2011年2月28日月曜日

政治風刺コントを見てきました

 先週の土曜日、永田町の社民党本部にある社会文化会館で、「はだかの王様」という、政治風刺コントがありました。一緒にラジオ番組を行っている、松崎菊也さんのグループのコントです。
 時事の風刺なのですが、今回のテーマというか、終始一貫、政治家の不用意な発言、言葉の軽さを揶揄していました。
 菅総理の、国債格下げ時の「うとい」発言、鳩山前総理の、沖縄普天間基地に関しての「方便」発言が集中砲火でした。特に、鳩山前総理の「方便」に関しては怒り心頭のようで、徹底的にいじっていました。
 マーケットでは、政治混乱は「買い」、民主党安定は「売り」という、外国人投資家のスタンスだそうで、何か皮肉なものですね。ようは、外国関係者は、日本の改革を望んでいます。2005年、40.2%も株価が上昇した時も、郵政解散がきっかけでした。民主党は、もっと大胆な改革を断行することが必要です。はっきりと、社会保障に関しては大きな政府、それ以外は小さな政府と、明確に意思表明すべきだと思いますね。
 私たちは、あまりにも政治に無関心です。「どうせ誰がやっても...」とか「なにも変わらない」とあきらめないで、政治を注視して行くことを続けましょう。日本は間接民主主義ですから、私たちの一票で選んだ代議士により、日本政治が成り立ているのです。また、感情論や、マスコミの重箱のスミ攻撃にさらされないで、客観的に政局を見ることが大事です。
 政治風刺コントは、400人も入る会場ほぼ満員でした。コントから政治に関心を持つこともいいと思います。とにかく、私たちが政治を見放した時に、彼らのやりたい放題になり、日本が滅びます。CMではないですが日本をあきらめないで...

2011年2月26日土曜日

集めて、楽しませて、伝えて、買わせる

 昨日、誠ブログのオフ会に参加しました。その後の懇親会で、たまたま席が同じだった方から、ツイッターの商売の仕方について、いろいろお話を聞きました。その時に教わった言葉です。
 これは、いろいろな場面でも共通に言えることだと思います。人を集めることが大事です。集まる要素が必要です。圧また人を飽きさせない努力が必要です。そこで、正確に自分たちのことを伝える脳食が日長で、最後に、必ず買わせる、お金を回収することが必要です。そうでないとボランティアになってしまいます。
 それぞれの項目で、どうやって成果を出すか、効率よくできるかが問題です。twitterなどの、ネットという手段は、とにかくアップさせて「待ち」の姿勢だから、きっと誰にでもできるような気がするので、、昔みたいに、「集めて」は営業となると、実際に人と接触して行うとなると、二の足を踏むのでしょう。そのあたりの垣根が低くなったことが、ネットという媒体なのでしょう。

2011年2月25日金曜日

12%と0.7%

 GDPに対する金融での収入のウェイトの日米比較です。アメリカが12%で、日本が0.7%です。金融での収入は、金利や配当などになります。
 投資で生計を立てている人に対して、汗水流さず楽して儲けている印象があるようです。あぶく銭という感じなのでしょうか。そうなると、証券会社の人たちはどうなるのでしょうか。投資顧問業の人はどうなるのでしょうか。そろそろ金融業というものを認めていきましょうよ。

 ファイナンシャルアカデミーのイベントが国技館でありました。竹中平蔵氏が講演で、「金融は頭の中が汗をかいている」と言っていました。聞き様によってはいろいろ捉えられますが、投資をする人たちは、すごく勉強しています。世の中の動きにも精通しています。また、いろんなことをよく調べます。勿論失敗もいっぱいして、たくさんの経験をしています。実際にお金を投じて運用していますので、精神面も鍛えられています。

