り立つものであるということは、過去に、このブログでも書いた記憶があります。念じれば叶うでしたよね。

 夢が大きく膨らんでいれば、それはそれで良しとしましょう。夢が縮こまっている、ダウンサイジングしているのであれば、ちょっと今が疲れていうのでしょうかね。現実に即したサイズになっているということは、夢実現へのプロセスなのか、それとも言い訳なのか、一番わかっているのは本人ですね。

 10年後の絵を描こうと、このブログにも書きました。その工程のチャックは重要です。

 昔の思い出をDVDにといわれて、友人から借りたその機械を見て、ふと、こんなことを思いました。最初の夢はなんだったのかな~

 夢は見ましょう。これからでもまだ間に合います。国の再建、企業の発展は、必ず3,5、7、10年で、区切って、計画を立てます。三か年計画ってよく言うでしょう。

 もう一度、夢を掘り返してみましょう。初心忘れるべからず・・・頑張ろう!!

2012年7月13日金曜日

普段が大事・・・

最近、自分の発言で誤解を招いたり、相手の行動に疲れたりと、逆に、人と接することがストレスになることが多いのは、やはり、私がまだ未熟なのからでしょうか。

 人間観察と言うことがありますが、あまり、私にはよくわかりません。でも、何気ないところに、その人の本性が見えることがありませんかね。

 何人かで雑談なり議論しているときに、携帯電話が鳴り、その人の電話の対応の仕方で、何となくその人の見えない日常が見えるときありませんか・・・

 それまで、丁寧な口調で、低姿勢な人が、いきなり横柄な態度に出るとか・・・

 ふと何気ない独り言に、すごく野卑な言葉を発するとか・・・

 レストランで、やたらウェイトレスへの態度が上から目線とか・・・

 これはあくまでも感覚ですが、お金に余裕のある人は、レストランのスタッフにも優しいような気がします。注文の時も「○○お願いします」と言う感じですが、ファーストフードなので見かける光景は「牛丼並!!」と言うシーンが多いように思います。完全に偏見ですかね。

 前にも書きましたが、女性が男性の本当の優しさを見抜くのに、一番わかりやすいのは、一緒に食事に行った時の、その男性の従業員への態度を見ることと言われています。まさに、先ほどの例です。

 いくら飾っていても、ふとしたことで「地」はでます。

 冒頭の事ですが、同じことを説得するときでも、私が説得した時は動かなくても、時間がたって、他の人に言われて、結局、私の意見を散りいれているというケースが多いです。つまり、結果、私の説得しようとする行動をしてもらってはいますが、私の意見をとりいれるというよりも、同じことを他の人に言われて、その通りに行うという、かなり私は自己嫌悪状態です。気を付けよう。

 普段が大事です。いくら飾っても、どこかで普段が出るものです。気を付けましょうネ・・・

2012年7月12日木曜日

問題は必ず解決する

安岡正篤翁の言葉に「対処一処」があります。

 「心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし(対処一処無事不通)」という言葉で、物事と自分自身を一緒にし、その物事に精神集中させ、自分を変えることで、物事が解決するという発想でしょう。

 「事として通ぜざるなし」

 気持ちを集中し、何事にも、一生懸命まじめに取り組めば、事は成せるという意味だそうです。自分が昇華することで、物事はどんどん解決していくものだそうです。

 物事の本質は自分自身の中にある。問題は、その置いていることの中にあるのではなく、それを起こしている自分の中にあるので、自分が変われば問題は解決するというのです。

 禅の世界のような話ですが、物事に取り組む姿勢が変わるのでしょう。また、人のせい、出来事のせいばかりしていると、解決の糸口が見えなくなることがあります。問題の解決の糸口は自分の中にあるという観点で見れば、解決策が見つかるのかもしれませんね。ようは、問題への取り組む姿勢を変えることでしょう。

 いま目の前に起きていることは、自分自身が引き寄せたことで、因果応報ではないですが、自分自身の心が引き寄せているのです。自分自身が昇華すれば、悪いことは寄ってこないという、スピリチュアルな考え方があります。

 まあ、だいたい、欲が悪を引き寄せることがありますね。 欲がすべてですかね。人間、欲には弱いですからね。強い精神力が必要です。

2012年7月11日水曜日

今時の若者は...

打たれ弱い、根拠のない自身に満ち溢れている

昔、ある企業の人事課と仕事をしていたときの、新卒使用者の嘆きにも似た言葉です。

ちょうどゆとり世代が初めて社会人になる年で、担当者は社長から、優秀な人材をとるようにと言われているのですが、どうやってここから探せばいいのかと、まあ舞台裏トークですが、本気で怒りを込めて訴えていましたね。

その若者を象徴する言葉が冒頭の言葉です。

妙な自信があるだけで、少し怒るとすぐにやめてしまう。しかも、意表を携帯メールで送ってくるから常識もない。

こんな若者ばかりではないでしょうが、根拠のないというところ、打たれ弱いひ弱さは、とっても共感できます。

本人が悪いのか、教育が悪いのか、親が悪いのか、育った環境が悪いのか、とにかく、それを疑問にも思わないからたちが悪い。悪気のない詐欺ほどたちが悪いと、マネーの虎の高橋がなりさんは言っていましたが、例えは悪いですが、その通りですね。

若者を批判しているわけではありません。ゆとり教育なるものの犠牲者でもありますからね。

教育は必ず巡り巡って、いろんなところに波紋を投げかけます。子供の教育しかりです。

若者のせいばかりにしないで、私たちも考えなければいけませんね。

2012年7月8日日曜日

10年後の自分はどうなっているか

10年後の自分と会話しよう。10年後はどうなっているか、具体的に想像しようというのです。

FPが好んで使うライフプランでしょうか。自分自身をプロデュースするとでも言うのでしょうか。自分の人生の未来予想図でしょうかね。

心理学でも使うようですが、未来の自分と会話をすることで、現実を直視するようです。

10年後の思い描いている姿に対して、今の自分になにがたりないか把握するための、重要な手法のようです。

人生の逆算をします。10年後の目標達成のために、今なにをしなければならないか、来年はなにをしているべきかを理解することです。

将来展望、未来ビジョンの明確化。格好いい言葉でいえばそういうものでしょうか。

でも、今という時点が殺伐としていると、なかなか未来ビジョンなんて描けないものですよね。心の余裕ができて、初めて将来を考えることができるので、今が精一杯の時に、将来なんて考えられないですよね。将来が心配できることって、ある意味幸せなのかもしれませんね。

ライフプランって、アドバイスのつもりでしょうが、今が厳しい人にとってみれば、言う方は勝手という思いになるでしょうね。

でも、卑屈になったら負けです。今が大変でも、それでも、未来を見て行きましょう。せめて明日は明るいと信じて、夢だけでも見ましょうよ。

10年後の自分は光り輝いていますよ...

2012年7月7日土曜日

許すということについて

許すということはどういうことでしょうか。昔聞いたことを今でも覚えています。

 「許すということは、ここまで許してここからは許さないということはない。許すとはすべてをひっくるめて許して、はじめて許すということになる」

 なぜだか、ずっとこのフレーズは覚えています。どこで、何に書いてあったのかは記憶にはないのですが、ことばの内容が、当時の私にはあまりにも重く、衝撃的でした。それで、いまだに記憶に残っているのでしょう。

 許してもらうことが多ければ多いほど、人を許すことができるような気がします。傷を多く抱えている人ほど、人には優しくなれるのでしょう。

 傷つくことを恐れている人は、決して人にやさしくなんかできるはずがありません。痛みがわからないひとに、人の痛みはわかりません。

 すべてを許すという感情は、そう簡単にできるものではありませんが、恨みを持って生きていくことはつらいことです。スピリチュアルの人に言わせれば、魂にとても恨みはよくありません。

 許してしまえば楽になることもあるでしょう。許せない感情の奥には何があるのでしょうか。自尊心でしょうか。それこそ恨みでしょうか。

 人は悲しい生き物と言われますが、この辺りに、その所以があるのでしょうか。

 なぜかいつまでも覚えている台詞ってないですか。それは覚えておかなければならない理由があるのでしょう。
 
 山本周五郎の「畜生谷」という本を読もうかな・・・

2012年7月6日金曜日

良かれと思ってやったことが逆に・・・

良かれと思ってやったことが、逆にとられることはよくあります。役に立てると思ったことが、相手に迷惑をかけることもあります。

この「良かれ」と言うところが問題です。誰にとって良いことかということです。そこに、自分は一切入っていないかどうかです。

誰しも欲があります。相手にとってもいいことではありますが、自分にとってもよいこと、つまり、自分にも利があるかどうかで、その行為の本質は変わってきます。 利を膨らますために無理をするとか、落ち着くべきところに落ち着かにとか、邪なことはなかったか、そこはとても重要です。

「良い商品」という販売トークがありますが、誰にとって「よい」ことなのか。本当に買い手にとって良いことなのか。 売り手にのみ良いことではないのでしょうか。

良かれと思ってやったのに・・・このセリフの意味はどこにあるのでしょうか。

自分のことも振り返り、これらは大いに反省すべきことなのでしょう。

二兎を追うのは一兎も得ず、相手に利があれば自分はなくてもいいじゃないかの精神。解脱ですか。なかなか、欲は捨てられないものです。

はてさて、禅問答のようになてきましたが、この良かれと思ってやったことに責任はだれが取るのか。どのように跳ね返ってくるのか。それは、本当に良かれと思っているなら、私利私欲がないのであれば、恐れることはありません。

厳しい話ですが、忘れてはいけないことでもありますね。

2012年7月5日木曜日

朝は重要です

活きた時間とは「朝」のことです。本当の朝を持たなければ、一日駄目になるようで
す。昔から優れた人は、早起きでない人はいないと言われています。朝を制する者は、一日を制するでしょうか。

夜型という人がいますね。夜遅くになって仕事が進む人がいます。

朝は、苦手な教科を勉強するのが良いそうです。嫌なことは朝に行うのが良いのでしょう。嫌なことは後回しにしたくなる気持ちはわかりますけどね。

夜は、暗記物が良いそうです。そのまま睡眠に入るので、暗記したことが定着すると言われています。

とにかく、朝早く起きることはいことです。今年は辰年ですから、 朝の7時から9時を指します。この人為はおきているでしょうから、遅くても6時起床が良いですね。できれば5時起床ですかね。

朝を制する者は世界を制するでしょうか。

「早起きは三文の徳」という言葉があります。英語では


The early bird catches the worm.(早起きの鳥は虫をつかまえる)
The cow that's first up, gets the first of the dew.(最初に起きる牛は最初の朝露を吸う)

 というそうです

この言葉の反対の意味は、「長寝は三百の損」だそうです。

徳は三文で、損は三百ですか...

