2012年5月31日木曜日

お酒でストレスは発散できない

新橋のガード下でよく聞くフレーズです。それにしても、サラリーマンの憩いの場所は新橋のガード下なのでしょうかね。定番なのか、イメージなのかですね。

 イメージと言えば、スケベな人の真似とか、お金に汚い人のたとえをするときに関西弁になるのはやめてほしいです。地方に飛ばされるという表現も良くないですし、ドラマで、左遷先が決まって東北地方というのもやめてほしいです。 力説するようなことではないですけどね...

 話を戻しまして・・・

 ストレスをお酒で発散なんてありえません。むしろ、疲れがたまっていきます。愚痴で飲む酒は後で効きます。ひどい二日酔いになりませんか。

 楽しいお酒は、何故か翌日は平気なのです。当然、飲む量にもよりますが、笑って飲んだ方が気持ちもよく、体にもいいですね。酒の席での愚痴は良くないですが、ついつい、お酒の力をかりて愚痴りたくなります。

 でも、それはお酒の力ではないのでしょうね。本年なのでしょう。酒の席の事とごまかしますが、酒の席も現実ですから、相手にとっては忘れられないことですから、それは許されることではありません。反省...反省...

 酒でストレスを一時的に忘れる、あるいは酒でごまかすというのが正解でしょう。酒では何も解決しません。しらふでいられない精神状態を薬でごまかすのと同じです。ドラッグ効果なのでしょう。

 ストレスは一人で耐えるものだ・・・ある人が言っていました。ストレスを抱えて人は強くなるのだと付け加えていました。

 ストレスのない社会はありません。日々、誰もがストレスと向かい合って生きています。人と会うこともストレスになるときもありますからね。でも、ストレスを楽しむという人もいますが、あれって本当なのでしょうか。

 とにかく、お酒に逃げるのは良くないです。なにも解決しません。でもお酒を飲みたくなる時ってありますよね。人間って弱い生き物なんですね。

 なんか演歌の世界に入ってきましたね。あ~飲みに行きて~

2012年5月30日水曜日

変わること、変えることについて

慣習を破ることは難しいです。引継と言う言葉があります。これは踏襲と言う言葉にすり替えられています。前例に倣うということなのでしょう。事なかれ主義の表れです。

こういった風潮を、全面的に否定するつもりはありませんが、変わらないことが果たしてよいことなのでしょうか。変わらないことイコール後退とも取れます。

チェンジと言う言葉がはやりました。日本では政権交代、アメリカではオバマ大統領のチェンジですね。フランスでもチェンジです。変わっていないのはロシアです。こちらはまさに踏襲です。中国も踏襲の道を行くのでしょう。

中東アラブ諸国がチェンジの真っただ中です。ギリシャは変わらないことが後退への道につながりそうです。

政権交代して何もいいことはなかったじゃないかと言う、日本国民の声も聞かれそうです。アメリカやフランスではチェンジの結果はまだ出ていないようですからね。ロシアも中国も、変わらないことが良かったりもしますが、国家運営の場合、受け止め方が千差万別ですから、何がよくて何が悪いのかは、はっきりとはしません。経済がよくなっても失業者が増えたらよくないとなるのかもしれませんし、これは評価の仕様がないのかもしれません。

しかし、変わることを恐れて変えようとしない、あるいは周囲との軋轢を避けてばかりで変革を求めないことは、これは全然前進していないのと全く同じで、物事に対する姿勢に問題があるようです。

世の中には保守的な体質、保守的な組織があるものです。それを変えるのには相当骨が折れます。かなりの信念がなければ変えられません。変革の先に経済的利益がはっきりと見えていればいいのですが、試行錯誤であるなら、変革を推し進めるのはかなり厳しいですね。

長くその場にいると、感覚がマヒしてくることもあります。「朱に染まれば赤くなる」ではないですが、企業でも役所でも、必要悪の名のもとに、たとえば横領がまかりとおって、それを悪とも思わなくなる感覚です。