 そろそろ、投資や運用に対しての、今までのイメージを払しょくしましょう。昔は、食卓でお金を話をすると怒られたものです。株でもうければ、黙っていた時代もあります。「あの人株で家を建てたんだって」「あの人配当でピアノ買ったんだよ」と、なにか悪いことをしたかのように後ろ指を指される時代もありました。
 今の日本のトップはサービス業です。楽天やヤフーなど、ちょっと前なら、絶対に受け入れられない世界の人たちです。勿論製造業が土壌を作っていることは間違いないですが、価値観が多様する中、社会構造の変化も鑑み、投資を生業とする世界も認められるようになったほうがよいのでは...
 投資をしていない人でも、景気や株価、あるいは何か良い金融商品はないか気になるようです。投資を生業としている人たちの生態もちょっと改めたほうがよいかもしれません。もう少し社会性を持つことも考えましょう。社会性が持てないから一人でできることを選ぶということもあるでしょう。ITの世界には多いかもしれません。ホリエモンがジーパンにTシャツで公の場に登場することを善しとしない風潮でもありますから、なかなか相互理解は難しいのかもしれません。投資家は引きこもりというイメージもあるのでしょう。
 資産家と呼ばれる、土地持ちの方、親の遺産で食っている人たちは、社会的地位を求めるそうです。町内会会長になるのもそのせいなのかもしれません。名刺、肩書きがほしいそうです。その気持ちも、自分は資産家ではないですが、わかるような気がします。

 いずれにしても言えることは、これからの社会構造の変化、特に社会保障の疲弊が深刻化する中、収入の入り口は複数持つことが大事です。これだけは明らかな事実として受け止めることが必要です。

2011年2月24日木曜日

世の中に「こうあるべき」ということはない

 固定概念がどれだけ不要なもので、なにも生みださない概念か。人の数ほど生き方があり、誰一人同じ生き方をしていることはなく、世の中に「こうあるべき」姿などなく、それぞれの人が思い描くイメージは、違うのが当たり前である。
 男はこうあるべき、主婦はこうあるべき、子供はこうあることが普通などという概念は、人の成長を妨げ、弊害しかねない。「こうあるべき」を標準体とするのは、思考のストップを意味します。それは必ず、万物のバロメーターではないということです。
 またまた哲学的な話ですが、人に「こうあるべき」を決めてもらうことは、非常に楽な感じがします。変な安心があるのでしょう。人と一緒は心地よくなる気持ちもわかります、人と違うことは、何か常に気を張っているような感じがするのでしょう。でも、今以上には絶対になれないことも理解できます。
 かつてこのブログで
     「常識と真理は違う」
          http://cafestyle.blogspot.com/2010/09/blog-post_24.html
 というのを書きました。常識は非常識という科学者の発想も大好きです。
 個性は、組織の中では埋没することがあります。また、迎合が美徳とされることもあります。「和を尊ぶ」はけっして没個性ではないと思います。個性の上手な付きいあい方から「和」が生まれるのだと思います。「和」をつくろうことが、真の団結ではないと思います。
 いやはや、ほんの短いフレーズから、いろんなことを考えます。このブログを書いてていつも思いますが、言葉の持つ力ってすごいですね。

 

2011年2月23日水曜日

即決できる決断力を身につけるには

 古田敦也前東京ヤクルトスワローズ監督の話です。
 キャッチャーというポジションの特性で、瞬時に物事を判断しなければならないことが多くあります。ほんの数秒で、バッターを見て、状況を判断して、ピッチャーにサインを出します。内外野に指示を出します。
 古田氏が日ごろ気を付けていることは三つあるそうです。一つ目は、時間を守る癖をつくことです。限られた時間にいろんなことをジャッジしなければならないので、お尻が決まっているという感覚を常に身につけることが大事だそうです。時間を守るということは自分に厳しくすることにもつながるのでしょう。
 第二に、大勢に影響のないことは即決する癖をつけるということだそうです。例として昼食のメニューを決めることを挙げていました。Aランチ、Bランチ、Cランチがあって、どれにしようか迷うことに時間を使うのはやめよう、今日食べてまずかったら明日違うのを食べれないいという話でした。これは性格もあるのでしょうが、どうでもいいことは意識して即決することをしましょう。
 第三番目は、決めたら一生懸命にすることだそうです。一生懸命やれば駄目な結果でも悔いが残らないというそうです。決めたことに後悔はしないことだそうです。それが大事だそうです。
 さすがに、一時代を気付いた人の経験談は本当にうんちくがありますね。