2012年7月4日水曜日

直観と一呼吸

物事を、ある側面だけでとらえていると、どうしても、本質を見落としがちになってしまいます。固定概念で目が曇ることもあります。一つの事ですべてを推し量ろうとすると、これも失敗を招く可能性が高くなります。

 一方、直観重視の考え方もあります。迷ったら、最初に感じたことを優先するという考えもありかもしれません。昔、テストで、答えに迷ったら、最初に思った答えを選択せよと、先生に言われたことがあります。

 ただ、直観、第一印象にこだわるのは良くないでしょうね。これは難しいですね。

 霊性を高めるというのは、何もスピリチュアルの観点だけではなく、物事を見るうえで、直観の精度を高めることにもなるのでしょうか。ちょっと違いますかね。スピリチュアルの人に怒られそうですな。

 物事を、いろんな角度からとらえるということは、現実的な行動から考えると、一呼吸置くことになります。すぐに飛びつくのではなく、いったん立ち止まって冷静になれ、クールダウンということなのでしょう。

 この一呼吸が大事ですね。

 経営者に話を聞くと、この両方の感覚、クールダウンと直感を研ぎ澄ますこと。どちらも長けている方が多いです。それを慎重派と評したり、積極的経営ともてはやしたりしていますが、おそらく、両方の要素をお持ちなのでしょう。

 一見、相反するもののように見えますが、実は根っこはつながっています。それは「経験」の裏打ちの上にあるということです。経験で培った情報を基に、直観による行動に対して自信が生まれます。経験が行動に「待った」をかけるのでしょう。

 「直観」は、成功体験の積み重ねで、「一呼吸」は、失敗例を自らの糧とした結果から生まれるのでしょう。どちらも、今までの生き方から、培われたものです。

 では、経験を大事にするということはどういうことでしょう。

 それは、時間を大切にする考えを持ち、時間を自分のものにすることでしょう。これは、少し熟練が必要で、修行が必要なことです。ある意味、境地に達する感じかもしれません。

 成功におごらず、失敗を素直に省みる勇気を持つことなのかもしれません。何事においても謙虚さが大事なのですね。でも謙虚すぎると、直観が鈍ります。行き過ぎる謙虚さは無礼になるそうですよ。

 あ~難しい・・・

2012年7月2日月曜日

政治の世界にはびこる病弊

政治には四つの病弊があるそうです。古来から言われていることのようですが、今の政治家にも当てはまりそうなことばかりですよ。

 一つ目は「偽」。偽り、うそですね。この表現が面白ろく、小さな嘘はすぐに見破られますが、社会、公共の事になるとだんだん真偽が紛らわしくなるそうです。これを巧みに操るのが政治家のようです。

 二つ目は「私」。かつては政界に出ると私産を失うと言われたそうです。まさにボランティアだったのでしょう。今では、自分のために政治家になる人が多いでしょう。政治家になると儲かるのですからね。政治家をボランティアと思っている人は、だれ一人いないでしょう。

 三つ目は「放」。無軌道、放埓、無礼、無責任を表しているそうです。この表現も面白く、政治家は、礼儀も道徳も、秩序も法律も無視して、自由と権利の下で、勝手放題にやって省みないと切り捨てています。

 四つ目は「奢(しゃ)」。これは贅沢をすること、おごることだそうです。なぜか政治家はいい家に住んでいて、カップラーメンの単価を知りません。とてもとても庶民の生活を理解しているとは思えない人が多いように見受けられます。

 これらを「四患」と呼ばれるそうです。これを巧みに操って政権打倒をもくろむのが、万年野党の行動でもあるそうです。

 これらに関しては、何のコメントもなく、ため息しか出ないのは私だけでしょうか・・・

2012年6月30日土曜日

こんどは「五美」

悪い例ばかり書いてきましたから、今日は良い方を探してきました。論語の中の言葉です。

人を恵んで嫌味なく、
労して怨みず
欲して貪らず
泰(ゆた)かで驕らず
威あって猛からず

これが美しい姿だそうです。こうありたいものですね。

こうなってはいけないことを書いてきましたが、今回は、こうありたいという姿を探してみました。美しいとは、何も見た目がきれいではなく、内面が素晴らしいことです。それは当たり前のことですが、心が美しいとは、自分に厳しく、人にやさしいことなのでしょうね。

周りには、確かに、この真逆の人が多いようでもあります。人間ですから、恨み妬みもあるでしょうし、手柄をひけらかし、それに見合った褒美を求める欲もあるでしょう。

この五つの「美」の境地に至るには、まだまだ修行が足りないのでしょうかね・・・

2012年6月29日金曜日

小市民万歳!!

日々の出来事でラッキーと思うことはよくありますよね。例えば、車で走っていて、珍しく信号に一回もひっかからなかったとか、遅刻すると思って駅に行ったら、列車が遅れていて、そのおかげで間に合ったとか...

小市民の喜びですよね。そんな小さなラッキーが、積み重なって幸せとは成り立っているのかもしれません。小市民って愛すべき存在ですね。

感謝。その気持ちはとても大切です。ラッキーと思ったあとは、そのことを起こしてくれたことに感謝です。感謝の繰り返しが優しさに繋がるのでしょう。

感謝の独り占めは良くないです。今度は人に分け与えてあげましょう。ラッキーのおすそ分けです。人に親切にしましょう。ラッキーと思った数だけ、人に優しくして行きましょう。それが幸せの連載です。

みんながみんな、少しでもそういう気持ちになってくれれば、素敵な世の中になるのでしょうにね。


小市民よ。胸を張って生きていきましょう!!

2012年6月28日木曜日

「五悪」というのもがあるそうです

孟子の性善説を否定している荀子の言葉に「五悪」というのがあります。彼にすれば、この五悪は盗賊よりも悪質だそうです。衆議院本会議を見ていての、昨日に続く第二弾のようですが、これも、たまたま見つけた言葉です。

 1、仕事が良くできて、心が険しいもの
 2、行が偏向して、しかも頑固なもの
 3、言うことが実は偽で、しかも口達者なもの
 4、くだらぬことばかり覚えて、しかも博識である
 5、悪勢力に附いて、しかもよく恩を売るもの

 これらはいずれ世を乱れるものとしています。

 いやはや、これもまた面白いものですな。1、2、は横わかります。ちょっと付き合いづらいですよね。い、に関しては上司につかれると部下はしんどそうですね。

 3、もよくいますね。4、は頭が痛いです。この博識と言うところが曲者なのでしょう。

 5、はたちが悪いですね。恩を売る人いますいます。これ嫌ですね。

 それにしても、昔の人は、よくいろんなことを観察して、端的な言葉で言い表しているものです。うんうんとうなずくものばかりです。

 ちょっと、ここの二日間、あまりよくない人のことを書きました。でも、それを知っておくことは非常に重要です。

 昨日、危機回避のための安全教育があって、講師の方が、犯罪者の心理を知ることで、事前回避を行おうと言っていました。その通りですね。敵を知って己を知るではないですが、犯罪者の心理を理解することは重要です。

 今回、嫌な人のことを知って、こうならないように気を付けようということで、とらえていただければ嬉しいです。自分自身も、昨日のことも含めて、こうならないように、 気を付けたいです。

2012年6月27日水曜日

衆議院本会議後の今日の言葉が面白い

安岡正篤翁の「安岡正篤一日一言」」という本の今日のページは、また面白いことを書いていますが、それが、ちょうど消費増税法案採決後の今日であることは、偶然の一致なのでしょうか。

今日、6月27日の ページには「五交」というタイトルになっています。以下、その本で紹介されている「五交」を書きます。五つの交わりですな。

1、勢交・・・勢力者に交を求める
2、賄交・・・財力ある者に交を求める
3、談交・・・能弁家に交を求める
4、窮交・・・困窮のため苦し紛れに交を求める
5、量交・・・利害を図って得な方に交を求める

とあります。なんとタイミングが良いこと。今の政治家そのもので、まさに昨日の衆議院本会議の面々を言い表していますな。いやはや実に痛快です。

もともと、吉田茂を含め、歴代大物総理の相談役であった安岡翁は、今の政治の在り様を見て、どう思われるのでしょうか。

文章はこう締めくくっています。

「(五交は)いずれも恥ずべきもので長くは続かぬが、かく挙げてくれが真の交わりというものも人世には得難いものである」

全くその通りです。サラリーマン出世街道なんてものが、戦後高度成長期には、おもしろおかしく描かれていましたが、まさに、この「五交」でした。社会での処世術とは、このようなものなのでしょうか。

