「無心」「無我夢中」、つまり「ゼロ」ということが「無」ということですね。
しかし、単なる「ゼロ」ではなく、まったく空っぽの状態が、本当の「無」なのでしょう。「無欲」は、少しでも欲があってはいけません。まさに欲という概念が空っぽでなければなりません。
まったくの「ゼロ」の状態にするなら、少しでも残っているものを吐き出す必要があります。お腹の中から、体の中からすべてを吐き出すことで、空っぽの状態が作れます。体内のものをすべて出すことで、浄化が起こります。「無」となることは、すべてを吐き出す「浄化」をともなって、はじめて空っぽの「無」となります。
なんか哲学的な話ですが、「無」からすべてが生まれるので、先ずは「無」になることが重要です。
浄化を伴う「無」であれば、良質のものが入ってきます。
「無」を扱う言葉なり表現は、たくさんあります。「ゼロからの出発」もそうですね。「大きくジャンプするには深くしゃがむこと」も、一旦は「無」になることの重要性をうったえていますね。
意識して「無」となること、そのためにはすべてを吐き出すことです、まさに「無防備」となるので、安心、安全なところでないとできないですね。
環境を整える、安心な心休まる状況を作る、これも、「無」から生まれる良産物ですね。
「無」は、心穏やかに、リラックスした環境を整え、すべての邪念を吐き出し、完全に空っぽにして、初めて生まれるもので、そこから先は、より良質なものが流れてきて、より高く飛躍できるということなのでしょう。
つまり、「無」はすべての始まりなのですね。