2011年2月22日火曜日

気にしないことが人を育てる

 臨機応変という言葉があります。これは場当たり的とはちょっと違います。ネット上のgoo辞書には「状況に応じた行動をとること。場合によって、その対応を変えること。▽「臨機」は事態にのぞむこと。「応変」は変化に応じる意。「機きに臨のぞんで変へんに応おうず」と訓読する。」となっています。
 流されるという言葉もあります。「浮き草のように」とか「成り行き任せ」と似ている言葉だそうです。

 自分にストレスをかけない。あまり自分を追い込まないことが、成長の鍵だそうです。ただし、ここで重要なのは、単に流れに任すのではなく、とにかく全力投球して「打たれたらしょうがない」と思えということです。打たれるんじゃないか、ダメなんじゃないかと考える前に、「結果なんて知らん」という開き直りで、ただ一点集中して全力投球するということが大事です。流されるだけでは何も解決しません。のびのびとやりなさいという教えのようです。
 変に力が入ると、実力は十分に発揮されないことがよくあります。緊張は程よい程度は地力以上の隠れた能力を引き出しますが(火事場のくそ力ですかね)、過度の緊張は何も良い結果を生み出しません。ピンチの時は人も同じです。間違いないです。
 緊張をなくすには、日々の努力、練習です。過去にこのブログで同じようなことを書きました。
「力が入りすぎてすぐにでも倒れそう」http://cafestyle.blogspot.com/2011/02/blog-post_10.html
 また、サッカー日本代表の本田圭介の口癖「準備が大事」、準備が完璧ならそこから自信が生まれます。

 とにかくはじめましょう。世の中の成功者は、10人中10人が行動が速いのが特徴です。とにかくやる。無鉄砲ではないですよ。中にはそういう方もおられるでしょうが、やってから修正するぐらいの気持ちの方が案外うまくいくのかもしれませんね。

2011年2月21日月曜日

変化は進化

 昨日、ファイナンシャルアカデミー主催のイベント「お金の教養フェスティバル2011」に参加しました。竹中平蔵さんの講演に始まり、4講演あり、最後が、東京ヤクルトスワローズ前監督の古田敦也氏の対談でした。何をやっても格好いいですね。実績を残した人は、立ち振る舞いから発言から、どれをとっても格好いいです。実績は、成果はその人そのものを変えてしまいますね。
 その中で、恩師野村克也氏から、古田氏が選手時代に言われた言葉だそうです。「変化しないと何も進化しない」これを当時の野村監督は言い続けていたそうです。でも、そうとう強権だったそうで、コーチや選手はピリピリしていたそうです。それも、のちにマネージャーとなる古田氏の、反面教師の部分だったそうです。
 成功例を持っている人ほど、変化を望まないそうです。イチロー選手がシーズン中でも、打撃フォームを変えることは、絶対にありえないことだと、依然何かで聞いたことがあります。彼は、まさに「変化は進化」を地でやっているのでしょう。でも、イチローの場合はぶれない一つの信念のもとで、変化を受け入れているような気がします。
 でも、変化を受け入れないと、いつまでも現状維持で、その場所から抜け出すことはできません。進化する手目には、今よりもさらに高めを目指すためには変化が必要だと、古田氏は述べていました。大半の日本人は、この変化を受け入れないような気がします。その風土を打破することが、何よりも必要なのでしょう。