これも、偶然ではなく必然なのでしょうか。

2012年6月26日火曜日

丹田に気を集中

丹田という「ツボ」があります。ちょうどおへそと性器の間ぐらいに位置しているもので、第二のチャクラとも呼ばれていますね。

 ここに神経を集中させ、ここがどっしりとするイメージを作ると、物事に集中できると言われています。

 お相撲さんが「四股」を踏みますね。体を落として、この丹田に力を入れて重心を下げるものです。四股は実に精神を集中させるには理にかなった方法だそうです。足を真横に開いて体を落とし込むだけでも、十分に精神は集中します。

 野球選手のイチロー選手が、必ず打席に立ち前には、この四股に似たポーズで、両肩を交互に中に入れるしぐさをしているかと思います。あれも、この丹田に力を込めて、打席に立つ前に、精神を集中させていると聞いています。

 国語学者の斎藤孝先生は、ものを覚えるのに良い方法は、四股を踏みながら本を読むことだそうです。両足を真横に開いて体を沈め、そのまますり足で歩き回りながら本を読むと、その内容が覚えやすくなるそうです。俳優さんで、このやり方でセリフを覚えている方がおられるとも聞いています。

 私も、セミナーの前では、見えないところで、四股の形で体重を落として丹田に気を集中させます。そうすると、自分の言葉とは思えないセリフが浮かんできて、セミナーが盛り上がることがあります。本当~っという視線が怖いですが・・・

 丹田、昔から武道でも用いられている言葉で、着に集中と言うものでは、どの世界でも通用することなのでしょう。

 「ここ」と言う時に、ぜひ試してみてください。女性の方は人前では恥ずかしいですから、トイレでこっそりとね、スカートの時は気を付けて。何を余計な心配をしているのでしょうか・・・

2012年6月25日月曜日

真剣と浮気

法然上人の言葉に、このタイトルの「真剣と浮気」についてのものがあるようです。

 真剣と浮気は正反対である。適切な例を引けば恋愛を考えるがよい、真剣に恋する女はわが恋人以外の世間の男一般は皆一向につまらない。一くねり世間の男を白眼視するようでなければ誠の恋ではないのである。

 この境地と相反するもが軽薄者です。

 無心に一人の人を信ずること、それは小児が親を頼るのと同じともいっておられます。

 ここまで言われて浮気をするとなると、それはまさに邪か鬼だと言われんばかりの迫力です。

 ある本には、恋愛は、どのような人を好きになるかは自分の人格と密接な関係があると書いてあります。自分という人物相応の相手に恋をするものだそうです。人は恋愛によって自分というものがあらわになると表現しています。

 と言うことは、恋愛において浮気をするということは、まだ自分探しをしているということなのですかね。自分探しとなると、きれいに聞こえすぎですか。

 一つの事に真剣になれることは素敵なことです。真剣と浮気、なにも恋愛の場面だけに限られた言葉ではありません。

 一生に一度、何もかも捨てて、一つの事にすべてをささげることができる、そういったことに巡り合えるということは、幸せなことなのかもしれませんね・・・

2012年6月24日日曜日

無視と感心

マザーテレサの言葉に「愛の反対は、無視、無関心」とういうのがあります。無視、無関心は、相手との関係を断ち切ることで、つながりをなくすことです。これはボランティアの世界でも語られる言葉で、少しの関心が社会を救うことはたくさんあります。

 湯浅誠さん、東京大学卒業の社会運動家で、あの派遣村の村長でも有名です。彼は、NPOを通じて、社会的弱者の救済をされていますが、東北の講演で、この言葉を使われていました。少しの関心が社会を救うというのは、実に奥が深く、実に大切なことだと感じます。

 無視、無関心は、実に生きていくには楽なのかもしれません。社会との関係を謝絶する生き方は、わずらわしさからの解放のようにも見えますが、決して、社会との関係を断ち切って生きていくことはできません。

 夫婦間で、いつしかお互いのことを気に掛けなくなってきて、髪型を変えても何もわからないという、まさに無関心の関係が多いようです。

 無視は最悪の暴力です。おそらく、殴られるよりも心は痛いと思います。言葉の暴力は、拳よりも人を傷つけますが、その言葉すらない攻撃のダメージは計り知れないでしょう。

 関心を持つと、人は人を好きになれます。だって、すごく気になりますからね。人に限らず、物事でも、関心のあることは、とことん追及していきます。ずっとかかわっていきたいという思いが出てきます。

 関心は、時間の経過が苦痛でなくなり、時間を友達にすることができます。これはすごく重要です。時間が味方となれば、その間の空間が助けとなります。時間も空間も「間」です。人間も「間」です。「間」は関心で埋まります。人と人との間をつなぐもが「関心」なのですね。

 人間関係を改善する最初の一歩は、人とのつながりの第一歩は、相手に関心を持つことからなのでしょう。

 関心か・・・なんかいい言葉ですね・・・

2012年6月23日土曜日

脳はどんどん使いましょう!!

脳は、使えば使うほどいいと聞きます。いくら使ってもくたびれないそうです。だから、つまらないことに使っていると退化してしまうそうです。

 自分としては少し難しいと思えるところに脳を使うのが良いそうです。

 大人になると、難しいことにはチャレンジしないで、できる範囲で、物事を考えようとします。その言い訳として、できないことに手を出しても人に迷惑をかけてしまうからと言うのがあります。迷惑は良くないですが、誰でも最初は初心者です。迷惑をかけるということを理由とするのは、完全に自分への言い訳です。

 子供のうちに、難しいことを教えることはいいそうです。子供の脳は活発化するそうですよ。

 大人の脳は固くなっていると言いますが、それはどうでしょうか。詰め込める量は決まっているとも言われますが、医学的にはそうかもしれませんが、精神論から言えば、単なる逃げです。

 かつて江夏豊という大投手がいました。彼は、肩を痛めていて、長い時間、投げ込めなくなっていました。当時、南海監督の野村勝也氏が江夏にしたことは、安静でも休養でもなく、ブルペンで無理やり投げさせることでした。とにかく投げ続けさせました。痛めた肩を、逆に酷使したのです。その結果が、のちの元祖リリーフエースの異名を与えられるぐらいの名投手として復活してきました。

 脳は酷使すればするほどいいそうです。大人になってはなおさらです。使わなければ退化してしまいます。どうしますか、頭が委縮して縮んで来たらみっともないですよ・・・

2012年6月21日木曜日

痛い体験・・・

足の指に腫瘍ができて、この間手術しました。レントゲンを撮ったら、骨から白いものが出ていて、それを骨腫瘍の疑いと最初に行った病院で言われて、がんセンターに入院することになりました。

 結果、良性で、腫瘍ではなく腫瘤と診断されました。患部はきれいに切除し、術後のレントゲンを撮りましたが、最初にとったレントゲンで見つかった白い突起物は残っていました。それが神経を圧迫して、時々痛みが残るようになりました。

 この指の腫瘍をずっと放ったらかしにしていたので、その腫瘍を体の一部と判断して骨が伸びてきていたようです。放っておいた結果、それを取り除いた後に、新たな痛みを伴うようになったのです。

 もっと早く切っておけば 、妙な突起はできなくて済んだのですね。まさに人生と同じです。

 厄介なことを放っておくと、後で困ることはたくさんあります。どうしても、逃げたくなることはいっぱいあります。逃げることでは何も解決しないということですね。身をもって体験しました。

 今日は私の「痛い」体験談でした・・・

2012年6月20日水曜日

聞き上手について

「聞き上手」と言われますが、どういう人のことを言うのでしょう。相手が気持ちよくなんでもしゃべってくれる環境をつくれる人のことでしょうか。

 聞き上手になるうための解説書はたくさんあります。しかし、相手がいくら多くをしゃべってくれても、それだけで何が良いことなのでしょうか。そもそも、何のために聞き上手にならなければならないのでしょうか。

 話下手だから聞き上手になるという意見もありますが、それは何の意味があるのでしょうか。人とのコミュニケーションをとるだけのテクニックだけなら、無理して人と付き合わない方がいいですよね。

 聞き上手とは、相手から、自分のためになることを聞き出す、専門知識を引き出すことではないでしょうか。つまり、相手からの情報を自分のこれからに生かしてこそ、はじめて聞き上手を目指す意味が生まれてくるのだと思います。

 相手が気持ちよくべらべらしゃっべってもらっても、聞いているだけでは疲れます。何も残りません。その内容が肝心で、それを知ることで、自分の知的欲求が満足するもよし、これからに生かせるもよしということで、はじめて人の話を聞く意味が生まれるのでしょう。そのために聞き方を勉強する、相手の専門知識を引き出すテクニックを学ぶことはよいことだと思います。

 自分が接するあらゆる人から、その専門知識や体験を聞き、わがものにすることができれば、疑似体験ができますし、多くを学べると思います。

2012年6月18日月曜日

運命と宿命

運命と宿命は違う、運命は変えられる、よく言われています。

 この言葉を体感するには、相当修行が必要なのかもしれませんが、人生あきらめないでということが根底にあるのかもしれません。

 宿命に任せていたら、人生惨憺たるものです。ところが、手を加えると、まったく別の運命が切り開かれていくのです。

 それは、放っておいたらどんな被害を生じるかもしれない水を、うまく治山治水することで、逆にどんな作物をうるおし、あるいは観光の人の目を慰め、いろんな利益をもたらすことができるのと同じことだと、ある本に書いてありました。