組織改編には第三者委員会が一番いいです。内部からの改革は難しいです。そういった意味では就任直後の変革が一番断行しやすいです。あとはトップダウン、強権でないと変わらないでしょう。

そんな難しい話はともかく、自分の中で常に第三者の目を持って、現状に疑問を持ち続けることが必要です。今よりも上に行くには、さらにランクアップするにはという「目線」を持つことです。

変革は勇気ではないと思います。それは内からわく「向上心」が起こすもので、向上心がなくなった時点で変革は起こらなくなるのでしょう。

温故知新も大事です。踏襲するものは踏襲して、変えるべきところ変える。 常にその先駆者でありたいと願うのですがね・・・

2012年5月29日火曜日

骨力というのがあります

骨力というのがあります。骨力とは、人生の矛盾を和らげる力だそうです。
世の中は矛盾だらけです。私たち人間は、魚や鳥を貯めて生きていますが、魚や鳥獣は、人間に食べられるために生きているわけではありません。そもそもそれが矛盾だということだそうです。宗教的に、動物を食べないというのもあるくらいですからね。

その矛盾に対して包容力がないと実に生きづらいです。この包容力が重要のようです。

矛盾に対する包容力、忍耐力、反省力、調和力、そういうものを骨力というそうです。

安岡正篤翁の言葉です。

矛盾は常に付きまとうものです。ただ、清濁併せのむということとは、ちょっと違うのかもしれません。真っ正直も大切ですが、融通が利かないのも困ります。あれっ、これもちょっと違うかな。

骨力の中には、たくさんの要素が含まれていますから、どれも正解なのでしょう。

2012年5月27日日曜日

本物と偽物

本物と偽物の見分け方、これは人に対してのことですが、実に簡単に表現しています。

 本物の人物とは故い友人(古い友人)を持っているものほど本物で、絶えず新しい友人をあさって歩くものは、それが順境(物事が都合よく運んでいる境遇)にあるものほど偽物だそうです。

 ある本で見つけたのですが、実に真相をついているものだと、心から思いました。

 近年多くの成功者と言われる人で、すぐに消えていった人たちは、まさに、会う人会う人、大きなネタを持ってきて、それがことごとく、いろんな人とのめぐり合わせの中で成功していくのですが、実は付き合いが浅く、去っていく速度も速いという感じです。

 この順境と言いう言葉に、その通りと叫んでしまいました。この偽物の定義は、絶対に覚えておいた方がいい内容ですね。

 話はコロッと変わってしまいますが、私がまだ十代のころ、ある人に聞いた話を思い出しました。それは本物の男の見分け方です。

 女性の前でどんなに紳士で優しくても、レストランなどでウェイトレスさんに偉そうな態度をとる人は偽物だということでした。 簡単な見分け方は、ウェイトレスさんが食事を運んできたときにさり気なく「ありがとう」と言える人は信用できるらしいです。

 また、男の見分け方は、同性に好かれているかどうかという話もありました。男に嫌われている男はだめだということだそうです。

 古い友人か...生まれ故郷を離れてずいぶんになりますが、今や年賀状のお付き合いだけですし、自分に古い友人がいるのかどうか。なんかさみしくなってきましたね...

2012年5月24日木曜日

人間の本質とは何か、ちょっと哲学的ですが・・・

人間の本質とはなにか。まさに哲学的な話ですが、そもそも本質とは、これがなければ存在しないもの、これだけは絶対になくてはならないもの(こと)です。
人間が人間としてあること、それは、人間らしさであるようです。う~ん。まだよくわかりませんね。哲学はそれを追求するために生まれてきたようなものですから、そう簡単い答えを導き出せるものではありません。

