2012年6月9日土曜日

四十・五十にもなって・・・

安岡正篤翁の言葉で「四十・五十にして聞こゆるなきは畏るるに足らざるのみ」というのがあります。思わず笑ってしまった言葉です。

  世間的に地位や名声がなくても、自分の環境の中で、あるいは自分を取り巻く小さな世界の中だけでも構わないので、そこで、自分の名が聞こえてこないようではだめでと言うことだそうです。おるのかおらぬのかさっぱりわからないような存在ではだめですよと言っています。

  少しできた人間なら、世間はともかくとして、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえてくるものだと説明しています。面白いですね。

  この言葉の後半の「畏るるに足らざるのみ」は、安岡翁が付け足した言葉のようです。

  名を天下にはせる欲望はなくてもいいが、せめて、親戚・縁者の中だけでもいいから、名を知られる、一目置かれる存在であるべきだということでしょう。「いいおじさん」と言う表現で評価されてもいいそうですよ。

  こうも書いています。

  大小問わず、どこかでやっぱり聞こえなければ、四十・五十になった値打ちがない。


  いい年をして、家に帰っても女房・子どもから嫌がられる、そんなことでは人間はダメである・・・

  はたして自分自身はどうでしょうか・・・頑張ろう・・・

2012年6月6日水曜日

「独」は絶対

京都清水寺の漢字一文字ではないですが、「独」いう文字は、私たちが持つイメージとは違う意味があるそうです。

 「独」からの連想は孤独と言うもので、人から離れた寂しさを彷彿させる感じですが、実はこれには「絶対」と言う意味があるそうです。

 「独立」と言う言葉は日常、よく使います。 これの本当の意味は、何ら人に依存せず、自分自身が絶対的に立つということだそうです。一人暮らしをしていても、経済的援助を親からもらっていればそれは独立ではありません。それは当たり前ですね。

 会社から独立と言うのは自営になることですが、これも会社に制度依存しないで、自ら自分の制度を作り、自分で営業も経理も何もかも行うことですから、それは孤独とは意味合いが違いますね。

 「孤独」はひとりぼっちと言う気味ですが、絶対的に一人と言うことでしょうかね。こちらはやはり悲哀めいたものを感じますね。

 自分自身にどれだけ自信を持てるのでしょうか。「独」と胸張れることってあるのでしょうか。真の独立を目指したいですね。

2012年6月5日火曜日

人を観るには5つの要素があるそうですよ

人を見る5つの要点があるそうです

 1,まさに見た目、容姿・・・容姿姿態
 2,言動そのもの・・・言動動作
 3,身に着けているもの・・・衣服服飾
 4,気品や精神・・・気韻聖霊(きいんせいれい)
 5,人間としての格、度量の広さ・・・風度温籍(ふうどうんしゃ)

 この中で、最も核となるものは4番目の「気韻聖霊」だそうです。

 1~3は、形而上の問題です。つまりは「うわべ」です。いくらでも装えるというものと解釈しているようです。つまり、人間の本質ではないということなのでしょう。

 5番目は、心を鍛えた結果、自然と生まれるものです。

 となると、すべての根源である4番目が一番重要と言うことになります。人を観る(見るのではなく観る)には、その人の魂を観ることになるのでしょう。

 何やらスピリチュアルな話になりましたが、その人の心根、奥底にあるものを見抜く力が必要であるということなのでしょう。それがよく言う「いざという時に人は本性を表す」のとおり、何かの拍子に見える時を逃さないようにするのでしょうかね。

 人の魂を観る・・・人を見極めなくてもいいですが、自分がどう見られているかに考え方を変えた方がいいですね。つまり、これらの教訓は、人を見定めるためにあるのではなく、自分を鍛える心構えとして捉えるべきものなのでしょう。

 気品や精神、生まれつきなものと言う考え方もありますが、生きていく中で出会う難局に対する接し方で、いくらでも鍛えられます。日々の心構えで変わります。物事に対する考え方で変わります。

 特に、嫌なことがあったり嫌なことをされたりした時の、自分の振る舞いや考え方を変えるだけで人は変わります。 心を怒りに直結させるのではなく、一呼吸おいてみると、受け流すこともできるかもしれません。

 と言うことで、自分の魂を磨きましょう。いざと言う時に、自分の本性が出ても構わないようにしておきましょうね。ドキッ!!