 つらいことが目の前に起きても、それは耐えられる人にしか来ないと言われますが、それは勘弁ですよね。 試練をありがとうと受け入れなさいとも教わったことがあります。これらは、相当の精神力が必要で、そのオンタイムでは、とてもそうは考えられないことのほうが多いような気がします。

 後から気づくこともあるでしょうし、とにかく、現時点というのは殺伐としていますからね。

 ただ、目の前の起こる悪いことを、すべて人のせいにすることはよくないと、それだけは理解できます。自分がまいた種、何らかの形で、自分にも責任の一端はあるものと思っています。それゆえに、目の前の出来事は素直に受け止めようとはする努力はします。結構きついですけどね。

 頑張れば、きっと未来は開けるものです。宿命とあきらめた時点で人生は終わりです。宿命は変えられないとすると、宿命を受け入れるしかないのですからね。でも、宿命が人生を決めるわけではない、その後の運命は生き方次第でどうにでも変わるということでしょう。

 いやはや、いろいろ解脱しないと出てこない境地ですね。

2012年6月15日金曜日

集中力

人間、そんなに物事に集中できる時間は長くはありません。専門家によってもその数値は異なり、また、個人差もあるでしょうが、せいぜい10分も集中していれば、いい方ではないでしょうか。

ところが、遊びのこととなると、これが結構持つのですよね。趣味に没頭というのもそうです。心が楽しいと思うことは長続きするようです。

勉強でも、人の話を聞く時でも、楽しく思えれば、集中力は保たれます。

サッカーの試合で、よく集中ということが言われますが、周りの状況を見て集中するのは、本当に大変です。予期せぬ出来事に備える準備は、神経がすり減る思いです。

いざという時に集中力を発揮できる人が一流なのでしょう。凡人と天才の差は、案外、ほんの一瞬の行動の違いなのかもしれません。しかし、その違いはとてつもなく大きいのかもしれません。

その人の本当の実力は、集中力の先に発揮されるのでしょう。では、その集中力を高めるにはどうすればいいのでしょうか。

それは習慣から生まれるもので、日々の努力の積み重ねから生まれるのでしょう。規則正しい生活が集中力を支えます。

そして、数分でもいいですから、物事に集中する時間を作る訓練を繰り返しましょう。これは、ヤクルトスワローズの選手兼監督であった古田敦也氏の話です。

1日数分です。ちょっと心がけて見ましょうかね•••

2012年6月12日火曜日

幸と福の違いは

同じ「さいわい」という意味で用いられる言葉でも、その意味は違うようです。「さいわい」の本質が異なるようです。そのことばは「幸福」の「幸」と「福」です。

 「幸」の文字を使う「さいわい」は、その幸いとなる原因が、自分の中にはなく、偶然的な、他より与えられた幸いを意味します。たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなくうまいめぐり合わせにあたったとかだそうです。

 「福」の文字を使う「さいわい」は、その幸いとなる原因が、自分の中にある、すなわち、自分の苦心、自分の努力によって勝ち得たものです。それは、「福」という漢字に表れています。

 示偏(しめすへん)は神様のことで、「示」というのは上から光がさしている、神の光、叡智の光を表します。旁(つくり)の方は、「収穫を積み重ねた」という文字です。農家では俵を積み上げるという文字です。この二つの言葉を合わせると、「福」とは、神様の前で積み上げられたものを表します。

 言葉は、その意味を知ると面白いものですね。

 「幸」は、俗っぽい言い方をすれば「ラッキー!!」ということでしょうかね。目指すは「福」の方ですね。「ラッキー」も実力のうちですから、ラッキーをうまく利用して、神様の前に俵を積み上げることが大事ですね。

2012年6月11日月曜日

物知りについて

「物知りは、人間の本質的価値に何ものを加えるものではない。いわんや、物知りを自慢するなどと言うのは、これくらい他愛もないことはない」

 ある書物の中に出てきた言葉です。あくまでも拾ってきた言葉ですよ。

 その本の作者は、クイズ番組を酷評しています。人間と知性の遊戯と言い、退屈まぎれの時間つぶしと、ずいぶんとまあ、すごい表現をしていました。

 確かに、今テレビでは、知性を競うような番組が多いですね。クイズ番組でも、昔のものとはちょっと違って、常識問題などもあったり、学閥争いをしていたりと、 物知りを競うものが多いです。

 テレビの流行は世相を反映するとは言いますが、これは、今の世の中の、何を映し出しているのでしょうか。

 一時は、細木数子さんや江原啓之さんの番組が多かった時代もありました。その時の時代が求めていたのがスピリチュアル系だったのでしょうか。喫茶店で、前世の話をしても平気になったのもテレビのおかげですよね。

 物を知っていても、それをうまく生かせないとなにもなりません。実社会で活用してこそ知識は生きてきます。

 学生時代は、古典も数学も物理も歴史も、すべて必要です。 学校は勉強の仕方を学ぶところで、社会人になってからたくさん勉強することがあり、その時にどうやって勉強したらいいかわからないことが不幸だと、ある人が言っていましたが、よくわかりますね。

 物を知っているだけが良いことではないですからね。

 まあ、前述の、ある作者のように、クイズ番組を、そこまでコケにすることもないでしょうが、テレビ番組も、製作費がないので、番組作りには苦労しているのでしょうね。

2012年6月9日土曜日

四十・五十にもなって・・・

安岡正篤翁の言葉で「四十・五十にして聞こゆるなきは畏るるに足らざるのみ」というのがあります。思わず笑ってしまった言葉です。

  世間的に地位や名声がなくても、自分の環境の中で、あるいは自分を取り巻く小さな世界の中だけでも構わないので、そこで、自分の名が聞こえてこないようではだめでと言うことだそうです。おるのかおらぬのかさっぱりわからないような存在ではだめですよと言っています。

  少しできた人間なら、世間はともかくとして、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえてくるものだと説明しています。面白いですね。

  この言葉の後半の「畏るるに足らざるのみ」は、安岡翁が付け足した言葉のようです。

  名を天下にはせる欲望はなくてもいいが、せめて、親戚・縁者の中だけでもいいから、名を知られる、一目置かれる存在であるべきだということでしょう。「いいおじさん」と言う表現で評価されてもいいそうですよ。

  こうも書いています。

  大小問わず、どこかでやっぱり聞こえなければ、四十・五十になった値打ちがない。


  いい年をして、家に帰っても女房・子どもから嫌がられる、そんなことでは人間はダメである・・・

  はたして自分自身はどうでしょうか・・・頑張ろう・・・

2012年6月6日水曜日

「独」は絶対

京都清水寺の漢字一文字ではないですが、「独」いう文字は、私たちが持つイメージとは違う意味があるそうです。

 「独」からの連想は孤独と言うもので、人から離れた寂しさを彷彿させる感じですが、実はこれには「絶対」と言う意味があるそうです。

 「独立」と言う言葉は日常、よく使います。 これの本当の意味は、何ら人に依存せず、自分自身が絶対的に立つということだそうです。一人暮らしをしていても、経済的援助を親からもらっていればそれは独立ではありません。それは当たり前ですね。

 会社から独立と言うのは自営になることですが、これも会社に制度依存しないで、自ら自分の制度を作り、自分で営業も経理も何もかも行うことですから、それは孤独とは意味合いが違いますね。

 「孤独」はひとりぼっちと言う気味ですが、絶対的に一人と言うことでしょうかね。こちらはやはり悲哀めいたものを感じますね。

 自分自身にどれだけ自信を持てるのでしょうか。「独」と胸張れることってあるのでしょうか。真の独立を目指したいですね。

2012年6月5日火曜日

人を観るには5つの要素があるそうですよ

人を見る5つの要点があるそうです

 1,まさに見た目、容姿・・・容姿姿態
 2,言動そのもの・・・言動動作
 3,身に着けているもの・・・衣服服飾
 4,気品や精神・・・気韻聖霊(きいんせいれい)
 5,人間としての格、度量の広さ・・・風度温籍(ふうどうんしゃ)

 この中で、最も核となるものは4番目の「気韻聖霊」だそうです。

 1~3は、形而上の問題です。つまりは「うわべ」です。いくらでも装えるというものと解釈しているようです。つまり、人間の本質ではないということなのでしょう。

 5番目は、心を鍛えた結果、自然と生まれるものです。

 となると、すべての根源である4番目が一番重要と言うことになります。人を観る(見るのではなく観る)には、その人の魂を観ることになるのでしょう。

 何やらスピリチュアルな話になりましたが、その人の心根、奥底にあるものを見抜く力が必要であるということなのでしょう。それがよく言う「いざという時に人は本性を表す」のとおり、何かの拍子に見える時を逃さないようにするのでしょうかね。

 人の魂を観る・・・人を見極めなくてもいいですが、自分がどう見られているかに考え方を変えた方がいいですね。つまり、これらの教訓は、人を見定めるためにあるのではなく、自分を鍛える心構えとして捉えるべきものなのでしょう。

 気品や精神、生まれつきなものと言う考え方もありますが、生きていく中で出会う難局に対する接し方で、いくらでも鍛えられます。日々の心構えで変わります。物事に対する考え方で変わります。

 特に、嫌なことがあったり嫌なことをされたりした時の、自分の振る舞いや考え方を変えるだけで人は変わります。 心を怒りに直結させるのではなく、一呼吸おいてみると、受け流すこともできるかもしれません。

 と言うことで、自分の魂を磨きましょう。いざと言う時に、自分の本性が出ても構わないようにしておきましょうね。ドキッ!!