そもそもギリシャ哲学は、万物の本質を探究することから始まっています。「アルケー」と呼ばれる根源、根源的原理の探求が、いろんな思想を生んでいます。哲学の祖である、ミレトスという街のタレースは「万物のアルケーは水である」と説いています。
話が難しくなってきましたが、この人間のアルケーとはなにか。
古武道では、人間であることの本質的要素を、心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐するなどの特性こそが本質だと説いています。
人間が人間であることは、自分自身を戒め、人に愛を注ぐものなのでしょう。
また、本質があるということは、それに付随するものあります。それは知恵と技能だそうです。大事なものではありますが、程度の差はあり、本質的なものではないということだそうです。あるにこしたことはないというもので、より大切なことは、本質を磨くための良い習慣であり、良い習性をもつことだそうです。

なるほどね。昔の人はいいことを言いますね。無を形にするのが言葉で、哲学は、その言葉を大事にしているようです。

私の心に残っている哲学者の言葉は「無知の知」、かのソクラテスの言葉ですね。知らないから一緒に勉強しようの精神です。知らないことを知ることは楽しいですよ・・・

2012年5月23日水曜日

過去を学んで未来へ生かす、歴史は繰り返す・・・

歴史は繰り返すと言いますが、ファッションも流行もそうです。それは政治も経済も同じです。

歴史をなぜ学ぶのかという問いに、小学校の恩師が「過去を学んで未来へ生かす」と答えておられましたが、まさに、歴史は人類の経験が凝縮されていて、その後の出来事も学ぶことができます。過去はこうなっていたということが、事例としてわかるのが歴史です。

ところが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というのも人類の歴史そのものなのかもしれません。歴史は繰り返すとは、うまく言ったものですね。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」 これは、ドイツの、鉄の宰相と言われたビスマルクの言葉です。自分の失敗だけでなく、他人の失敗を参考にすることが大事ということだそうです。確かに、時として、経験は邪魔になることがあります。経験値が高い人ほど、判断に迷うこともあります。それは慎重ということで言いう変えることもできますが、改革に乗り出せないという表現もできます。物事には両側面があるということですね。

当然、立場によってものの考え方は異なります。多くの従業員を抱える経営者は、ものごとに慎重にならざるを得ないですし、 かといって、小さな会社は、イケイケどんどんで切り開くしか生きるすべはないという判断もあります。

歴史は、なにも、戦国時代にまでさかのぼらなくても、近代における経営者の言葉、著名人、思想家の言葉の中にも、大きなヒントは隠されていると思います。父母、祖父祖母の教えも重要ですね。

わたしは小学校の卒業式の時に、校長先生に言われた言葉を今でも覚えています。
「克己」と言う言葉です。これは「私欲を克服して天理に復帰すること」だそうですが、かつての五千円札の肖像であった新渡戸稲造氏によれば「心の安らかさを保つ」と言う意味だそうです。

私は「己に克つ」の「かつ」と言う音を、勝手に「勝つ」と解釈し、自分自身に勝つことだと理解して、この言葉を大切にしてきました。誤解もまた真なりですかね・・・

過去を学んで未来へ生かす。だから歴史が大好きなんです。

2012年5月22日火曜日

間違った四つの思想

昨日は思考の三原則を書きましたが、また面白い言葉を見つけました。「四つの誤り」だそうです。

 今の世にはびこっている思想には、間違った四種類の思想があるそうです。

 第一は「詖辞(ひじ)」 偏った議論。
 第二は「淫辞(いんじ)」 でたらめな議論
 第三は「邪辞(じゃじ)」 胸に一物を持って言う邪(よこしま)な理屈
 第四は「遁辞(とんじ)」 責任回避の逃げ口上

 だそうです。これは孟子の教えです。

 どれもこれも良くわかります。ようは、広い見地で、自分の意見で、素直に、損得なく、言ったことに責任を持つことですか。う~ん。ちょっと違うかな。知ったかぶりは良くないですね。これもちょっとちがうか~。