2011年2月20日日曜日

チャンスは平等、結果は不平等

 ビジネスにおいて、いや、人生において、すごく重要な言葉です。誰にでも起業する門は開かれています。投資をする環境は誰にでも平等に提供されています。誰にでも、大金持ちになるチャンスは十分にあります。でも、その成果は、行動の結果は、人によって異なります。結果は必ずしも平等ではありません。もし、結果が平等であるなら、それは社会主義国です。今の社会主義国家でも、決して結果が平等ではありませんね。
 努力すれば必ず結果が良くなるというわけではありません。効率的な力の入れ方、効率的行動には知恵が必要で、無駄なことにいくら努力しても、非効率は解消されません。しかし、努力は必ず報われます。今まで汗を流したことが無駄だとわかることも、これも立派な成果です。次回の行動の改善点になるからです。努力した人が全員金持ちになる社会は、これはこれで不平等です。一生懸命勉強して努力して、知恵を駆使し、効率的行動を学んだ人にとっては、とてもたまらないことになります。頭が必要です。頭を鍛えることが必要です。
 努力した人にしか奇跡が起こらないのも事実です。世の中、ラッキーはありません。ラッキーを誘い込むのも実力です。それまでの行動や考え方、思考の前向きな改善が生んだ結果です。努力したのに報われないのは当たり前です。努力の仕方が間違っていたと思いましょう。
 人が、成功への方法を教えてくれることは決してありません。すべて自ら学び、自分で考えるものです。人が与えてくれないから、教えてくれないからというのは、その時点で負け組の仲間です。
 チャンスは平等でも結果は不平等です。

2011年2月17日木曜日

顔で泣いて心で笑う

 顔で笑って心で泣いて・・・は聞いたことがあります。やせ我慢のようなものですね。「男はつらいよ」で、寅さんがよく使っている言葉で、変な男の美学のように使われることがあります。
 劇中でも、何作目かで、甥っ子の吉岡くんが後藤久美子が嫁に行くのを妨害した時に、寅さんが、吉岡くんにたしなめていた時のセリフでもあります。そこに、浅岡ルリ子群するリリーさんが、寅さんに「あんたは馬鹿よ」となじります。自分の気持ちに正直になれないのは臆病で卑怯だ。女心が全然わかっていないといわれます。
 最近の男子は、女性に好きだと告白しないそうです。断られるのが嫌だからそうで、その手前で、チャレンジをやめてしまうそうです。逆に女性の方が強いですよね。どうも、若い男子とはそりが合わないようです。
 顔で泣いて心で笑うぐらうでないと男の世は渡れぬは、義母が娘に言っているシーンでしたが、女を武器に、顔で泣いて見せて男を手玉にとって心で笑うグラウでないとだめだという、したたかさを教えているシーンでした。娘の夫の浮気に気づき、知らぬふりをすればよいか、なじった方がよいかの相談の時の言葉です。我慢せずに、嫌なものは嫌だと言えとのアドバイスでした。
 いやはや女は強い。弱いところをわざと見せるしたたかさは、男の場合は、妙なプライドがありますからね。なんか妙に共感してしまいまた。

2011年2月16日水曜日

まいったといわなければ喧嘩は負けない

 私はもともと教師になるのが夢でした。小学校の先生の影響で、その先生が熱血教師で、自分も熱い先生になりたいと思っていました。大学まで、その思いは持っていましたが、大学の教職単位取得の時に、彼女におぼれて、そっちの方が楽しくなり、単位は取らずに、結局教師にはなれませんでした。
 そんなせいか、学校もののドラマには思わずはまってしまいます。ただ金八先生だけはだめでした。私がJTBに在職中、修学旅行担当で、高校の先生とよく話しましたが、みんな「金八世代」と呼ばれる教師らしく、その教師の特徴は、生徒と友達になるという感覚のようで、金八先生が現場の教師をダメにしたと、よく愚痴をこぼしておられました。金八先生は、確かに社会問題を取り上げた内容で、重厚感はありましたが、先生の立ち位置が、私の中では共感できませんでした。教師は生徒と友達でいいのか。同レベルでいいのかは疑問でした。
 いま、小学校では、学級崩壊が問題になっています。モンスターペアレントという、私には到底理解できないやからもいますが、教師の在り方、児童の悩みなど、いろんな要素がからんで学級は崩壊していくのでしょう。モンスターペアレントなるものが学校に生息していることも問題のようですがね。フジテレビでの「スクール」という番組の中での、民間校長と恩師である元校長先生との間での会話でのセリフが「参ったといわなければ喧嘩は負けない」です。心に残りました。民間校長は、くじけずに、難題に立ち向かうのでしょう。参ったとは最後まで言わないというストーリーなのでしょうが、私も絶対に口にはしません。
 学校社会こそ、民間経営者が入るべきだと思います。学校の先生に、ぜひ一般の社会人になってもらうことが大事だと思います。学校という閉鎖社会の常識を打ち破ることが学校を救うような気がします。ただ、学校側だけの問題ではないと思ます。家庭の在り方、親と子の在り方など、問題は根が深いです。今にして思えば、私は学校の先生という、とってつもない大仕事はできない、今の私のようなレベルでならなくてよかったと思います。単位を取れなかったのは、神様が私には無理だと教えていただいたのでしょうか(すいません。言い訳です)。