2012年6月2日土曜日

守・破・離

守・破・離
武道、茶道などの道において用いられる言葉です。

「守」とは「学び」の段階です。師の教えを、正確かつ忠実に守り、精進します。物事の基本の作法・礼法・技法を身に着けることです。

「破」とは 「創造」の段階です。今まで学んできたことを受け、他の流派などを研究し、それぞれの利点を自分のものとし、自分の特性に合うようにアレンジしていくことです。基礎の上の破壊から生まれる創造です。

「離」とは「確立」の段階です。自己の研究の集大成とでもいうもので、おのずから一つの形、新機軸を開いて、独自の新しいものを生み出し、何物にもとらわれない境地に到達することです。

これらはすべての「道」に通じる教えで、人間として生きる道にもつながります。それは、経営においても同じことです。基本を学び、自らの特性に合うようにアレンジし、ぶれない確固たるものを作り上げることです。

まさに、自己発展の道が「守・破・離」です。 

師の教えられたままを実行するだけでは師を超えることはできません。「活人剣抜刀道」にはこうあります。

武道の世界では、古武道からはじめて古武道の中にとどまっていては後継者の存在価値はない。師をしのぎ、伝統を越え、親を超越して、より高い次元に発展成長してこそ文明の進歩である。

 なるほどね。またまたいい言葉発見です。

私が革新と言う言葉が大好きです。でも伝統と言う基礎の上に立って初めて革新があるのですね。

いわゆる「できる人」と言われている人は、自然とこれらを実行しているのでしょうね。

2012年6月1日金曜日

20秒間の勇気

マッド・デイモン主演の「幸せへのキセキ」という映画の予告編をたまたま見ました。落ちぶれた動物園を、家族とともに、仲間たちともに復興していくのですが、数々の困難が立ちはだかるなか、マッド・デイモンが子供に向けていう言葉に

 「20秒間の勇気を持とう」「そうすれば素晴らしいことが起きる」

 というのを発見しました。当然セリフは英語ですから、日本語吹き替えの字幕ですが、すごく感動しました。なんかグッとくるものがありました。たったそのセリフだけですが、思わず涙が出そうになってしまいました。心に響きましたね。

 「偶然は必然」と言いますが、きっとこのシーンを見ろと、神様がおっしゃっていただいたのかもしれません。

 ずっと頑張るのはしんどいです。体力も気力も持ちません。でも、ここという時に、ほんの一種運でもいいから勇気を振り絞れば、未来が切り開けることもあるのですね。それを人は奇跡と言うのでしょうが、奇跡は、ほんの小さな一歩から、自らが生み出しているものなのでしょう。

 「奇跡は起きるものではなく起こすもの」

 これも誰かのセリフでした。奇跡は自らが呼ぶものですね。いや~いい話やね~

 先ほどのマッド・デイモンのセリフですが、「20秒間」というのがいいですね。この数字はどこから来たのでしょう。そんなことはどうでもいいか・・・

 ほんの少しの勇気は、頑張ればだれでも持つことはできます。そのあとのことはなるがままに任せるしかないと腹をくくりましょうか。

 まずは、勇気を持ちましょう!!

2012年5月31日木曜日

お酒でストレスは発散できない

新橋のガード下でよく聞くフレーズです。それにしても、サラリーマンの憩いの場所は新橋のガード下なのでしょうかね。定番なのか、イメージなのかですね。

 イメージと言えば、スケベな人の真似とか、お金に汚い人のたとえをするときに関西弁になるのはやめてほしいです。地方に飛ばされるという表現も良くないですし、ドラマで、左遷先が決まって東北地方というのもやめてほしいです。 力説するようなことではないですけどね...

 話を戻しまして・・・

 ストレスをお酒で発散なんてありえません。むしろ、疲れがたまっていきます。愚痴で飲む酒は後で効きます。ひどい二日酔いになりませんか。

 楽しいお酒は、何故か翌日は平気なのです。当然、飲む量にもよりますが、笑って飲んだ方が気持ちもよく、体にもいいですね。酒の席での愚痴は良くないですが、ついつい、お酒の力をかりて愚痴りたくなります。

 でも、それはお酒の力ではないのでしょうね。本年なのでしょう。酒の席の事とごまかしますが、酒の席も現実ですから、相手にとっては忘れられないことですから、それは許されることではありません。反省...反省...

 酒でストレスを一時的に忘れる、あるいは酒でごまかすというのが正解でしょう。酒では何も解決しません。しらふでいられない精神状態を薬でごまかすのと同じです。ドラッグ効果なのでしょう。

 ストレスは一人で耐えるものだ・・・ある人が言っていました。ストレスを抱えて人は強くなるのだと付け加えていました。

 ストレスのない社会はありません。日々、誰もがストレスと向かい合って生きています。人と会うこともストレスになるときもありますからね。でも、ストレスを楽しむという人もいますが、あれって本当なのでしょうか。

 とにかく、お酒に逃げるのは良くないです。なにも解決しません。でもお酒を飲みたくなる時ってありますよね。人間って弱い生き物なんですね。

 なんか演歌の世界に入ってきましたね。あ~飲みに行きて~

2012年5月30日水曜日

変わること、変えることについて

慣習を破ることは難しいです。引継と言う言葉があります。これは踏襲と言う言葉にすり替えられています。前例に倣うということなのでしょう。事なかれ主義の表れです。

こういった風潮を、全面的に否定するつもりはありませんが、変わらないことが果たしてよいことなのでしょうか。変わらないことイコール後退とも取れます。

チェンジと言う言葉がはやりました。日本では政権交代、アメリカではオバマ大統領のチェンジですね。フランスでもチェンジです。変わっていないのはロシアです。こちらはまさに踏襲です。中国も踏襲の道を行くのでしょう。

中東アラブ諸国がチェンジの真っただ中です。ギリシャは変わらないことが後退への道につながりそうです。

政権交代して何もいいことはなかったじゃないかと言う、日本国民の声も聞かれそうです。アメリカやフランスではチェンジの結果はまだ出ていないようですからね。ロシアも中国も、変わらないことが良かったりもしますが、国家運営の場合、受け止め方が千差万別ですから、何がよくて何が悪いのかは、はっきりとはしません。経済がよくなっても失業者が増えたらよくないとなるのかもしれませんし、これは評価の仕様がないのかもしれません。

しかし、変わることを恐れて変えようとしない、あるいは周囲との軋轢を避けてばかりで変革を求めないことは、これは全然前進していないのと全く同じで、物事に対する姿勢に問題があるようです。

世の中には保守的な体質、保守的な組織があるものです。それを変えるのには相当骨が折れます。かなりの信念がなければ変えられません。変革の先に経済的利益がはっきりと見えていればいいのですが、試行錯誤であるなら、変革を推し進めるのはかなり厳しいですね。

長くその場にいると、感覚がマヒしてくることもあります。「朱に染まれば赤くなる」ではないですが、企業でも役所でも、必要悪の名のもとに、たとえば横領がまかりとおって、それを悪とも思わなくなる感覚です。

組織改編には第三者委員会が一番いいです。内部からの改革は難しいです。そういった意味では就任直後の変革が一番断行しやすいです。あとはトップダウン、強権でないと変わらないでしょう。

そんな難しい話はともかく、自分の中で常に第三者の目を持って、現状に疑問を持ち続けることが必要です。今よりも上に行くには、さらにランクアップするにはという「目線」を持つことです。

変革は勇気ではないと思います。それは内からわく「向上心」が起こすもので、向上心がなくなった時点で変革は起こらなくなるのでしょう。

温故知新も大事です。踏襲するものは踏襲して、変えるべきところ変える。 常にその先駆者でありたいと願うのですがね・・・

2012年5月29日火曜日

骨力というのがあります

骨力というのがあります。骨力とは、人生の矛盾を和らげる力だそうです。
世の中は矛盾だらけです。私たち人間は、魚や鳥を貯めて生きていますが、魚や鳥獣は、人間に食べられるために生きているわけではありません。そもそもそれが矛盾だということだそうです。宗教的に、動物を食べないというのもあるくらいですからね。

その矛盾に対して包容力がないと実に生きづらいです。この包容力が重要のようです。

矛盾に対する包容力、忍耐力、反省力、調和力、そういうものを骨力というそうです。

安岡正篤翁の言葉です。

矛盾は常に付きまとうものです。ただ、清濁併せのむということとは、ちょっと違うのかもしれません。真っ正直も大切ですが、融通が利かないのも困ります。あれっ、これもちょっと違うかな。

骨力の中には、たくさんの要素が含まれていますから、どれも正解なのでしょう。

2012年5月27日日曜日

本物と偽物

本物と偽物の見分け方、これは人に対してのことですが、実に簡単に表現しています。

 本物の人物とは故い友人(古い友人)を持っているものほど本物で、絶えず新しい友人をあさって歩くものは、それが順境(物事が都合よく運んでいる境遇)にあるものほど偽物だそうです。

 ある本で見つけたのですが、実に真相をついているものだと、心から思いました。

 近年多くの成功者と言われる人で、すぐに消えていった人たちは、まさに、会う人会う人、大きなネタを持ってきて、それがことごとく、いろんな人とのめぐり合わせの中で成功していくのですが、実は付き合いが浅く、去っていく速度も速いという感じです。

 この順境と言いう言葉に、その通りと叫んでしまいました。この偽物の定義は、絶対に覚えておいた方がいい内容ですね。

 話はコロッと変わってしまいますが、私がまだ十代のころ、ある人に聞いた話を思い出しました。それは本物の男の見分け方です。

 女性の前でどんなに紳士で優しくても、レストランなどでウェイトレスさんに偉そうな態度をとる人は偽物だということでした。 簡単な見分け方は、ウェイトレスさんが食事を運んできたときにさり気なく「ありがとう」と言える人は信用できるらしいです。

 また、男の見分け方は、同性に好かれているかどうかという話もありました。男に嫌われている男はだめだということだそうです。

 古い友人か...生まれ故郷を離れてずいぶんになりますが、今や年賀状のお付き合いだけですし、自分に古い友人がいるのかどうか。なんかさみしくなってきましたね...