2012年6月2日土曜日

守・破・離

守・破・離
武道、茶道などの道において用いられる言葉です。

「守」とは「学び」の段階です。師の教えを、正確かつ忠実に守り、精進します。物事の基本の作法・礼法・技法を身に着けることです。

「破」とは 「創造」の段階です。今まで学んできたことを受け、他の流派などを研究し、それぞれの利点を自分のものとし、自分の特性に合うようにアレンジしていくことです。基礎の上の破壊から生まれる創造です。

「離」とは「確立」の段階です。自己の研究の集大成とでもいうもので、おのずから一つの形、新機軸を開いて、独自の新しいものを生み出し、何物にもとらわれない境地に到達することです。

これらはすべての「道」に通じる教えで、人間として生きる道にもつながります。それは、経営においても同じことです。基本を学び、自らの特性に合うようにアレンジし、ぶれない確固たるものを作り上げることです。

まさに、自己発展の道が「守・破・離」です。 

師の教えられたままを実行するだけでは師を超えることはできません。「活人剣抜刀道」にはこうあります。

武道の世界では、古武道からはじめて古武道の中にとどまっていては後継者の存在価値はない。師をしのぎ、伝統を越え、親を超越して、より高い次元に発展成長してこそ文明の進歩である。

 なるほどね。またまたいい言葉発見です。

私が革新と言う言葉が大好きです。でも伝統と言う基礎の上に立って初めて革新があるのですね。

いわゆる「できる人」と言われている人は、自然とこれらを実行しているのでしょうね。

2012年6月1日金曜日

20秒間の勇気

マッド・デイモン主演の「幸せへのキセキ」という映画の予告編をたまたま見ました。落ちぶれた動物園を、家族とともに、仲間たちともに復興していくのですが、数々の困難が立ちはだかるなか、マッド・デイモンが子供に向けていう言葉に

 「20秒間の勇気を持とう」「そうすれば素晴らしいことが起きる」

 というのを発見しました。当然セリフは英語ですから、日本語吹き替えの字幕ですが、すごく感動しました。なんかグッとくるものがありました。たったそのセリフだけですが、思わず涙が出そうになってしまいました。心に響きましたね。

 「偶然は必然」と言いますが、きっとこのシーンを見ろと、神様がおっしゃっていただいたのかもしれません。

 ずっと頑張るのはしんどいです。体力も気力も持ちません。でも、ここという時に、ほんの一種運でもいいから勇気を振り絞れば、未来が切り開けることもあるのですね。それを人は奇跡と言うのでしょうが、奇跡は、ほんの小さな一歩から、自らが生み出しているものなのでしょう。

 「奇跡は起きるものではなく起こすもの」

 これも誰かのセリフでした。奇跡は自らが呼ぶものですね。いや~いい話やね~

 先ほどのマッド・デイモンのセリフですが、「20秒間」というのがいいですね。この数字はどこから来たのでしょう。そんなことはどうでもいいか・・・

 ほんの少しの勇気は、頑張ればだれでも持つことはできます。そのあとのことはなるがままに任せるしかないと腹をくくりましょうか。

 まずは、勇気を持ちましょう!!

2012年5月31日木曜日

お酒でストレスは発散できない

新橋のガード下でよく聞くフレーズです。それにしても、サラリーマンの憩いの場所は新橋のガード下なのでしょうかね。定番なのか、イメージなのかですね。

 イメージと言えば、スケベな人の真似とか、お金に汚い人のたとえをするときに関西弁になるのはやめてほしいです。地方に飛ばされるという表現も良くないですし、ドラマで、左遷先が決まって東北地方というのもやめてほしいです。 力説するようなことではないですけどね...