 でも、「詖辞」は、いろんなところで出くわすことはありますね。これは聞く側も拒否できそうです。「淫辞」は、分かる人にはわかるのでしょう。騙されないようにしないと。「邪辞」は、相手にばればれですよね。「遁辞」は、これもわかりそうな感じがします。こういう時はやたら多弁になっていますからね。

  人間は弱いもので、知らず知らずのうちに、この4つの誤った思想を持ちがちなのでしょうか。改めて、言葉にしてみると、うんうんと言いたくなります。今の政治家に聞かせたいですね。政治家に限らないですが、悪いことのたとえに政治家が使われること自体、良くないですね。

2012年5月21日月曜日

思考の三原則

安岡正篤翁の言葉に「思考の三原則」というのがあります。物事を考えるときに、それが特に難しい問題であればなおさらで、いつも三つの原則に基づいて考えるそうです。

まず一つ目は、目先にとらわれないで、できるだけ長い目で見ること
第二は、物事の一面にとらわれないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること
そして第三は、何事によらず枝葉末節にとらわれず、根本的に考えること

以上が「思考の三原則」です。

目先だけでみたり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いであると指摘されています。つまり、その結果がまったく正反対ということになるそうです。

物事が煮詰まると体を動かせと言われたこともあります。部屋の掃除をしたり模様替えをするのもいいそうですよ。ちょっと話の流れからそれましたかね...

難題にぶつかったときこそ、この三原則に立ち返ることだそうです。どうしても目の前の事象にとらわれることがあり、それで思考が堂々巡りすることがよくあります。とにかく物事のとらわれないことです。宇宙から地球を見る感じを、いつも心がけることが大事です。

この「思考の三原則」も日頃の習慣づけが大事です。習慣が人を作り育てます。常に意識して、この三原則にたって物を見る習慣をつけることが、初めて教えを会得することになりますからね。聞くだけ、感心しているだけではダメですね。

2012年5月16日水曜日

宗教と神様と、そしてお金と...

 You Tube で、ずいぶん懐かしい映像を見ました。それは、田原総一郎氏司会のテレビ朝日「朝まで生テレビ」の番組で、「なぜ若者は新興宗教にはまるのか」という内容の番組でした。幸福の科学とオウム真理教が登場していて、大学教授や作家の方が討論していました。

 地下鉄サリン事件前の話で、ちょうど、幸福の科学がフライデーに抗議のデモをしていたころのようでした。出演者には、当時、小川知子さんと幸福の科学の広告塔であったた景山民夫氏(故人)や、哲学者の池田晶子さん (故人)、評論家の西部邁氏などがいて、実にみんな若かったです。オウム真理教からは麻原彰晃死刑囚や当時の幹部であった上祐史浩現ひかりの輪代表、村井秀夫氏(故人)も出演していました。今から考えれば実に「濃い」メンバーです。

 宗教の在り方について、長時間にわたり討論をしていましたが、池田さんが言っていた「神は自らが作ったものでは」との問いかけに、実にかみ合わない議論が繰り返されていました。客席には、新興宗教の方々もいて、司会者の「なぜこの宗教に入ったのか」の問いに対して、必死で自分たちの主張を展開するという、何ともちぐはぐな空気が広がっていました。司会の田原氏が、宗教は、理想と現実の両側面を持っていて、現実の世界では、他宗派を否定するもので、決して受け入れないという台詞が印象的でした。

 当時の社会問題は、若者が妄信的に新興宗教を信じることで、現実社会を捨てて入信していくことでした。一人の老人の自宅に若い女性が何人も同居しているなんてこともありました。若者は何をよりどころにして新興宗教に入っていったのでしょう。何が彼らをそうさせたのでしょう。

