2012年7月28日土曜日

幸せはお天道様の下を堂々と歩くこと

「ごくせん」、日本テレビで放映していて、映画にもなった、仲間由紀恵主演のドラマです。その中のセリフで、幸せは、お天道様の下で、後ろめたいない気持ちで暮らせることだと言っていました。それだけで幸せなんだとのことです。

 なんか、人は後ろめたいことをいっぱいぶら下げているような気がします。何にしても一生懸命、 精一杯である時が、結果はどうであれ幸せなのでしょう。

 お天道様の下で恥ずかしくない生き方、昔気質のセリフですが、ちょっと心にグッときました。

 手を抜くことは、周りには見えなくても自分自身が良くわかっていることです。自分にだけは嘘はつけないですからね。
 
 がんばってみようかね~

2012年7月27日金曜日

日本がスペインに勝った!! 一生懸命を応援します!!

すべての紙面のトップが、ロンドンオリンピック男子サッカー予選で、日本が優勝候補スペインに「1-0」で勝ったことが報じられています。ロンドンオリンピック最初の競技となる女子サッカーでは、なでしこジャパンがカナダに「2-1」で快勝。日本には幸先の良いスタートを切りました。

 それにしても、スペインに勝つとは、日本の実力もすごいものがありますね。中田英寿がオリンピック代表時のチームは、世界の強豪ブラジルを破っています。

 吉田兼好の「徒然草」に、木登りの名人が、弟子に高い木の枝を切らせていた時に、何の声掛けもしていなかった名人が、弟子が軒下の高さまで降りてきたときに、はじめて「気をつけろ」と声をかけたことに対し、危険なところでは、精神を集中し、自分でも気を付けるが、もう大丈夫と安心した時に気を抜いて事故につながることが多いから注意を促したという話があります。

 強豪相手の試合の後の、格下チームとの対戦の取りこぼしがあるのは、気を抜いているわけではないでしょうが、相手チームは必死ですから、ただ立場が入れ替わったということになるのでしょう。日本がスペインに勝ったあとの、格下チームとの戦いが重要ですね。

 どんな相手にも全力で戦う、野生の世界は厳しく、トラも小物を仕留めるときも全力投球、息の根を止めるまでは気を抜かないと言います。

 たとえがちょっと恐ろしいですが、日本チームも、どんな相手に対しても、気を抜かないで、全力で戦ってほしいです。

 ここで、考え方を変えると気を抜かなくなると思います。それは、勝つために戦うのではなく、見ているお客様に感動を与えるために戦うとなると、どんな場面でも気を抜けなくなります。一生懸命のプレーを見てもらうことで、結果、勝ちがついてくるというものです。

 小さな力士が大きな力士を倒す、柔よく剛を制す、まさに美学ですね。

 とにかく、アスリートたちには、余計なプレッシャー、日本のマスコミの金メダル一辺倒の期待は無視して、自分たちが頑張ってきた努力の成果を、悔いのないように思いっきりぶつけてきてください。金メダルへの思いは、だれよりも、アスリート自信が、強く持っているはずです。思いはかないます。

 私たちは、アスリートの見えない努力の成果を見せてもらい、ぎりぎりの極限のアスリートの力に感動させてもらい、彼らのご褒美を得る時間を共有させてもらえれば十分です。

 自分たちのために、頑張ってください。私たちは、一生懸命応援します!!

2012年7月26日木曜日

受け入れる強さを持とう

拒否からは何も生まれません。拒否は相手にも伝わります。拒否した段階で、もう何も入って来ません。

受け入れることには、大なり小なり、リスクは伴います。受け入れられないということは、変化を恐れていることです。そのことで、自分が変わることを嫌うことが拒否につながります。

まず受け入れて、ダメだったら吐き出せばいいのです。吐き出すにもそれなりの力が必要です。受け入れた瞬間に染まらない強さも必要です。

受け入れてから、自分になんの影響もなく吟味できる余裕が必要ですね。

でも、なんでもかんでも拒否は困ります。成長しません。変化を受け入れる勇気は持ちましょう。

2012年7月25日水曜日

内村航平選手はすごい

いよいよロンドンオリンピック開幕です。筋書きのないドラマと言われますが、アスリートのひたむきな姿勢は、本当に心打たれます。マスコミは、やたら金メダルと騒ぎますが、アスリートたちの努力の結果のご褒美がオリンピックですから、メダルのことは気にせずに、めいいっぱい楽しんで欲しいと思います。

それにしても、体操の内村航平選手はすごいですね。生まれてこの方、プレッシャーなんて感じたことがないと言うのです。プレッシャーってなんですかときたもんだ。

プレッシャーを楽しめる選手になりたいと多くのアスリートのは願うそうですが、それが全くないというのですから恐ろしいですね。宇宙人か、はたまた、すでに精神が飛んでいるのか...