2012年5月24日木曜日

人間の本質とは何か、ちょっと哲学的ですが・・・

人間の本質とはなにか。まさに哲学的な話ですが、そもそも本質とは、これがなければ存在しないもの、これだけは絶対になくてはならないもの(こと)です。
人間が人間としてあること、それは、人間らしさであるようです。う~ん。まだよくわかりませんね。哲学はそれを追求するために生まれてきたようなものですから、そう簡単い答えを導き出せるものではありません。

そもそもギリシャ哲学は、万物の本質を探究することから始まっています。「アルケー」と呼ばれる根源、根源的原理の探求が、いろんな思想を生んでいます。哲学の祖である、ミレトスという街のタレースは「万物のアルケーは水である」と説いています。
話が難しくなってきましたが、この人間のアルケーとはなにか。
古武道では、人間であることの本質的要素を、心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐するなどの特性こそが本質だと説いています。
人間が人間であることは、自分自身を戒め、人に愛を注ぐものなのでしょう。
また、本質があるということは、それに付随するものあります。それは知恵と技能だそうです。大事なものではありますが、程度の差はあり、本質的なものではないということだそうです。あるにこしたことはないというもので、より大切なことは、本質を磨くための良い習慣であり、良い習性をもつことだそうです。

なるほどね。昔の人はいいことを言いますね。無を形にするのが言葉で、哲学は、その言葉を大事にしているようです。

私の心に残っている哲学者の言葉は「無知の知」、かのソクラテスの言葉ですね。知らないから一緒に勉強しようの精神です。知らないことを知ることは楽しいですよ・・・

2012年5月23日水曜日

過去を学んで未来へ生かす、歴史は繰り返す・・・

歴史は繰り返すと言いますが、ファッションも流行もそうです。それは政治も経済も同じです。

歴史をなぜ学ぶのかという問いに、小学校の恩師が「過去を学んで未来へ生かす」と答えておられましたが、まさに、歴史は人類の経験が凝縮されていて、その後の出来事も学ぶことができます。過去はこうなっていたということが、事例としてわかるのが歴史です。

ところが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というのも人類の歴史そのものなのかもしれません。歴史は繰り返すとは、うまく言ったものですね。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」 これは、ドイツの、鉄の宰相と言われたビスマルクの言葉です。自分の失敗だけでなく、他人の失敗を参考にすることが大事ということだそうです。確かに、時として、経験は邪魔になることがあります。経験値が高い人ほど、判断に迷うこともあります。それは慎重ということで言いう変えることもできますが、改革に乗り出せないという表現もできます。物事には両側面があるということですね。

当然、立場によってものの考え方は異なります。多くの従業員を抱える経営者は、ものごとに慎重にならざるを得ないですし、 かといって、小さな会社は、イケイケどんどんで切り開くしか生きるすべはないという判断もあります。

歴史は、なにも、戦国時代にまでさかのぼらなくても、近代における経営者の言葉、著名人、思想家の言葉の中にも、大きなヒントは隠されていると思います。父母、祖父祖母の教えも重要ですね。

わたしは小学校の卒業式の時に、校長先生に言われた言葉を今でも覚えています。
「克己」と言う言葉です。これは「私欲を克服して天理に復帰すること」だそうですが、かつての五千円札の肖像であった新渡戸稲造氏によれば「心の安らかさを保つ」と言う意味だそうです。

私は「己に克つ」の「かつ」と言う音を、勝手に「勝つ」と解釈し、自分自身に勝つことだと理解して、この言葉を大切にしてきました。誤解もまた真なりですかね・・・

過去を学んで未来へ生かす。だから歴史が大好きなんです。

2012年5月22日火曜日

間違った四つの思想

昨日は思考の三原則を書きましたが、また面白い言葉を見つけました。「四つの誤り」だそうです。

 今の世にはびこっている思想には、間違った四種類の思想があるそうです。

 第一は「詖辞(ひじ)」 偏った議論。
 第二は「淫辞(いんじ)」 でたらめな議論
 第三は「邪辞(じゃじ)」 胸に一物を持って言う邪(よこしま)な理屈
 第四は「遁辞(とんじ)」 責任回避の逃げ口上

 だそうです。これは孟子の教えです。

 どれもこれも良くわかります。ようは、広い見地で、自分の意見で、素直に、損得なく、言ったことに責任を持つことですか。う~ん。ちょっと違うかな。知ったかぶりは良くないですね。これもちょっとちがうか~。

 でも、「詖辞」は、いろんなところで出くわすことはありますね。これは聞く側も拒否できそうです。「淫辞」は、分かる人にはわかるのでしょう。騙されないようにしないと。「邪辞」は、相手にばればれですよね。「遁辞」は、これもわかりそうな感じがします。こういう時はやたら多弁になっていますからね。

  人間は弱いもので、知らず知らずのうちに、この4つの誤った思想を持ちがちなのでしょうか。改めて、言葉にしてみると、うんうんと言いたくなります。今の政治家に聞かせたいですね。政治家に限らないですが、悪いことのたとえに政治家が使われること自体、良くないですね。

2012年5月21日月曜日

思考の三原則

安岡正篤翁の言葉に「思考の三原則」というのがあります。物事を考えるときに、それが特に難しい問題であればなおさらで、いつも三つの原則に基づいて考えるそうです。

まず一つ目は、目先にとらわれないで、できるだけ長い目で見ること
第二は、物事の一面にとらわれないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること
そして第三は、何事によらず枝葉末節にとらわれず、根本的に考えること

以上が「思考の三原則」です。

目先だけでみたり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いであると指摘されています。つまり、その結果がまったく正反対ということになるそうです。

物事が煮詰まると体を動かせと言われたこともあります。部屋の掃除をしたり模様替えをするのもいいそうですよ。ちょっと話の流れからそれましたかね...

難題にぶつかったときこそ、この三原則に立ち返ることだそうです。どうしても目の前の事象にとらわれることがあり、それで思考が堂々巡りすることがよくあります。とにかく物事のとらわれないことです。宇宙から地球を見る感じを、いつも心がけることが大事です。

この「思考の三原則」も日頃の習慣づけが大事です。習慣が人を作り育てます。常に意識して、この三原則にたって物を見る習慣をつけることが、初めて教えを会得することになりますからね。聞くだけ、感心しているだけではダメですね。

2012年5月16日水曜日

宗教と神様と、そしてお金と...

 You Tube で、ずいぶん懐かしい映像を見ました。それは、田原総一郎氏司会のテレビ朝日「朝まで生テレビ」の番組で、「なぜ若者は新興宗教にはまるのか」という内容の番組でした。幸福の科学とオウム真理教が登場していて、大学教授や作家の方が討論していました。

 地下鉄サリン事件前の話で、ちょうど、幸福の科学がフライデーに抗議のデモをしていたころのようでした。出演者には、当時、小川知子さんと幸福の科学の広告塔であったた景山民夫氏(故人)や、哲学者の池田晶子さん (故人)、評論家の西部邁氏などがいて、実にみんな若かったです。オウム真理教からは麻原彰晃死刑囚や当時の幹部であった上祐史浩現ひかりの輪代表、村井秀夫氏(故人)も出演していました。今から考えれば実に「濃い」メンバーです。

 宗教の在り方について、長時間にわたり討論をしていましたが、池田さんが言っていた「神は自らが作ったものでは」との問いかけに、実にかみ合わない議論が繰り返されていました。客席には、新興宗教の方々もいて、司会者の「なぜこの宗教に入ったのか」の問いに対して、必死で自分たちの主張を展開するという、何ともちぐはぐな空気が広がっていました。司会の田原氏が、宗教は、理想と現実の両側面を持っていて、現実の世界では、他宗派を否定するもので、決して受け入れないという台詞が印象的でした。

 当時の社会問題は、若者が妄信的に新興宗教を信じることで、現実社会を捨てて入信していくことでした。一人の老人の自宅に若い女性が何人も同居しているなんてこともありました。若者は何をよりどころにして新興宗教に入っていったのでしょう。何が彼らをそうさせたのでしょう。

 私の古い友人で、オウム真理教に入信して、熊本波野村で子供を預けて離れ離れになっていて、サリン事件後に手紙をくれたのですが、そこには「何が真実なのか」と書かれていました。 数珠を下げた彼ら親子を電車で見送ったことを思い出しました。それが彼らとの最後でしたが、その風景を思い出してつい涙してしまいました。

 宗教に関して、それぞれの神の考え方をここで論じるつもりはありません。映像を発見し、改めて、神の存在って何かなと考えただけです。

 ただ、今でも確信していることは、宗教にお金のにおいがしたら、それはもはや、神様とは関係ないということです。それは宗教団体ではなく営利団体であり、今でいう「ファンド」と同じです。お金儲けはまさに業であり、現世の欲の話です。
 法の華三法行という、静岡の足裏診断のグループがありましたが、多額のお金、これも絶妙な2~300万円ですが、それを支払うのは腹くくりの業であると言って、入信の覚悟を表すんものだと言っていました。これは詐欺でよく使う手で、何千万の資金融通するから、その根回し費用として、先ず数百万払いなさいというのと同じです。