 私の古い友人で、オウム真理教に入信して、熊本波野村で子供を預けて離れ離れになっていて、サリン事件後に手紙をくれたのですが、そこには「何が真実なのか」と書かれていました。 数珠を下げた彼ら親子を電車で見送ったことを思い出しました。それが彼らとの最後でしたが、その風景を思い出してつい涙してしまいました。

 宗教に関して、それぞれの神の考え方をここで論じるつもりはありません。映像を発見し、改めて、神の存在って何かなと考えただけです。

 ただ、今でも確信していることは、宗教にお金のにおいがしたら、それはもはや、神様とは関係ないということです。それは宗教団体ではなく営利団体であり、今でいう「ファンド」と同じです。お金儲けはまさに業であり、現世の欲の話です。
 法の華三法行という、静岡の足裏診断のグループがありましたが、多額のお金、これも絶妙な2~300万円ですが、それを支払うのは腹くくりの業であると言って、入信の覚悟を表すんものだと言っていました。これは詐欺でよく使う手で、何千万の資金融通するから、その根回し費用として、先ず数百万払いなさいというのと同じです。

 スピリチュアルの世界と金運は別物です。金運が上がるなんてふれこみは、そもそもがおかしいものです。お金を稼ぐことはあくまでも現実の世界で、運気でお金がめぐってくるものではありません。運がよくなり仕事のチャンスが来たということはあるでしょうが、それは日頃の努力の成果であって、運も実力のうちです。大事なのは、そのチャンスを生かすも殺すも己次第ということです。西に黄色のものを置いても金持ちにはなれません。

 もともとお金は黄金輝き、純粋なもので、人の欲が絡んで不純になっていくのだと聞いたことがあります。心を鍛えると、おのずとお金が寄ってくる、お金を使てもいい心の持ち主のところにお金は回ってくるというのです。では、いわゆる悪人と呼ばれる人のところにお金は廻ってきますけど、それはどうなるのでしょうか・・・
 前段のお金は純粋で、使い方次第で、純にも不純にもなるのはよくわかります。

 スピリチュアルの世界ではお金が物事をはかる単位ではないということなのでしょう。やはりスピリチュアルの世界とお金を稼ぐことは別なのでしょう。

 なんかだんだん堂々巡りのようになってきましたが、お金を稼ぐことは決して悪いことではありません。このセリフではいつも、村上世彰氏が記者会見を思い出します。確かに、お金を稼ぐことは何も悪いことではありません。それが運用であれ、投資であれ、何ら問題はありません。額に汗して稼いでいないという批判は、私はあまり納得していません。

 それにしても懐かしい名前ばかりで、考えたら、高度成長期があってバブルがあって、バブルがはじけて新興宗教が出てきて、ホリエモンや村上ファンドが登場して、江原さんや美輪さんが出てきて・・・今は何なのでしょうね。

 お金をどう使うかによって、その人の評価が分かれるのでしょうか。お金を良い方向に使う心を養うことはいいことです。私はそうありたいです。 その前に稼げってか・・・
 

 

2012年5月14日月曜日

理想について

安岡正篤翁の言葉に「理想」についての一説があります。文章をそのまま引用しますと

「あらゆる面において生命力の旺盛な少年時代・青年時代には、必ずこれから先ああしてこうしてといろいろな考えを持つ。これを「理想」という。その理想が、その人間に照らしてあまり実現性がないという場合に、これは「空想」ということになる。その人間に実力があれば空想に非ずして、理想になる。だから、理想を持つということは、これは人間生命の必然の作用であって、その理想をいかに空想に堕さしめざるかということが人間修行の一番大事な点である」

 素晴らしい言葉ですね。生きる意味を思い知らされます。理想がなければ生きていてもつまらないですものね。

 また、私が登録しているあるスピリチュアルな方のメルマガに、こんな言葉がありました。

「信じることが大事です。それは自分自身を信じることです。神様は必ずいらっしゃいます。だから、必ずあなたの思いを受け止めていただけます。 自分を信じなさい。楽しんでいるる姿を思い描いてください。自分を信じなければ何も実現しません。大丈夫です。信じましょう...」