でも、すごく練習しているようで、とにかく練習しているようです。天才は一日にしてならずですよね。その裏付けが、プレッシャーをなくしているのでしょう。やれて当然というレベルまでイメージして、練習しているのでしょうね。

頑張れ!!自分のために頑張ってください。

2012年7月23日月曜日

勝者は、必ず称賛に値するのか・・・

成功者は全員、称賛に値するのか。成功の仕方によってそれは異なるのかもしれません。でも、場合によっては、成功の陰には、誰かが悲しんでいる場面はあるかもしれません。

 人の不幸の上に、成功があるわけではありませんが、競争において、勝ち負けは必ず存在します。負けた人を乗り越えて、成功者は存在するのでしょう。

 その競争は、正当であるものであればいいのですが、蹴落とす、押しのける、だますなどであれば、どうでしょうか。でも、それも競争での勝ち抜く手段と言えるのかもしれません。

 成功しているから称賛されるというのはおかしいですが、成功しているという事実は、認めざるを得ないでしょう。

 勝者がすべて正しいわけではないということは、このブログにも書きましたが、 やはり、いわゆる「いい人」は、勝ち続けてほしいですね。

 勝ってこそです。「いい人」は勝ち続けてほしいです。

2012年7月22日日曜日

いいところみっけ

写真のプロの方は、被写体に惚れるといいます。

人物を撮る時は、その人物に恋することが重要だそうです。恋するということは、被写体となる人の、素敵な部分を引き出そうとすることですね。

つまり、いいところを見つける作業をすることです。

人の評価には、加点方式と減点方式がありますが、モチベーションを上げるには、やはり、加点方式が望ましいのかもしれません。

「いいところみっけ」の繰り返しは楽しいものです。人のいいところを見つける作業は、人との付き合いにおいても、好循環を生みますよね。

嫌なところにばかり目が行きがちですが、あえて、意識して、いいところを見つけて行きましょう。

また一つ、いいところを見つけましたよ…

2012年7月21日土曜日

接客と接遇

昨日、あるイベントで、ANA(全日空)が、接遇セミナーを行っていました。CA(キャビンアテンダント)として訓練してきた接遇訓練を、いろんな企業やいろんな場面で、提供する事業を展開しています。とくに、医療機関にこそ、接遇が必要と、営業しているようです。

 接客と接遇、どう違うのか。

 全日空講師によれば、接客は一方通行で、主に商品販売が主目的の行為と定義しています。一方、接遇は、双方向のコミュニケーションで、こちらが相手が望んでいることを理解して、積極的に行うことで、相手の満足度を上げることだそうです。

 スマイルとアイコンタクト

 笑顔が大事、つまりは第一印象のアップです。目を見て相手のことを思っているよという意思表示も大事だそうです。

 相手が望んでいることを理解して、それを先回りして行う、頭の回転の速さが必要です。また、いろんな経験や学びから、それを理解する力も重要です。

 医療機関において、どんなにシステムが素晴らしく、施設が充実していても、そこで患者さんと接する人、看護師やドクター、事務スタッフや職員さんの態度が、横柄で上から目線であれば、絶対のその医療機関は伸びません。医療現場のほとんどは、人的要素が多く、人が変われば医療機関は変わります。

 この接遇の精神はよくわかりますね。

 いま、業態の垣根を越えて、他の業種で成功していることを、積極的に取り入れることが、生き残る道と言われています。

 接遇、相手の気持ちを理解する・・・なるほどね~

2012年7月20日金曜日

善人は強くなければならない

安岡正篤翁の言葉に「善人よ強くなれ」というのがあります。全員が善行を積むことは当たり前で、それゆえ善人と呼ばれるのであって、最も大事なことは、善人が強くなることだと述べています。