2011年2月15日火曜日

生きる気合とは

 生きることに気合が入っている人はすごい。この気合とは何か。一生懸命生きるとはどういうことか。志がある人は強いということか。やりたいことがある人が強いのか。
 生きる気合とはなにか。生きることに真摯であることか。
 生きる強さとは何か。生きる目標がある人は強いのか。守ることがある人は強いのか。
 生きる気合なんて、青臭いセリフかもしれませんが、命に真摯であることがすべての要なのでしょう。

2011年2月14日月曜日

固定概念を捨てるのは

 何事にでもそうですが、固定概念を捨てるのは難しいですね。
 きょう、マーケッターという方と打ち合わせをしていましたが、いい意味での裏切りが必要だという話から、逆説切り口はないかなどの流れで、固定概念を捨てるのは難しいという流れになりました。
 何の話かさっぱりでしょうが、こうくればこうなるはずだ、こうなるべきだを裏切る結果に導くことは、すごく重要だということです。
 王道、正道はあり、きをてらすことばかりがよくないこともありますが、常識を破る発想から、なにかが生まれるのではと思います。その、常識にとらわれない、固定概念を捨てることと、今までを否定することは違うのですが、そう捉える人が多く、また、今までを否定することに抵抗がある人が多いのも事実です。
 今回は、なにが言いたいのかよくわかりませんが、とにかく、いい意味での裏切りのエッセンスを磨きたいです。

2011年2月11日金曜日

先の不幸を数えることは不幸だ

 言葉の通りです。「前へ前へとすすむ人は倒れない」という言葉が続きます。先のことをくよくよ考える前に、まずは行動しなさい。リスクを考えてもはじまらない。
 捨て身になり、体を張ることも大事です。頭であれこれ考え、ぬかりのないように考え安全に動くことも大事ですが、ぬかりのない方法は、安全でその場はしのげても、その先にはつながらないものです。
 危険は避ける方法とぶつかって壊す方法があります。時と場合においては、自ら血を流す覚悟でぶつかることも大事です。
 前だけを見て、前へ前へと進む。当然、その責任は自分にあり、自分の内面では血を流すこともあるのでしょうは、とにかく前へ進む、とても重要なことです。

2011年2月10日木曜日

力が入りすぎてすぐにでも倒れそう

 頑張ろう、頑張ろうとして、つい力が入ることってありますよね。握りこぶしをめいいっぱい握って生きている人もいますよね。負けてたまるかの思い、責任感が強すぎて出るときだなど、力が入りすぎて今にも倒れそうな感じです。そんな時には、決して良い結果が生まれないことが往々にしてあります。力を抜いて考えたほうが、名案が浮かぶことがあります。
 そんな時は、わざと、あえて弱音を吐いてみる。恥ずかしいと思うことを口に出せば力は抜けるものです。これでもう倒れることはない。火事場のくそ力以外、力が入りすぎて良い結果は生まれません。スポーツでもそうですよね。
 子供のころの悪戯ををするつもりの感覚で、存分に楽しむ気持ちになれれば問題ないですね。楽しむ感覚はなかなか持てないかもしれませんが、気楽にいきましょう。

