顔で笑って心で泣いて・・・は聞いたことがあります。やせ我慢のようなものですね。「男はつらいよ」で、寅さんがよく使っている言葉で、変な男の美学のように使われることがあります。
劇中でも、何作目かで、甥っ子の吉岡くんが後藤久美子が嫁に行くのを妨害した時に、寅さんが、吉岡くんにたしなめていた時のセリフでもあります。そこに、浅岡ルリ子群するリリーさんが、寅さんに「あんたは馬鹿よ」となじります。自分の気持ちに正直になれないのは臆病で卑怯だ。女心が全然わかっていないといわれます。
最近の男子は、女性に好きだと告白しないそうです。断られるのが嫌だからそうで、その手前で、チャレンジをやめてしまうそうです。逆に女性の方が強いですよね。どうも、若い男子とはそりが合わないようです。
顔で泣いて心で笑うぐらうでないと男の世は渡れぬは、義母が娘に言っているシーンでしたが、女を武器に、顔で泣いて見せて男を手玉にとって心で笑うグラウでないとだめだという、したたかさを教えているシーンでした。娘の夫の浮気に気づき、知らぬふりをすればよいか、なじった方がよいかの相談の時の言葉です。我慢せずに、嫌なものは嫌だと言えとのアドバイスでした。
いやはや女は強い。弱いところをわざと見せるしたたかさは、男の場合は、妙なプライドがありますからね。なんか妙に共感してしまいまた。
日頃の仕事の中からのこぼれ話あれこれ。お金に関することから、はたまた、お金とは全く関係ないことまで話題を広げています。「へぇ~」と思うことも時には掲載します。お気軽にお付き合い下さい。
2011年2月16日水曜日
まいったといわなければ喧嘩は負けない
私はもともと教師になるのが夢でした。小学校の先生の影響で、その先生が熱血教師で、自分も熱い先生になりたいと思っていました。大学まで、その思いは持っていましたが、大学の教職単位取得の時に、彼女におぼれて、そっちの方が楽しくなり、単位は取らずに、結局教師にはなれませんでした。
そんなせいか、学校もののドラマには思わずはまってしまいます。ただ金八先生だけはだめでした。私がJTBに在職中、修学旅行担当で、高校の先生とよく話しましたが、みんな「金八世代」と呼ばれる教師らしく、その教師の特徴は、生徒と友達になるという感覚のようで、金八先生が現場の教師をダメにしたと、よく愚痴をこぼしておられました。金八先生は、確かに社会問題を取り上げた内容で、重厚感はありましたが、先生の立ち位置が、私の中では共感できませんでした。教師は生徒と友達でいいのか。同レベルでいいのかは疑問でした。
いま、小学校では、学級崩壊が問題になっています。モンスターペアレントという、私には到底理解できないやからもいますが、教師の在り方、児童の悩みなど、いろんな要素がからんで学級は崩壊していくのでしょう。モンスターペアレントなるものが学校に生息していることも問題のようですがね。フジテレビでの「スクール」という番組の中での、民間校長と恩師である元校長先生との間での会話でのセリフが「参ったといわなければ喧嘩は負けない」です。心に残りました。民間校長は、くじけずに、難題に立ち向かうのでしょう。参ったとは最後まで言わないというストーリーなのでしょうが、私も絶対に口にはしません。
学校社会こそ、民間経営者が入るべきだと思います。学校の先生に、ぜひ一般の社会人になってもらうことが大事だと思います。学校という閉鎖社会の常識を打ち破ることが学校を救うような気がします。ただ、学校側だけの問題ではないと思ます。家庭の在り方、親と子の在り方など、問題は根が深いです。今にして思えば、私は学校の先生という、とってつもない大仕事はできない、今の私のようなレベルでならなくてよかったと思います。単位を取れなかったのは、神様が私には無理だと教えていただいたのでしょうか(すいません。言い訳です)。
そんなせいか、学校もののドラマには思わずはまってしまいます。ただ金八先生だけはだめでした。私がJTBに在職中、修学旅行担当で、高校の先生とよく話しましたが、みんな「金八世代」と呼ばれる教師らしく、その教師の特徴は、生徒と友達になるという感覚のようで、金八先生が現場の教師をダメにしたと、よく愚痴をこぼしておられました。金八先生は、確かに社会問題を取り上げた内容で、重厚感はありましたが、先生の立ち位置が、私の中では共感できませんでした。教師は生徒と友達でいいのか。同レベルでいいのかは疑問でした。
いま、小学校では、学級崩壊が問題になっています。モンスターペアレントという、私には到底理解できないやからもいますが、教師の在り方、児童の悩みなど、いろんな要素がからんで学級は崩壊していくのでしょう。モンスターペアレントなるものが学校に生息していることも問題のようですがね。フジテレビでの「スクール」という番組の中での、民間校長と恩師である元校長先生との間での会話でのセリフが「参ったといわなければ喧嘩は負けない」です。心に残りました。民間校長は、くじけずに、難題に立ち向かうのでしょう。参ったとは最後まで言わないというストーリーなのでしょうが、私も絶対に口にはしません。
学校社会こそ、民間経営者が入るべきだと思います。学校の先生に、ぜひ一般の社会人になってもらうことが大事だと思います。学校という閉鎖社会の常識を打ち破ることが学校を救うような気がします。ただ、学校側だけの問題ではないと思ます。家庭の在り方、親と子の在り方など、問題は根が深いです。今にして思えば、私は学校の先生という、とってつもない大仕事はできない、今の私のようなレベルでならなくてよかったと思います。単位を取れなかったのは、神様が私には無理だと教えていただいたのでしょうか(すいません。言い訳です)。
2011年2月15日火曜日
2011年2月14日月曜日
固定概念を捨てるのは
何事にでもそうですが、固定概念を捨てるのは難しいですね。