 文中ではパスカルの言葉を引用し 「正義が強いか、強いものが正義か、正しい物が強くなるか、強い物が正しくなるか、より外に人間は救われない」とあり、安岡翁は、「救われるためにどうしても善人が強くならなければならない」としています。

 強くなるためには、感情的・感傷的にならずに、線が太くならなければいけないとも述べています。

 戦国時代などの乱世では、力こそ正義でした。勝者がすべて正しい時代です。強さとは、非情になることも必要なのでしょう。感情的・感傷的ではいけないのですね。夜叉の面をかぶり、心で涙する・・・ですか。使い方を間違えれば、とんでもないことになりますけどね。

 金が正義と言う人もいました。それで、時代の寵児ともてはやされ、その後は、奈落の底に突き落とされました。報道の仕方もヒステリックに感じ、嫉妬ともとれ、成功者への妬みとも取れました。表現が、あまりにもストレートであったのが、世間の反発を買ったのでしょうか。

 バブルがあって、バブルがはじけて、カリスマ政治家が持て囃され、金持ち父さん貧乏父さんがはやり、それを実現した人が持ち上げられては貶められ、今度は逆に、スピリチュアルブームが巻き起こり、そして今は、歯に衣を着せぬ発言が受け入れられるようになりました。時代の流れでしょうか。

 その時代時代によって、正義と言うものは変わってくるのでしょうか。本来、正義は不変なもののように思いますがね。物事の本質は見極めなければなりません。善人の定義が難しいです。

 でも、負けてしまえば、正論は消されてしまいます。やはり、安岡翁の言うとおり、善人は勝たなければなりません。

 私は常に、多数決の反対側に、物事の真実が隠されていると思っています。数の論理は、時として暴力となり、正義を覆い隠してしまいます。それゆえ、正義は、善人は、勝ち続けなければならないのでしょう。そういう意味では、勝った者が正義なのかもしれません。それが民主主義なのでしょうかね。

 善人は強くなければならない...すごく重い言葉ですね。

2012年7月19日木曜日

想いはかなう、念ずれば必ずかなう

何度もこのブログでも書いていますが、念ずればかなう、思いは通じるということを、改めて、考えさせられます。

 アスリートの世界では、この言葉が実に、ぴったりと当てはまりますね。オリンピックを目指して、四大メジャー出場を目指して、MLBを目指してなど、夢であったことを、毎日思い続ければ、まさに岩をも通して実現できることを、多くのアスリートたちは、わかりやすく表現してくれています。

 想いはかなう・・・改めてかみしめたい言葉ですね。

 どこかで、夢と現実とを、勝手にバランスを取ろうとするのが、大人なのかもしれませんが、小さな目標を積み重ねることを考え、その先に大きな目標が待っていると思えば、実現可能かもしれませんよ。

 アスリートの人たちも言っていますが、テクニカルな部分というよりも、精神的な要素の方が大きいとのことです。踏ん張りは精神力です。どれだけ、夢に対しての思いが強いかどうかですね。夢をあきらめないでなんてセリフもありますが、強い想いは必ずかなうという信念が大事ですね。

2012年7月17日火曜日

第三の目

  第三の目と呼ばれるものがあるそうです。直感をつかさどるところのようで、おでこの真ん中、眉間のあたりにあるそうです。チャクラの世界の話です。

 ここを鍛えると、洞察力が磨かれるそうで、ここを鍛えると感がさえるのだそうです。

 どうやって鍛えるのかは、その世界の方にゆだねますが、直観力は、良い方がいいですよね。先を見通す力ですから、迷ったら直感にゆだねることはよくあることです。それが、正しい方向に導いてくれるのであれば、それはそれでありがたい話です。

 直感って、何も、神がかりなことばかりではないような気がします。経験から打ち出された結果、かこの経験がデータとなて、瞬時に、無難な方向を示唆してくれるのでしょうか。