 スピリチュアルの世界と金運は別物です。金運が上がるなんてふれこみは、そもそもがおかしいものです。お金を稼ぐことはあくまでも現実の世界で、運気でお金がめぐってくるものではありません。運がよくなり仕事のチャンスが来たということはあるでしょうが、それは日頃の努力の成果であって、運も実力のうちです。大事なのは、そのチャンスを生かすも殺すも己次第ということです。西に黄色のものを置いても金持ちにはなれません。

 もともとお金は黄金輝き、純粋なもので、人の欲が絡んで不純になっていくのだと聞いたことがあります。心を鍛えると、おのずとお金が寄ってくる、お金を使てもいい心の持ち主のところにお金は回ってくるというのです。では、いわゆる悪人と呼ばれる人のところにお金は廻ってきますけど、それはどうなるのでしょうか・・・
 前段のお金は純粋で、使い方次第で、純にも不純にもなるのはよくわかります。

 スピリチュアルの世界ではお金が物事をはかる単位ではないということなのでしょう。やはりスピリチュアルの世界とお金を稼ぐことは別なのでしょう。

 なんかだんだん堂々巡りのようになってきましたが、お金を稼ぐことは決して悪いことではありません。このセリフではいつも、村上世彰氏が記者会見を思い出します。確かに、お金を稼ぐことは何も悪いことではありません。それが運用であれ、投資であれ、何ら問題はありません。額に汗して稼いでいないという批判は、私はあまり納得していません。

 それにしても懐かしい名前ばかりで、考えたら、高度成長期があってバブルがあって、バブルがはじけて新興宗教が出てきて、ホリエモンや村上ファンドが登場して、江原さんや美輪さんが出てきて・・・今は何なのでしょうね。

 お金をどう使うかによって、その人の評価が分かれるのでしょうか。お金を良い方向に使う心を養うことはいいことです。私はそうありたいです。 その前に稼げってか・・・
 

 

2012年5月14日月曜日

理想について

安岡正篤翁の言葉に「理想」についての一説があります。文章をそのまま引用しますと

「あらゆる面において生命力の旺盛な少年時代・青年時代には、必ずこれから先ああしてこうしてといろいろな考えを持つ。これを「理想」という。その理想が、その人間に照らしてあまり実現性がないという場合に、これは「空想」ということになる。その人間に実力があれば空想に非ずして、理想になる。だから、理想を持つということは、これは人間生命の必然の作用であって、その理想をいかに空想に堕さしめざるかということが人間修行の一番大事な点である」

 素晴らしい言葉ですね。生きる意味を思い知らされます。理想がなければ生きていてもつまらないですものね。

 また、私が登録しているあるスピリチュアルな方のメルマガに、こんな言葉がありました。

「信じることが大事です。それは自分自身を信じることです。神様は必ずいらっしゃいます。だから、必ずあなたの思いを受け止めていただけます。 自分を信じなさい。楽しんでいるる姿を思い描いてください。自分を信じなければ何も実現しません。大丈夫です。信じましょう...」

  前向きと言えばそれまですが、この二つの文章の内容は、ほとんどの成功者と言われる人は実践しています。理想を抱いて、それは自分ならできるという自信(確信)を持ていて、常に成功をイメージされています。

 偶然にも(いや必然ですが)、この二つの文章を目にすることになりました。これはきっと神様が私に読めとおっしゃっておられるのでしょう (私は宗教家ではありませんが)。素晴らしい言葉ですね。なにやら目の前が明るくなったような気がします。

2012年5月11日金曜日

忘却曲線というのがあります

エバンハウスの忘却曲線というのがあります。これは人の記憶は時間経過とともに忘れていく(逆を返せば覚えている)もので、それを曲線としたものです。具体的には



  • 20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。
  • 1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。
  • 1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。
  • 1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。
  • 1ヶ月後には、79%を忘れを忘却し、21%を覚えていた。


  •  となっています。

    これを実生活に活用するとなると、勉強方法に取り入れることができます。勉強では復習が一番大事で、復習しなければ勉強してないのと同じとまで言われているそうです。

      この数字からわかることは、覚えた直後が一番忘れやすく、1週間たってからは忘れる量はあまり変わらないということになります。ここから言えることは、勉強した翌日に1回目の復習、一週間後に2回目の復讐、2週間後にさらに復習、そして、1か月後に復習すると良いということになります。

    本当に、ある意味、真剣に勉強するのは社会人になってからなのかもしれません。その時は、結構頭が固くなっていて、なかなか覚えられないなんてことありますよね。シンガーソングライターのさだまさしさんが、「学生の時に勉強するのは、勉強の仕方を学ぶことだ」と言っていました。古典も物理も数学も、どの教科も、一通り勉強することが大事です。

    2012年5月9日水曜日

    逆転の発想って面白いですね

    逆さづりの話を書きましたが、新し発見という意味でも、物事を逆の立場から見る発想はおもしろいですね。この逆転の発想で成功している企業もたくさんあります。テレビなどでも紹介されているので、ご存意の方も多いと思います。

     わざと段差や階段を使う介護施設。これはまさに逆転の発想です。わざとお年寄りには厳しい環境を設定することで、体を使ってもらうという、今までの常識を大きく覆した発想です。食事のときも自分でご飯をよそったり、おかずを取ったりしなければなりません。歩けなかった人が歩けるようになったとか、生きる喜びが生まれたとか、なかなかの評判だそうです。

     交通の便が悪いところに大型店舗を構えるスーパーが、年間170億円を稼ぎだすそうです。24時間営業、醤油だけでも200以上の品そろえが特徴のようです。立地をカバーできる特徴を持つことのようです。社員モラルも高く、アルバイトにもボーナス支給という、ふつうは考えられない話です。

     ビル解体を、ダルマ落としのように、下から順番に崩していくという、まさに、逆さづりの発想です。これが意外な副産物を生みます。重機を持ち上げて上から崩す方法よりも時間が短縮され、爆破の様な廃材も出にくく、エコに貢献している工法だそうです。

     これらは以前テレビで紹介されたもので、ご記憶の方もおられるでしょう。

     カップラーメンは日本で大人気ですが、海外での販売手法は、ファーストフードで売るのではなく、スープとしてのカテゴリーで販売して成功したそうです。日本よりも麺は短く、具剤も少ないそうですが、食事とともにスープを飲む習慣に目をつけての戦略だそうです。

     糸の針穴を、従来の逆の針先につけて開発されたのがミシンであることは有名な話です。純度を上げることに血眼になっていたときに、わざと不純物を混ぜることで生まれた「江崎ダイオード」で、ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈博士の例もあります。

     逆転の発想と一言で言うのかは簡単ですが、つねにリスクは伴います。それを覚悟してのことなのでしょうか。それとも確固たる信念があったのでしょうか。偶然の産物なのでしょうか。

     デメリットをメリットに替える発想も、中にはあるでしょうが、とにかく前向きであることは間違いありません。逆転の発想は実に痛快さを覚えますね。してやったりということを考えている私は、まだまだ小さいですね...

    2012年5月7日月曜日

    逆さづりの発想が面白い

    「フニクラ(fuikura)」という言葉を知りました。これはスペイン東部居住者ののカタルーニャ語だそうで「ガウディの逆さづり実験の曲線」の意味だそうです。短い単語に長い意味がついているのですね。

     このガウディとは人の名前です。スペインの近代建築の巨匠アントニオ・ガウディという人です。彼は力学的に安定した建造物を作ろうと、長年考えていた人で、とくに、建築物に曲線を取り入れることを研究していたようです。双曲線、放物線などのを、建築物にいかに重心を安定させて取り入れるかを得意としている建築家として有名だそうです。私は専門家ではないので、聞いた話をそのまま書いているので、ガウディ紹介は正しいかどうかはわかりません。そのガウディの話のなかで、この「逆さづり」が紹介されていました。

     サグラダ・ファミリア(ウィキペディア)、文化遺産にもなっている、スペイン・バルセロナにあるカトリックの教会です。これが、アントニオ・ガウディによる逆さづり実験のフニクラを取り入れた建築物なのです。ウィキペディアのアドレスを入れてありますので、このサグラダ・ファミリアを逆さまにしたところを想像してみてください。HPを丹念に探すと、逆さづり模型の絵も見つかるでしょう。とにかく面白いです。

     私が面白いと思ったのは、全部を逆さにつるして、つるした先に重りをつけてそれで建物の安定を考えたという発想そのものです。建物の重心をどうするかということを摸索したのでしょうかね。そのさかさまにつるすというアイデアが、凡人ではない所以なのでしょう。

     物事を、ある方面から見たことを真実と決めつけしまうことがよくあります。いろんな角度で、多方面から検証しようということを常に持ち合わせることってなかなかないですよね。まさか、逆さにするなんて思いもよりません。これは日常で、とても大事なことと思いました。

     逆転の発想なんて言葉がありますが、ちょっとイメージは違うかもしれませんが、逆さづりも地面に、安定感を求める建築するという考えからでは、素人の私には思いつかないです。

     先人に学ぶことは本当に多いですね。常にさかさまから物を見る習慣を、ちょっと意識してみましょうかね...