  前向きと言えばそれまですが、この二つの文章の内容は、ほとんどの成功者と言われる人は実践しています。理想を抱いて、それは自分ならできるという自信(確信)を持ていて、常に成功をイメージされています。

 偶然にも(いや必然ですが)、この二つの文章を目にすることになりました。これはきっと神様が私に読めとおっしゃっておられるのでしょう (私は宗教家ではありませんが)。素晴らしい言葉ですね。なにやら目の前が明るくなったような気がします。

2012年5月11日金曜日

忘却曲線というのがあります

エバンハウスの忘却曲線というのがあります。これは人の記憶は時間経過とともに忘れていく(逆を返せば覚えている)もので、それを曲線としたものです。具体的には



  • 20分後には、42%を忘却し、58%を覚えていた。
  • 1時間後には、56%を忘却し、44%を覚えていた。
  • 1日後には、74%を忘却し、26%を覚えていた。
  • 1週間後には、77%を忘却し、23%を覚えていた。
  • 1ヶ月後には、79%を忘れを忘却し、21%を覚えていた。


  •  となっています。

    これを実生活に活用するとなると、勉強方法に取り入れることができます。勉強では復習が一番大事で、復習しなければ勉強してないのと同じとまで言われているそうです。

      この数字からわかることは、覚えた直後が一番忘れやすく、1週間たってからは忘れる量はあまり変わらないということになります。ここから言えることは、勉強した翌日に1回目の復習、一週間後に2回目の復讐、2週間後にさらに復習、そして、1か月後に復習すると良いということになります。

    本当に、ある意味、真剣に勉強するのは社会人になってからなのかもしれません。その時は、結構頭が固くなっていて、なかなか覚えられないなんてことありますよね。シンガーソングライターのさだまさしさんが、「学生の時に勉強するのは、勉強の仕方を学ぶことだ」と言っていました。古典も物理も数学も、どの教科も、一通り勉強することが大事です。

    2012年5月9日水曜日

    逆転の発想って面白いですね

    逆さづりの話を書きましたが、新し発見という意味でも、物事を逆の立場から見る発想はおもしろいですね。この逆転の発想で成功している企業もたくさんあります。テレビなどでも紹介されているので、ご存意の方も多いと思います。

     わざと段差や階段を使う介護施設。これはまさに逆転の発想です。わざとお年寄りには厳しい環境を設定することで、体を使ってもらうという、今までの常識を大きく覆した発想です。食事のときも自分でご飯をよそったり、おかずを取ったりしなければなりません。歩けなかった人が歩けるようになったとか、生きる喜びが生まれたとか、なかなかの評判だそうです。

     交通の便が悪いところに大型店舗を構えるスーパーが、年間170億円を稼ぎだすそうです。24時間営業、醤油だけでも200以上の品そろえが特徴のようです。立地をカバーできる特徴を持つことのようです。社員モラルも高く、アルバイトにもボーナス支給という、ふつうは考えられない話です。

     ビル解体を、ダルマ落としのように、下から順番に崩していくという、まさに、逆さづりの発想です。これが意外な副産物を生みます。重機を持ち上げて上から崩す方法よりも時間が短縮され、爆破の様な廃材も出にくく、エコに貢献している工法だそうです。

     これらは以前テレビで紹介されたもので、ご記憶の方もおられるでしょう。

     カップラーメンは日本で大人気ですが、海外での販売手法は、ファーストフードで売るのではなく、スープとしてのカテゴリーで販売して成功したそうです。日本よりも麺は短く、具剤も少ないそうですが、食事とともにスープを飲む習慣に目をつけての戦略だそうです。

     糸の針穴を、従来の逆の針先につけて開発されたのがミシンであることは有名な話です。純度を上げることに血眼になっていたときに、わざと不純物を混ぜることで生まれた「江崎ダイオード」で、ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈博士の例もあります。

     逆転の発想と一言で言うのかは簡単ですが、つねにリスクは伴います。それを覚悟してのことなのでしょうか。それとも確固たる信念があったのでしょうか。偶然の産物なのでしょうか。

     デメリットをメリットに替える発想も、中にはあるでしょうが、とにかく前向きであることは間違いありません。逆転の発想は実に痛快さを覚えますね。してやったりということを考えている私は、まだまだ小さいですね...