 ひらめきってありますよね。神が降りたなんて表現をするかたもおられますが、閃きにばかり頼るのもよくないですが、磨けるものなら磨きたいですね。

 芸術家って、このひらめきが多いのでしょうか。

 人間の体には、7つのチャクラがあるそうです。以前、このブログにも書いた「丹田」というのも、その一つです。

 胸騒ぎ、嫌な予感、これも、一つの直感でしょうか。やめておいた方がいいよ、避けたほうがいよというシグナルですかね。

 うまくできていますね。いつでも、守られているのかもしれません。感謝感謝。何事も感謝です。

2012年7月16日月曜日

命について

命ってなんだろう。命よりも重いものがあるのでしょうか。

 いじめによる自殺が、連日報道されています。見て見ぬふり、気づいてて何も対処しない、まさか死にまで至るとは思っていなかったのでしょう。ほんの小さなことが、最悪な結末を生むこともあります。

 その後の、教育委員会や学校側の態度は、保身に終始し、死と言うものに対して、決して真摯に向き合っていない状況です。命をなんだと思っているのでしょう。

 防衛力と戦争を、イコールに考えることは良くないことかもしれませんが、問題のオスプレイも、米軍という軍隊は、人を殺すための舞台です。抑止力の論理はわかりますが、ここでは、政治的な話よりも、単純に考えて、やはり、武器や兵器は、命を奪うものです。

 死には、いろんな形があります。寿命、天寿を全うすることが一番ですが、それ以外に、病死があります。防げる死の形には事故死があります。その中に殺人もあります。戦争もそうです。そして、長寿に逆らう行動が自殺です。

 命よりも重いものが、この世に存在するのでしょうか。

 

2012年7月15日日曜日

夢を掘り起こしてみましょうよ

初心忘れすべからず...初志貫徹..

 最初に抱いていた夢を、忘れていくことが、あるいは修正していくことが大人になることのように思えるときがあります。あきらめの正当化ですね。

 昔は、今のようにPCが普及していなかったので、ホームビデオは、小さなカセット型のテープで、それこそ、ビデオデッキで、大きなVHSテープで保存していました。

 いま、それらを簡単に、DVDに焼き付けることができるのですね。昔の思い出を、今の機器に対応させて保存することができます。

 子供の小さい時の動画や、自分のものが残っているといいですけどね。

 あの時思い描いていた夢は、今どうしているのでしょう。ちょっと思い出してみましょうよ。あのころは何に燃えていて、何をしようと思っていたのでしょうか。その夢と今と、どれだけ乖離しているのか、あるいは叶っているのか・・・

 夢は叶う

 強く思えば必ず成り立つものであるということは、過去に、このブログでも書いた記憶があります。念じれば叶うでしたよね。

 夢が大きく膨らんでいれば、それはそれで良しとしましょう。夢が縮こまっている、ダウンサイジングしているのであれば、ちょっと今が疲れていうのでしょうかね。現実に即したサイズになっているということは、夢実現へのプロセスなのか、それとも言い訳なのか、一番わかっているのは本人ですね。

 10年後の絵を描こうと、このブログにも書きました。その工程のチャックは重要です。

 昔の思い出をDVDにといわれて、友人から借りたその機械を見て、ふと、こんなことを思いました。最初の夢はなんだったのかな~

 夢は見ましょう。これからでもまだ間に合います。国の再建、企業の発展は、必ず3,5、7、10年で、区切って、計画を立てます。三か年計画ってよく言うでしょう。

 もう一度、夢を掘り返してみましょう。初心忘れるべからず・・・頑張ろう!!

2012年7月13日金曜日

普段が大事・・・

最近、自分の発言で誤解を招いたり、相手の行動に疲れたりと、逆に、人と接することがストレスになることが多いのは、やはり、私がまだ未熟なのからでしょうか。

 人間観察と言うことがありますが、あまり、私にはよくわかりません。でも、何気ないところに、その人の本性が見えることがありませんかね。

 何人かで雑談なり議論しているときに、携帯電話が鳴り、その人の電話の対応の仕方で、何となくその人の見えない日常が見えるときありませんか・・・

 それまで、丁寧な口調で、低姿勢な人が、いきなり横柄な態度に出るとか・・・

 ふと何気ない独り言に、すごく野卑な言葉を発するとか・・・

 レストランで、やたらウェイトレスへの態度が上から目線とか・・・

 これはあくまでも感覚ですが、お金に余裕のある人は、レストランのスタッフにも優しいような気がします。注文の時も「○○お願いします」と言う感じですが、ファーストフードなので見かける光景は「牛丼並!!」と言うシーンが多いように思います。完全に偏見ですかね。