2011年2月9日水曜日

理がたちすぎれば成り立たず

 やはり、あるドラマの中でのセリフです。ものの本には、理とは理屈・道理を意味すると書いてあります。この後に「命がけの思いが人を動かす」「理におぼれると心が沈む」と続きます。
 理屈ばかりこねても人の心は動かすことはできない。本気で、命がけで相手と向き合わなければ、なるものもならないと諭しています。捨て身の思いが喜びとも表現しています。
 ものの道理も時と場合には大事です。道理に物事が成り立つのも真理です。しかし、いざという時に、切羽詰まったときに、人の心を動かすのは本気の心、命がけの思いが窮地を救うのです。理は時として邪魔になることがあります。理がたちすぎると成り立たず。理におぼれると心が沈むことになるのでしょう。
 本気の心とは、命がけの思いとはなんでしょうか。

2011年2月8日火曜日

天職と適職は違う

 ずいぶん以前に誰かに聞いた言葉です。魂が求める仕事と、お金を稼ぐ仕事は違うということだそうで、何もスピリチュアルな話ではなく、本当にやりたい仕事と、お金を稼ぐ仕事は違うということです。
 やる意義のある仕事や行動はありますが、お金に直結していないこともたくさんあります。武士は食わねど高楊枝というわけにはいきませんからね。
 それでも、世のため人のために行うことは、まわりまわって、自分にもよいことが巡ってくるものです。因果応報ですかね。
 今の仕事が本当にやりたいことではないといって、簡単にあきらめるのではなく、それが人のためになっているのであれば、まずはとことんやりぬくというのも大事だと思います。転職は決して後ろ向きなことではありませんが、転職の仕方、動機が大事です。
 私も転職経験がありますが、転職により、サラリーマンでの社内競争に背を向けたのは事実です。いまだに、出世している同期たちには心から尊敬します。私はそのレースから逃げ出したのですから。今は自営ですが、あのままサラリーマンを続けていたら、はたして出世していただろうかと考えます。
 人それぞれに、必ず天からの使命があります。それを日頃の仕事で行うのか、違う場面で行うのかは異なります。天職と適職、考えさせられますね。

2011年2月7日月曜日

ワンピースにはまっています

 遅まきながらワンピースにはまっています。もうずいぶん前から世間ではワンピースブームのようですが、今更ながら感動しています。昔のワンピースを知らないので、登場人物の相関関係がよくわからないので、なぜこうなったのかという背景もわからないですが、それでも十分楽しめます。
 インターネットを駆使して、なんとか過去のストーリを埋めようとはしていますが、何せここまで50巻以上も単行本が出ているので、なかなか全容はつかめません。
 芸能人でもワンピースマニアが多くいるとか。サラリーマンの飲み屋での会話も、特に若者は政治よりもワンピース、文学よりもワンピース、歴史よりもワンピースという感じです。
 電車の中で、若いサラリーマン同士の会話で、「あの先輩は七部海側の人だね」とか「あの上司はエロエロに身を食べている」などの会話が飛び交っていました。
 毎週日曜日が楽しみになってきました。いい大人がとは思いますが、おもしろいです。

2011年2月5日土曜日

どうにかしたいことがあったら人は何とかするもの

 これは、今の大河ドラマ「江」の中の、信長の言葉です。江が信長に、家康の正室と長男を殺させた真意を問いただした時に、「秀吉にねねを殺せと命じたら、許しを請うか、自分が死ぬ」と言い、「家康は頭がよいので考えての行動」と江に諭した。そのあとで、「妻の代わりに死ぬ男を決して手放さない。自分の命で身内にまで手をかける男を決して裏切らない」と続けます。
 上司と部下、人と人との関係なのでしょうか。何やら奥が深すぎて、最も人の生き死にが題材となっているせいでもあり、すっとは心に落ちませんが、考えさせられました。
 ただ、その中で、人は追い詰められたら、何とかしなければならないと真剣に考えたら、必ず何とかするものだということが、心に響きました。すごいセリフです。でも、それを信長は人に押し付けているということですからね。人をその状況に追い込んでいるということになります。人を試しているのかと疑われますね。すごい試し方ですが。
 歴史上、大河ドラマなどでも、織田信長という人物はこのように描かられることが多く、実に興味深い人物です。信長は本当は優しい人だ、天下布武というお題目を唱え、平和を願うなど、人間的な面を前面に出すとらえ方と、神をも恐れぬ極悪非道を前面に出すとらえ方と、ドラマの構成によって異なりますが、単に、事実だけで織田信長という人物を見てみたいと思います。そこで自分は何を感じるのかに興味があります。
 戦後や幕末、いつの時代も乱世に使命を持って生まれてきた人の生きざまには、本当に興味がそそられます。