    2012年5月7日月曜日

    逆さづりの発想が面白い

    「フニクラ(fuikura)」という言葉を知りました。これはスペイン東部居住者ののカタルーニャ語だそうで「ガウディの逆さづり実験の曲線」の意味だそうです。短い単語に長い意味がついているのですね。

     このガウディとは人の名前です。スペインの近代建築の巨匠アントニオ・ガウディという人です。彼は力学的に安定した建造物を作ろうと、長年考えていた人で、とくに、建築物に曲線を取り入れることを研究していたようです。双曲線、放物線などのを、建築物にいかに重心を安定させて取り入れるかを得意としている建築家として有名だそうです。私は専門家ではないので、聞いた話をそのまま書いているので、ガウディ紹介は正しいかどうかはわかりません。そのガウディの話のなかで、この「逆さづり」が紹介されていました。

     サグラダ・ファミリア(ウィキペディア)、文化遺産にもなっている、スペイン・バルセロナにあるカトリックの教会です。これが、アントニオ・ガウディによる逆さづり実験のフニクラを取り入れた建築物なのです。ウィキペディアのアドレスを入れてありますので、このサグラダ・ファミリアを逆さまにしたところを想像してみてください。HPを丹念に探すと、逆さづり模型の絵も見つかるでしょう。とにかく面白いです。

     私が面白いと思ったのは、全部を逆さにつるして、つるした先に重りをつけてそれで建物の安定を考えたという発想そのものです。建物の重心をどうするかということを摸索したのでしょうかね。そのさかさまにつるすというアイデアが、凡人ではない所以なのでしょう。

     物事を、ある方面から見たことを真実と決めつけしまうことがよくあります。いろんな角度で、多方面から検証しようということを常に持ち合わせることってなかなかないですよね。まさか、逆さにするなんて思いもよりません。これは日常で、とても大事なことと思いました。

     逆転の発想なんて言葉がありますが、ちょっとイメージは違うかもしれませんが、逆さづりも地面に、安定感を求める建築するという考えからでは、素人の私には思いつかないです。

     先人に学ぶことは本当に多いですね。常にさかさまから物を見る習慣を、ちょっと意識してみましょうかね...

    2012年5月5日土曜日

    大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる

    大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる...日本航空再生に向かっていた時の稲盛氏の言葉です。安岡正篤翁の言葉にも「気の師」と言うのがあります。「師」は「すい」と読むそうで、志は精神の大統力であると書いています。「気の師」を「これ人の命であり、木の根であり、水の源である。もし志が立たねば精神は活動しない」と書いています。

     行動は精神がささえます。その精神が揺らいでいるうちは前には進めません。まさに「木の根」です。スピリチュアルの世界でも「根のチャクラ」と言うのがあり、ここがしっかりしていないとふわふわし、邪を寄せ付けることになってしまうというのだそうです。何事もどっしりと構え、基本がしっかりとすることが大事ですね。

     志を持つことがどれだけ重要か。使命とでもいうのでしょうか。生きる使命、なぜ生きているのか、いや生かされているのか。何をなすべきか...深いですね。

      迷うことはいくらでもあります。つらいこともたくさんあります。つらいことを試練と前向きに受け止めることは、なかなか強い気持ちがないと厳しいです。それを支えるのが志なのでしょうか。