 前にも書きましたが、女性が男性の本当の優しさを見抜くのに、一番わかりやすいのは、一緒に食事に行った時の、その男性の従業員への態度を見ることと言われています。まさに、先ほどの例です。

 いくら飾っていても、ふとしたことで「地」はでます。

 冒頭の事ですが、同じことを説得するときでも、私が説得した時は動かなくても、時間がたって、他の人に言われて、結局、私の意見を散りいれているというケースが多いです。つまり、結果、私の説得しようとする行動をしてもらってはいますが、私の意見をとりいれるというよりも、同じことを他の人に言われて、その通りに行うという、かなり私は自己嫌悪状態です。気を付けよう。

 普段が大事です。いくら飾っても、どこかで普段が出るものです。気を付けましょうネ・・・

2012年7月12日木曜日

問題は必ず解決する

安岡正篤翁の言葉に「対処一処」があります。

 「心に一処に対すれば、事として通ぜざるなし(対処一処無事不通)」という言葉で、物事と自分自身を一緒にし、その物事に精神集中させ、自分を変えることで、物事が解決するという発想でしょう。

 「事として通ぜざるなし」

 気持ちを集中し、何事にも、一生懸命まじめに取り組めば、事は成せるという意味だそうです。自分が昇華することで、物事はどんどん解決していくものだそうです。

 物事の本質は自分自身の中にある。問題は、その置いていることの中にあるのではなく、それを起こしている自分の中にあるので、自分が変われば問題は解決するというのです。

 禅の世界のような話ですが、物事に取り組む姿勢が変わるのでしょう。また、人のせい、出来事のせいばかりしていると、解決の糸口が見えなくなることがあります。問題の解決の糸口は自分の中にあるという観点で見れば、解決策が見つかるのかもしれませんね。ようは、問題への取り組む姿勢を変えることでしょう。

 いま目の前に起きていることは、自分自身が引き寄せたことで、因果応報ではないですが、自分自身の心が引き寄せているのです。自分自身が昇華すれば、悪いことは寄ってこないという、スピリチュアルな考え方があります。

 まあ、だいたい、欲が悪を引き寄せることがありますね。 欲がすべてですかね。人間、欲には弱いですからね。強い精神力が必要です。

2012年7月11日水曜日

今時の若者は...

打たれ弱い、根拠のない自身に満ち溢れている

昔、ある企業の人事課と仕事をしていたときの、新卒使用者の嘆きにも似た言葉です。

ちょうどゆとり世代が初めて社会人になる年で、担当者は社長から、優秀な人材をとるようにと言われているのですが、どうやってここから探せばいいのかと、まあ舞台裏トークですが、本気で怒りを込めて訴えていましたね。

その若者を象徴する言葉が冒頭の言葉です。

妙な自信があるだけで、少し怒るとすぐにやめてしまう。しかも、意表を携帯メールで送ってくるから常識もない。

こんな若者ばかりではないでしょうが、根拠のないというところ、打たれ弱いひ弱さは、とっても共感できます。

本人が悪いのか、教育が悪いのか、親が悪いのか、育った環境が悪いのか、とにかく、それを疑問にも思わないからたちが悪い。悪気のない詐欺ほどたちが悪いと、マネーの虎の高橋がなりさんは言っていましたが、例えは悪いですが、その通りですね。

若者を批判しているわけではありません。ゆとり教育なるものの犠牲者でもありますからね。

教育は必ず巡り巡って、いろんなところに波紋を投げかけます。子供の教育しかりです。

若者のせいばかりにしないで、私たちも考えなければいけませんね。

2012年7月8日日曜日

10年後の自分はどうなっているか

10年後の自分と会話しよう。10年後はどうなっているか、具体的に想像しようというのです。

FPが好んで使うライフプランでしょうか。自分自身をプロデュースするとでも言うのでしょうか。自分の人生の未来予想図でしょうかね。

心理学でも使うようですが、未来の自分と会話をすることで、現実を直視するようです。

10年後の思い描いている姿に対して、今の自分になにがたりないか把握するための、重要な手法のようです。

人生の逆算をします。10年後の目標達成のために、今なにをしなければならないか、来年はなにをしているべきかを理解することです。

将来展望、未来ビジョンの明確化。格好いい言葉でいえばそういうものでしょうか。

でも、今という時点が殺伐としていると、なかなか未来ビジョンなんて描けないものですよね。心の余裕ができて、初めて将来を考えることができるので、今が精一杯の時に、将来なんて考えられないですよね。将来が心配できることって、ある意味幸せなのかもしれませんね。