 話を戻しまして・・・

 ストレスをお酒で発散なんてありえません。むしろ、疲れがたまっていきます。愚痴で飲む酒は後で効きます。ひどい二日酔いになりませんか。

 楽しいお酒は、何故か翌日は平気なのです。当然、飲む量にもよりますが、笑って飲んだ方が気持ちもよく、体にもいいですね。酒の席での愚痴は良くないですが、ついつい、お酒の力をかりて愚痴りたくなります。

 でも、それはお酒の力ではないのでしょうね。本年なのでしょう。酒の席の事とごまかしますが、酒の席も現実ですから、相手にとっては忘れられないことですから、それは許されることではありません。反省...反省...

 酒でストレスを一時的に忘れる、あるいは酒でごまかすというのが正解でしょう。酒では何も解決しません。しらふでいられない精神状態を薬でごまかすのと同じです。ドラッグ効果なのでしょう。

 ストレスは一人で耐えるものだ・・・ある人が言っていました。ストレスを抱えて人は強くなるのだと付け加えていました。

 ストレスのない社会はありません。日々、誰もがストレスと向かい合って生きています。人と会うこともストレスになるときもありますからね。でも、ストレスを楽しむという人もいますが、あれって本当なのでしょうか。

 とにかく、お酒に逃げるのは良くないです。なにも解決しません。でもお酒を飲みたくなる時ってありますよね。人間って弱い生き物なんですね。

 なんか演歌の世界に入ってきましたね。あ~飲みに行きて~

2012年5月30日水曜日

変わること、変えることについて

慣習を破ることは難しいです。引継と言う言葉があります。これは踏襲と言う言葉にすり替えられています。前例に倣うということなのでしょう。事なかれ主義の表れです。

こういった風潮を、全面的に否定するつもりはありませんが、変わらないことが果たしてよいことなのでしょうか。変わらないことイコール後退とも取れます。

チェンジと言う言葉がはやりました。日本では政権交代、アメリカではオバマ大統領のチェンジですね。フランスでもチェンジです。変わっていないのはロシアです。こちらはまさに踏襲です。中国も踏襲の道を行くのでしょう。

中東アラブ諸国がチェンジの真っただ中です。ギリシャは変わらないことが後退への道につながりそうです。

政権交代して何もいいことはなかったじゃないかと言う、日本国民の声も聞かれそうです。アメリカやフランスではチェンジの結果はまだ出ていないようですからね。ロシアも中国も、変わらないことが良かったりもしますが、国家運営の場合、受け止め方が千差万別ですから、何がよくて何が悪いのかは、はっきりとはしません。経済がよくなっても失業者が増えたらよくないとなるのかもしれませんし、これは評価の仕様がないのかもしれません。

しかし、変わることを恐れて変えようとしない、あるいは周囲との軋轢を避けてばかりで変革を求めないことは、これは全然前進していないのと全く同じで、物事に対する姿勢に問題があるようです。

世の中には保守的な体質、保守的な組織があるものです。それを変えるのには相当骨が折れます。かなりの信念がなければ変えられません。変革の先に経済的利益がはっきりと見えていればいいのですが、試行錯誤であるなら、変革を推し進めるのはかなり厳しいですね。

長くその場にいると、感覚がマヒしてくることもあります。「朱に染まれば赤くなる」ではないですが、企業でも役所でも、必要悪の名のもとに、たとえば横領がまかりとおって、それを悪とも思わなくなる感覚です。

組織改編には第三者委員会が一番いいです。内部からの改革は難しいです。そういった意味では就任直後の変革が一番断行しやすいです。あとはトップダウン、強権でないと変わらないでしょう。

そんな難しい話はともかく、自分の中で常に第三者の目を持って、現状に疑問を持ち続けることが必要です。今よりも上に行くには、さらにランクアップするにはという「目線」を持つことです。

変革は勇気ではないと思います。それは内からわく「向上心」が起こすもので、向上心がなくなった時点で変革は起こらなくなるのでしょう。

温故知新も大事です。踏襲するものは踏襲して、変えるべきところ変える。 常にその先駆者でありたいと願うのですがね・・・