     ちなみに、「大義を背負ったときに、人間は一番強くなれる」と言う言葉は、日本航空再生に関しては、稲盛氏の後を引き継いだ植木社長が、稲盛氏に言われた言葉だそうです。まさに稲盛イズムでしょうか。大リストラを迫られ、社員をカットしなければならない苦しい立場でした。人を減らすことと、長年パイロットであったことから安全性とのはざまで、大きく揺れ動いていたそうです。

     「小善は大悪に似たり、大善は非常に似たり」これも、稲盛現会長から、当時言われた言葉だそうです。涙を呑んでリストラを断行したということです。ただし、安全性を確保できなければ飛行は中止するという判断を植木社長が行うことを条件に、リストラを行ったということだそうです。

     「大義を背負った時に、人間は一番強くなれる」と「気の師」、訴えたいことは異なるのかもしれませんが、なぜか、この二つの言葉を同時に思い出しました。まだまだですな~

    2012年5月4日金曜日

    「小」のつく者が日本をだめにする

    陽明学者で思想家の安岡正篤の書物を読みました。自民党大物宰相のアドバイザーとして活躍された人で、吉田茂や佐藤栄作などは彼に師事しています。

     その書物は「安岡正篤一日一言」といういので、安岡氏が発した言葉を、カレンダーにして、毎日ひとつの言葉を載せているものです。その中で2月11日の欄には「日本の危機の一原因」と題してあります。

     日本の行きづまりを危惧する内容で、戦後の急速な復興に気を良くして「小」のつく者がはびこったことが日本をだめにしていると書いてあります。この「小」のつく者とは、小利口者、小才子、小ずるい輩、小悪党と言っています。面白いですね。

     これに対しておっとりとした、思慮あり、情ある、真面目で勤勉な、頼もしい人間でなければならないと人が好まない、人が信用しないと書いています。これから日本人は心を入れ替えて人間を修養し、生活を正し、事業を興さねば、益々怪しくなると書いています。

      インターネットと言う便利さと引き換えに人間性を捨てた現代と、だれかが今の世の中を皮肉っていましたが、今私たちに求められているのは、この人間臭さなのかもしれませんね。「小」のつく者とは、実に面白い表現です。

    2012年5月2日水曜日

    温故知新と非常識

    非常識とは、他の業界のうまくいっていることを率先して真似ることが成功の鍵であると、ある経営コンサルタントの方の話です。ということは常識とは、業界の慣習を大事にするということなのでしょうか。

     ここでのポイントは「他の業界」ということです。同じような人と話をしていると、結局は同じことの堂々巡りになります。第三者委員会を立ち上げる必要性はまさにそれで、同じ立場の人と話をしても何も解決はしません。他業種の成功例を、自分の会社でとらえる人は数少ないです。それだけ柔軟な発想がなければいけないということなのでしょう。

     非常識は、決して悪い言葉ではありません。目立つことを嫌う日本人独特の美学から外れるだけで、成功している人のほとんどは、この非常識を常に実践している人たちが多いです。

     他業種というポイントに加え、うまくいっている事例ということも需要です。その業界ではうまくいかないが、ほかの局面では「うまく」いくということはあまりないような気がします。「うまくいく」ことは、どの局面でもうまくいくような気がします。 成功事例は、真似ることも大事ですが、いかに運用しているのかを知って、そこを真似ることが重要です。

     常識とは、世の中の多数決で決まるもので、常識が必ずしも正しいとは限りません。常識にとらわれることで、時代を見誤ることはよくあることです。非常識こそ、新しい道の活路なのかもしれません。

     ただし、温故知新、そこまでの歴史は大切に学ぶべきです。歴史を学んで非常識に挑むべきです。ここまでとは逆のことを言っているようですが、今までの経緯を把握しない限り、何が非常識かはわかりません。今までの中でもよいことは踏襲し、変えるべきところは変える、それが需要です。

     温故知新と非常識、会いまみえないようでいて、実はつながっているのですね。