ライフプランって、アドバイスのつもりでしょうが、今が厳しい人にとってみれば、言う方は勝手という思いになるでしょうね。

でも、卑屈になったら負けです。今が大変でも、それでも、未来を見て行きましょう。せめて明日は明るいと信じて、夢だけでも見ましょうよ。

10年後の自分は光り輝いていますよ...

2012年7月7日土曜日

許すということについて

許すということはどういうことでしょうか。昔聞いたことを今でも覚えています。

 「許すということは、ここまで許してここからは許さないということはない。許すとはすべてをひっくるめて許して、はじめて許すということになる」

 なぜだか、ずっとこのフレーズは覚えています。どこで、何に書いてあったのかは記憶にはないのですが、ことばの内容が、当時の私にはあまりにも重く、衝撃的でした。それで、いまだに記憶に残っているのでしょう。

 許してもらうことが多ければ多いほど、人を許すことができるような気がします。傷を多く抱えている人ほど、人には優しくなれるのでしょう。

 傷つくことを恐れている人は、決して人にやさしくなんかできるはずがありません。痛みがわからないひとに、人の痛みはわかりません。

 すべてを許すという感情は、そう簡単にできるものではありませんが、恨みを持って生きていくことはつらいことです。スピリチュアルの人に言わせれば、魂にとても恨みはよくありません。

 許してしまえば楽になることもあるでしょう。許せない感情の奥には何があるのでしょうか。自尊心でしょうか。それこそ恨みでしょうか。

 人は悲しい生き物と言われますが、この辺りに、その所以があるのでしょうか。

 なぜかいつまでも覚えている台詞ってないですか。それは覚えておかなければならない理由があるのでしょう。
 
 山本周五郎の「畜生谷」という本を読もうかな・・・

2012年7月6日金曜日

良かれと思ってやったことが逆に・・・

良かれと思ってやったことが、逆にとられることはよくあります。役に立てると思ったことが、相手に迷惑をかけることもあります。

この「良かれ」と言うところが問題です。誰にとって良いことかということです。そこに、自分は一切入っていないかどうかです。

誰しも欲があります。相手にとってもいいことではありますが、自分にとってもよいこと、つまり、自分にも利があるかどうかで、その行為の本質は変わってきます。 利を膨らますために無理をするとか、落ち着くべきところに落ち着かにとか、邪なことはなかったか、そこはとても重要です。

「良い商品」という販売トークがありますが、誰にとって「よい」ことなのか。本当に買い手にとって良いことなのか。 売り手にのみ良いことではないのでしょうか。

良かれと思ってやったのに・・・このセリフの意味はどこにあるのでしょうか。

自分のことも振り返り、これらは大いに反省すべきことなのでしょう。

二兎を追うのは一兎も得ず、相手に利があれば自分はなくてもいいじゃないかの精神。解脱ですか。なかなか、欲は捨てられないものです。

はてさて、禅問答のようになてきましたが、この良かれと思ってやったことに責任はだれが取るのか。どのように跳ね返ってくるのか。それは、本当に良かれと思っているなら、私利私欲がないのであれば、恐れることはありません。

厳しい話ですが、忘れてはいけないことでもありますね。

2012年7月5日木曜日

朝は重要です

活きた時間とは「朝」のことです。本当の朝を持たなければ、一日駄目になるようで
す。昔から優れた人は、早起きでない人はいないと言われています。朝を制する者は、一日を制するでしょうか。

夜型という人がいますね。夜遅くになって仕事が進む人がいます。

朝は、苦手な教科を勉強するのが良いそうです。嫌なことは朝に行うのが良いのでしょう。嫌なことは後回しにしたくなる気持ちはわかりますけどね。

夜は、暗記物が良いそうです。そのまま睡眠に入るので、暗記したことが定着すると言われています。

とにかく、朝早く起きることはいことです。今年は辰年ですから、 朝の7時から9時を指します。この人為はおきているでしょうから、遅くても6時起床が良いですね。できれば5時起床ですかね。

朝を制する者は世界を制するでしょうか。

「早起きは三文の徳」という言葉があります。英語では


The early bird catches the worm.(早起きの鳥は虫をつかまえる)
The cow that's first up, gets the first of the dew.(最初に起きる牛は最初の朝露を吸う)

 というそうです

この言葉の反対の意味は、「長寝は三百の損」だそうです。

徳は三文で、損は三百ですか...