    2012年5月5日土曜日

    大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる

    大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる...日本航空再生に向かっていた時の稲盛氏の言葉です。安岡正篤翁の言葉にも「気の師」と言うのがあります。「師」は「すい」と読むそうで、志は精神の大統力であると書いています。「気の師」を「これ人の命であり、木の根であり、水の源である。もし志が立たねば精神は活動しない」と書いています。

     行動は精神がささえます。その精神が揺らいでいるうちは前には進めません。まさに「木の根」です。スピリチュアルの世界でも「根のチャクラ」と言うのがあり、ここがしっかりしていないとふわふわし、邪を寄せ付けることになってしまうというのだそうです。何事もどっしりと構え、基本がしっかりとすることが大事ですね。

     志を持つことがどれだけ重要か。使命とでもいうのでしょうか。生きる使命、なぜ生きているのか、いや生かされているのか。何をなすべきか...深いですね。

      迷うことはいくらでもあります。つらいこともたくさんあります。つらいことを試練と前向きに受け止めることは、なかなか強い気持ちがないと厳しいです。それを支えるのが志なのでしょうか。

     ちなみに、「大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる」と言う言葉は、日本航空再生に関しては、稲盛氏の後を引き継いだ植木社長が、稲盛氏に言われた言葉だそうです。まさに稲盛イズムでしょうか。大リストラを迫られ、社員をカットしなければならない苦しい立場でした。人を減らすことと、長年パイロットであったことから安全性とのはざまで、大きく揺れ動いていたそうです。

     「小善は大悪に似たり、大善は非常に似たり」これも、稲盛現会長から、当時言われた言葉だそうです。涙を呑んでリストラを断行したということです。ただし、安全性を確保できなければ飛行は中止するという判断を植木社長が行うことを条件に、リストラを行ったということだそうです。

     「大義を背負った時に、人間は一番強くなれる」と「気の師」、訴えたいことは異なるのかもしれませんが、なぜか、この二つの言葉を同時に思い出しました。まだまだですな~

    2012年5月4日金曜日

    「小」のつく者が日本をだめにする

    陽明学者で思想家の安岡正篤の書物を読みました。自民党大物宰相のアドバイザーとして活躍された人で、吉田茂や佐藤栄作などは彼に師事しています。

     その書物は「安岡正篤一日一言」といういので、安岡氏が発した言葉を、カレンダーにして、毎日ひとつの言葉を載せているものです。その中で2月11日の欄には「日本の危機の一原因」と題してあります。

     日本の行きづまりを危惧する内容で、戦後の急速な復興に気を良くして「小」のつく者がはびこったことが日本をだめにしていると書いてあります。この「小」のつく者とは、小利口者、小才子、小ずるい輩、小悪党と言っています。面白いですね。

     これに対しておっとりとした、思慮あり、情ある、真面目で勤勉な、頼もしい人間でなければならないと人が好まない、人が信用しないと書いています。これから日本人は心を入れ替えて人間を修養し、生活を正し、事業を興さねば、益々怪しくなると書いています。

      インターネットと言う便利さと引き換えに人間性を捨てた現代と、だれかが今の世の中を皮肉っていましたが、今私たちに求められているのは、この人間臭さなのかもしれませんね。「小」のつく者とは、実に面白い表現です。

    2012年5月2日水曜日

    温故知新と非常識

    非常識とは、他の業界のうまくいっていることを率先して真似ることが成功の鍵であると、ある経営コンサルタントの方の話です。ということは常識とは、業界の慣習を大事にするということなのでしょうか。

     ここでのポイントは「他の業界」ということです。同じような人と話をしていると、結局は同じことの堂々巡りになります。第三者委員会を立ち上げる必要性はまさにそれで、同じ立場の人と話をしても何も解決はしません。他業種の成功例を、自分の会社でとらえる人は数少ないです。それだけ柔軟な発想がなければいけないということなのでしょう。

     非常識は、決して悪い言葉ではありません。目立つことを嫌う日本人独特の美学から外れるだけで、成功している人のほとんどは、この非常識を常に実践している人たちが多いです。

     他業種というポイントに加え、うまくいっている事例ということも需要です。その業界ではうまくいかないが、ほかの局面では「うまく」いくということはあまりないような気がします。「うまくいく」ことは、どの局面でもうまくいくような気がします。 成功事例は、真似ることも大事ですが、いかに運用しているのかを知って、そこを真似ることが重要です。

     常識とは、世の中の多数決で決まるもので、常識が必ずしも正しいとは限りません。常識にとらわれることで、時代を見誤ることはよくあることです。非常識こそ、新しい道の活路なのかもしれません。

     ただし、温故知新、そこまでの歴史は大切に学ぶべきです。歴史を学んで非常識に挑むべきです。ここまでとは逆のことを言っているようですが、今までの経緯を把握しない限り、何が非常識かはわかりません。今までの中でもよいことは踏襲し、変えるべきところは変える、それが需要です。

     温故知新と非常識、会いまみえないようでいて、実はつながっているのですね。

    2012年1月11日水曜日

    泣いてもいいんだ! 乗り越えろ!!

    この歳になって漫画(アニメ)にはまってしまいました。ワンピースです。いまさらと言われそうですが、ずっと前からものすごく人気のあるマンガですね。大人もはまっている人が多いようです。  私もいろいろつらいことがあって歯を食いしばって踏ん張っているときに、テレビから流れてきた言葉で、アニメを見て涙が出てきたのは「火垂るの墓」を見た時以来ですね。  ワンピースファンの方なら、いまさら説明する話ではないですが、主人公のルフィーが、目の前で兄を殺されたことを聞いた師匠ともいうべき人が、遠い空の下で、主人公のルフィーに向かって言うセリフです。いや~実に格好いいですね。  You Tube で、英語字幕の映像があり、この部分は「It's okay to cry. But you have to move on !!」となっていました。英語で見ても格好いい~。  ワンピースには、名セリフが満載です。心にしみる、心に訴えかけているものが多いですね。これからいくつか拾っておきましょうかね。  思いっきり泣くと心が浄化されます。泣くことは決して悪いことではありません。我慢が一番体に悪いです。全部吐き出すことです。そこから新しいことが生まれます。  手のひらは、強く握りしめているとなにもつかむことはできません。思い切って、めいいっぱい手のひらを広げてごらん。なんでもつかむことができるようになりますよ。時には捨てることも大事なんだよ。  ある人に教わった言葉です。思い切って捨てることから新しいものが入ってきます。なくしたものを大事にかかえていると、そこからは何も生まれません。  泣くことで、とにかく今までを全部精算して、そして次のステージに向かって行く勇気が必要です。だから泣いてもいいんだと思います。泣いた後に乗り越える力を、勇気を持つことが大事なのですね。

    2012年1月9日月曜日

    潜在意識(想念)を信じよう!!

    「想念」というものがあります。心で思ったことがそのまま現実になる“想い”だそうです。「潜在意識」という表現もあります。ここでは日常用いられている「潜在意識」で表現します。 この潜在意識(想念)は、生まれてここまで、生きている間に細胞にしみついているもので、それまでの経験や考え方から成り立ています。常にネガティブな発想をしたり、それまでの経験でよくないことばかりを数えたりする癖が身についている、この潜在意識(想念)は、それがこの人には“心地よい状態”と認識して、常に目の前によくないことを起こさせるというものです。 考え方、思考は長年培ってきたので、そう簡単には変えられませんが、思考は必ず具現化します。ネガティブな思考を改めない限り、目の前に起こるよくないことは解消されません。  潜在意識(想念)は、本人が“意識している”意識していない”にかかわらず、本人のことはよく理解しています。潜在意識(想念)は、もし、ついつい消極的な思いを持つ人であれば、消極的なことを拾っては具現化するようにプログラムされているのです。  無意識という言葉がありますが、意識していないのは本人だけで、潜在意識は常に覚えています。ふとしたことで閃いたり、偶然にもテレビを見ていたら知りたい情報を得ることができたりすることがよくあります。これは「偶然」ではなく「必然」なのです。つまり、潜在意識(想念)が呼び起こしてくれたものです。「思いは通じる」「一念岩をも通す」は、まさにこのことを表現しています。  潜在意識(想念)は、記憶や感情の貯蔵庫のようなものです。いろんな思いや経験が蓄積されています。お金持ちになった人、成功者と呼ばれる人は、みんな必ず成功した姿を想像し、いつでも意識しているそうです。お金はすでに持っているものだと常に認識しています。それが「成功」というかたちであらわれているのだそうです。潜在意識(想念)は、言い換えれば、夢や望みのサポーターでもあります。  まずは、自分自身の可能性を信じることです。それは自分の潜在意識(想念)を肯定することにもつながります。そして、常に思考をポジティブに切り替えます。個々の細胞に、ポジティブな思い、前向きな発想を植え付けるのです。成功をイメージし、それが実現すると信じ、実現した後の光景を常に思い浮かべることで、潜在意識(想念)は、いつでも私たちのサポーターになってくれるのです。 潜在意識には大きな4つの特徴があります。 ・現実とイメージの区別がつかない ・時間の概念がない ・主語はすべて“私” ・否定形が理解できない  これを言い換えると      ・理想の状態を常にイメージすれば、理想になるような事柄が現れる           ○○をすでに実現している           私には必ずできる(I can do it !!) ・過去も未来もないので、今の自分の状態は全然関係ない ・すべての思考や感情を明るく前向きに変える 「○○さんのことが嫌い」=「私嫌い」と同じ意味です      ・プラスの言葉を使う  「○○したくない」=「○まるしたい」と同じ  「○○が起きなければいいのに」=「○○が起きてほしい」と同じ  「絶対だめだ」=「ダメな方が心地よい」と同じ  最初から、このようなことは思わないようにする  潜在意識(想念)は信頼にこたえます。必ず答えてくれるものです。それが「思いは通じる」「一念岩をも通す」の成功哲学につながるのです。成功者の前向きな発想もしかりです。周りにいったい実例がころがっているではありませんか。 潜在意識を信頼することは、自分自身を信頼することとです。自分の可能性を信じましょう。