きょう、マーケッターという方と打ち合わせをしていましたが、いい意味での裏切りが必要だという話から、逆説切り口はないかなどの流れで、固定概念を捨てるのは難しいという流れになりました。
何の話かさっぱりでしょうが、こうくればこうなるはずだ、こうなるべきだを裏切る結果に導くことは、すごく重要だということです。
王道、正道はあり、きをてらすことばかりがよくないこともありますが、常識を破る発想から、なにかが生まれるのではと思います。その、常識にとらわれない、固定概念を捨てることと、今までを否定することは違うのですが、そう捉える人が多く、また、今までを否定することに抵抗がある人が多いのも事実です。
今回は、なにが言いたいのかよくわかりませんが、とにかく、いい意味での裏切りのエッセンスを磨きたいです。
きょう、マーケッターという方と打ち合わせをしていましたが、いい意味での裏切りが必要だという話から、逆説切り口はないかなどの流れで、固定概念を捨てるのは難しいという流れになりました。
何の話かさっぱりでしょうが、こうくればこうなるはずだ、こうなるべきだを裏切る結果に導くことは、すごく重要だということです。
王道、正道はあり、きをてらすことばかりがよくないこともありますが、常識を破る発想から、なにかが生まれるのではと思います。その、常識にとらわれない、固定概念を捨てることと、今までを否定することは違うのですが、そう捉える人が多く、また、今までを否定することに抵抗がある人が多いのも事実です。
今回は、なにが言いたいのかよくわかりませんが、とにかく、いい意味での裏切りのエッセンスを磨きたいです。
2011年2月11日金曜日
先の不幸を数えることは不幸だ
言葉の通りです。「前へ前へとすすむ人は倒れない」という言葉が続きます。先のことをくよくよ考える前に、まずは行動しなさい。リスクを考えてもはじまらない。
捨て身になり、体を張ることも大事です。頭であれこれ考え、ぬかりのないように考え安全に動くことも大事ですが、ぬかりのない方法は、安全でその場はしのげても、その先にはつながらないものです。
危険は避ける方法とぶつかって壊す方法があります。時と場合においては、自ら血を流す覚悟でぶつかることも大事です。
前だけを見て、前へ前へと進む。当然、その責任は自分にあり、自分の内面では血を流すこともあるのでしょうは、とにかく前へ進む、とても重要なことです。
捨て身になり、体を張ることも大事です。頭であれこれ考え、ぬかりのないように考え安全に動くことも大事ですが、ぬかりのない方法は、安全でその場はしのげても、その先にはつながらないものです。
危険は避ける方法とぶつかって壊す方法があります。時と場合においては、自ら血を流す覚悟でぶつかることも大事です。
前だけを見て、前へ前へと進む。当然、その責任は自分にあり、自分の内面では血を流すこともあるのでしょうは、とにかく前へ進む、とても重要なことです。
2011年2月10日木曜日
力が入りすぎてすぐにでも倒れそう
頑張ろう、頑張ろうとして、つい力が入ることってありますよね。握りこぶしをめいいっぱい握って生きている人もいますよね。負けてたまるかの思い、責任感が強すぎて出るときだなど、力が入りすぎて今にも倒れそうな感じです。そんな時には、決して良い結果が生まれないことが往々にしてあります。力を抜いて考えたほうが、名案が浮かぶことがあります。
そんな時は、わざと、あえて弱音を吐いてみる。恥ずかしいと思うことを口に出せば力は抜けるものです。これでもう倒れることはない。火事場のくそ力以外、力が入りすぎて良い結果は生まれません。スポーツでもそうですよね。
子供のころの悪戯ををするつもりの感覚で、存分に楽しむ気持ちになれれば問題ないですね。楽しむ感覚はなかなか持てないかもしれませんが、気楽にいきましょう。
そんな時は、わざと、あえて弱音を吐いてみる。恥ずかしいと思うことを口に出せば力は抜けるものです。これでもう倒れることはない。火事場のくそ力以外、力が入りすぎて良い結果は生まれません。スポーツでもそうですよね。
子供のころの悪戯ををするつもりの感覚で、存分に楽しむ気持ちになれれば問題ないですね。楽しむ感覚はなかなか持てないかもしれませんが、気楽にいきましょう。
2011年2月9日水曜日
理がたちすぎれば成り立たず
やはり、あるドラマの中でのセリフです。ものの本には、理とは理屈・道理を意味すると書いてあります。この後に「命がけの思いが人を動かす」「理におぼれると心が沈む」と続きます。
理屈ばかりこねても人の心は動かすことはできない。本気で、命がけで相手と向き合わなければ、なるものもならないと諭しています。捨て身の思いが喜びとも表現しています。
ものの道理も時と場合には大事です。道理に物事が成り立つのも真理です。しかし、いざという時に、切羽詰まったときに、人の心を動かすのは本気の心、命がけの思いが窮地を救うのです。理は時として邪魔になることがあります。理がたちすぎると成り立たず。理におぼれると心が沈むことになるのでしょう。
本気の心とは、命がけの思いとはなんでしょうか。
理屈ばかりこねても人の心は動かすことはできない。本気で、命がけで相手と向き合わなければ、なるものもならないと諭しています。捨て身の思いが喜びとも表現しています。
ものの道理も時と場合には大事です。道理に物事が成り立つのも真理です。しかし、いざという時に、切羽詰まったときに、人の心を動かすのは本気の心、命がけの思いが窮地を救うのです。理は時として邪魔になることがあります。理がたちすぎると成り立たず。理におぼれると心が沈むことになるのでしょう。
本気の心とは、命がけの思いとはなんでしょうか。
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