2012年7月4日水曜日

直観と一呼吸

物事を、ある側面だけでとらえていると、どうしても、本質を見落としがちになってしまいます。固定概念で目が曇ることもあります。一つの事ですべてを推し量ろうとすると、これも失敗を招く可能性が高くなります。

 一方、直観重視の考え方もあります。迷ったら、最初に感じたことを優先するという考えもありかもしれません。昔、テストで、答えに迷ったら、最初に思った答えを選択せよと、先生に言われたことがあります。

 ただ、直観、第一印象にこだわるのは良くないでしょうね。これは難しいですね。

 霊性を高めるというのは、何もスピリチュアルの観点だけではなく、物事を見るうえで、直観の精度を高めることにもなるのでしょうか。ちょっと違いますかね。スピリチュアルの人に怒られそうですな。

 物事を、いろんな角度からとらえるということは、現実的な行動から考えると、一呼吸置くことになります。すぐに飛びつくのではなく、いったん立ち止まって冷静になれ、クールダウンということなのでしょう。

 この一呼吸が大事ですね。

 経営者に話を聞くと、この両方の感覚、クールダウンと直感を研ぎ澄ますこと。どちらも長けている方が多いです。それを慎重派と評したり、積極的経営ともてはやしたりしていますが、おそらく、両方の要素をお持ちなのでしょう。

 一見、相反するもののように見えますが、実は根っこはつながっています。それは「経験」の裏打ちの上にあるということです。経験で培った情報を基に、直観による行動に対して自信が生まれます。経験が行動に「待った」をかけるのでしょう。

 「直観」は、成功体験の積み重ねで、「一呼吸」は、失敗例を自らの糧とした結果から生まれるのでしょう。どちらも、今までの生き方から、培われたものです。

 では、経験を大事にするということはどういうことでしょう。

 それは、時間を大切にする考えを持ち、時間を自分のものにすることでしょう。これは、少し熟練が必要で、修行が必要なことです。ある意味、境地に達する感じかもしれません。

 成功におごらず、失敗を素直に省みる勇気を持つことなのかもしれません。何事においても謙虚さが大事なのですね。でも謙虚すぎると、直観が鈍ります。行き過ぎる謙虚さは無礼になるそうですよ。

 あ~難しい・・・

2012年7月2日月曜日

政治の世界にはびこる病弊

政治には四つの病弊があるそうです。古来から言われていることのようですが、今の政治家にも当てはまりそうなことばかりですよ。

 一つ目は「偽」。偽り、うそですね。この表現が面白ろく、小さな嘘はすぐに見破られますが、社会、公共の事になるとだんだん真偽が紛らわしくなるそうです。これを巧みに操るのが政治家のようです。

 二つ目は「私」。かつては政界に出ると私産を失うと言われたそうです。まさにボランティアだったのでしょう。今では、自分のために政治家になる人が多いでしょう。政治家になると儲かるのですからね。政治家をボランティアと思っている人は、だれ一人いないでしょう。

 三つ目は「放」。無軌道、放埓、無礼、無責任を表しているそうです。この表現も面白く、政治家は、礼儀も道徳も、秩序も法律も無視して、自由と権利の下で、勝手放題にやって省みないと切り捨てています。

 四つ目は「奢(しゃ)」。これは贅沢をすること、おごることだそうです。なぜか政治家はいい家に住んでいて、カップラーメンの単価を知りません。とてもとても庶民の生活を理解しているとは思えない人が多いように見受けられます。

 これらを「四患」と呼ばれるそうです。これを巧みに操って政権打倒をもくろむのが、万年野党の行動でもあるそうです。

 これらに関しては、何のコメントもなく、ため息しか出ないのは私だけでしょうか・・・