2011年2月4日金曜日

トップが駄目だと、材料がよくてもだめ

 ファンドマネージャーがよく言っていますが、当たり前の言葉なのですが、どんなに業種が上向きで、その流れに乗ったいい材料を持ていても、それを動かす人間が駄目なら、企業業績は上がらないとのことです。
 ファンドマネージャーは、多くのお金(ファンド)を動かしています。どこの企業に投資するか(株を買うか)で、お金を増やすか減らすかの、両極端な結果を生み出します。それだけ、銘柄選択には慎重になります。単にデータだけで判断するのではなく、直接、企業トップにインタビューして、投資するかどうかを判断します。企業は人が動かしているということです。
 ある企業ですが、セクター(業種)では、非常に伸びているところですが、社長が株好きで、積極的投資がやりすぎているところがあり、案の定、同業他社との業績の格差は広がり、株価は伸び悩んでいます。
 トップが駄目ならすべてがダメだ。ITが進んでも、最後は人間が大事です。

2011年2月3日木曜日

俺はお前を信じている

 長友選手がイタリアに旅立ち、ザッケローニ監督もイタリアへ一時帰国。これで、あの興奮したサッカーアジアカップから、いよいよ次の感動を求めることになるのでしょう。
 監督と選手とのコミュニケーションが話題を呼んでいます。次々と、監督選手間の会話の内容が明らかになっていますが、GK川島がミスをして失点した後の試合で、ザッケローニがかけた言葉が「俺はお前を信じている。」だそうです。くぅ~泣けますね。こんなことを言われて奮起しない人はいませんね。
 サブの選手たちにも「困ったことはないか。必ず出番はある。」と言い続けたそうです。こんな上司だったら仕事バリバリ働きますね。上司にしたい人ナンバーワン間違いなしですね。
 言葉は大事です。言霊ともいわれ、言葉が出すエネルギーはそれはすごいものです。マイナスのメッセージは、本当に凶器ともなりえます。それだけ言葉は重要です。褒めるばかりが能ではないですが、言葉が秘めるパワーは大事にしたいものです。
 オーストラリア戦前日にザッケローニ監督が本田選手にかけた言葉「あすはプレーするのではない。勝つんだ。」もう格好良すぎます。

2011年2月2日水曜日

成功は約束されていないが、成長は必ず約束されている

 ザッケローニ監督が、選手たちに語っていた言葉だそうです。選手とコミュニケーションを大事にする監督で、まさに名言がいっぱいです。 控えの選手にも心配りが凄く、必ず活躍する場がめぐってくると言い続けていました。
 この言葉も、選手にやる気を与えてくれるものですよね。結果は、いろんな要素が絡みます。実力がなければ運はめぐってこないし、努力した人にしか運はやってこないですが、約束されているものではありません。しかし、努力は、直接の結果ではないにしても、必ず報われます。

2011年2月1日火曜日

批判されて本物

 アメリカに渡ったときに感じたイチローの言葉です。
 「おまえはすごい。ぜひ一緒にやろう!」という褒め言葉ばかりだったそうで、まさにリップサービスです。でも、イチローが感じたのは、褒める時より批判された時が本物だということだそうです。
 確かに、どうでもいい人に対しては、無難に接するようにしますが、本当に考える相手には、苦言も呈したくなりますが、それは相手への期待の表れでもあります。ましてや、一流選手にとっては、批判は、まさに最高の評価なのかもしれません。
 でも、批判を評価と受け止める精神も凄いことです。それは、自信の裏打ちがあってのことなのでしょう。

 批判されて本物です。批判もされないようではダメということなのでしょうか。批判されるというこよは、批判対象をよく理解しないとできないことですからね。