2012年5月29日火曜日

骨力というのがあります

骨力というのがあります。骨力とは、人生の矛盾を和らげる力だそうです。
世の中は矛盾だらけです。私たち人間は、魚や鳥を貯めて生きていますが、魚や鳥獣は、人間に食べられるために生きているわけではありません。そもそもそれが矛盾だということだそうです。宗教的に、動物を食べないというのもあるくらいですからね。

その矛盾に対して包容力がないと実に生きづらいです。この包容力が重要のようです。

矛盾に対する包容力、忍耐力、反省力、調和力、そういうものを骨力というそうです。

安岡正篤翁の言葉です。

矛盾は常に付きまとうものです。ただ、清濁併せのむということとは、ちょっと違うのかもしれません。真っ正直も大切ですが、融通が利かないのも困ります。あれっ、これもちょっと違うかな。

骨力の中には、たくさんの要素が含まれていますから、どれも正解なのでしょう。

2012年5月27日日曜日

本物と偽物

本物と偽物の見分け方、これは人に対してのことですが、実に簡単に表現しています。

 本物の人物とは故い友人(古い友人)を持っているものほど本物で、絶えず新しい友人をあさって歩くものは、それが順境(物事が都合よく運んでいる境遇)にあるものほど偽物だそうです。

 ある本で見つけたのですが、実に真相をついているものだと、心から思いました。

 近年多くの成功者と言われる人で、すぐに消えていった人たちは、まさに、会う人会う人、大きなネタを持ってきて、それがことごとく、いろんな人とのめぐり合わせの中で成功していくのですが、実は付き合いが浅く、去っていく速度も速いという感じです。

 この順境と言いう言葉に、その通りと叫んでしまいました。この偽物の定義は、絶対に覚えておいた方がいい内容ですね。

 話はコロッと変わってしまいますが、私がまだ十代のころ、ある人に聞いた話を思い出しました。それは本物の男の見分け方です。

 女性の前でどんなに紳士で優しくても、レストランなどでウェイトレスさんに偉そうな態度をとる人は偽物だということでした。 簡単な見分け方は、ウェイトレスさんが食事を運んできたときにさり気なく「ありがとう」と言える人は信用できるらしいです。

 また、男の見分け方は、同性に好かれているかどうかという話もありました。男に嫌われている男はだめだということだそうです。

 古い友人か...生まれ故郷を離れてずいぶんになりますが、今や年賀状のお付き合いだけですし、自分に古い友人がいるのかどうか。なんかさみしくなってきましたね...

2012年5月24日木曜日

人間の本質とは何か、ちょっと哲学的ですが・・・

人間の本質とはなにか。まさに哲学的な話ですが、そもそも本質とは、これがなければ存在しないもの、これだけは絶対になくてはならないもの(こと)です。
人間が人間としてあること、それは、人間らしさであるようです。う~ん。まだよくわかりませんね。哲学はそれを追求するために生まれてきたようなものですから、そう簡単い答えを導き出せるものではありません。

そもそもギリシャ哲学は、万物の本質を探究することから始まっています。「アルケー」と呼ばれる根源、根源的原理の探求が、いろんな思想を生んでいます。哲学の祖である、ミレトスという街のタレースは「万物のアルケーは水である」と説いています。
話が難しくなってきましたが、この人間のアルケーとはなにか。
古武道では、人間であることの本質的要素を、心が明るい、清い、汚れがない、人を愛する、人を助ける、人に報いる、精進する、忍耐するなどの特性こそが本質だと説いています。
人間が人間であることは、自分自身を戒め、人に愛を注ぐものなのでしょう。
また、本質があるということは、それに付随するものあります。それは知恵と技能だそうです。大事なものではありますが、程度の差はあり、本質的なものではないということだそうです。あるにこしたことはないというもので、より大切なことは、本質を磨くための良い習慣であり、良い習性をもつことだそうです。

なるほどね。昔の人はいいことを言いますね。無を形にするのが言葉で、哲学は、その言葉を大事にしているようです。

私の心に残っている哲学者の言葉は「無知の知」、かのソクラテスの言葉ですね。知らないから一緒に勉強しようの精神です。知らないことを知ることは楽しいですよ・・・

2012年5月23日水曜日

過去を学んで未来へ生かす、歴史は繰り返す・・・

歴史は繰り返すと言いますが、ファッションも流行もそうです。それは政治も経済も同じです。

歴史をなぜ学ぶのかという問いに、小学校の恩師が「過去を学んで未来へ生かす」と答えておられましたが、まさに、歴史は人類の経験が凝縮されていて、その後の出来事も学ぶことができます。過去はこうなっていたということが、事例としてわかるのが歴史です。

ところが「喉元過ぎれば熱さ忘れる」というのも人類の歴史そのものなのかもしれません。歴史は繰り返すとは、うまく言ったものですね。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」 これは、ドイツの、鉄の宰相と言われたビスマルクの言葉です。自分の失敗だけでなく、他人の失敗を参考にすることが大事ということだそうです。確かに、時として、経験は邪魔になることがあります。経験値が高い人ほど、判断に迷うこともあります。それは慎重ということで言いう変えることもできますが、改革に乗り出せないという表現もできます。物事には両側面があるということですね。

当然、立場によってものの考え方は異なります。多くの従業員を抱える経営者は、ものごとに慎重にならざるを得ないですし、 かといって、小さな会社は、イケイケどんどんで切り開くしか生きるすべはないという判断もあります。

歴史は、なにも、戦国時代にまでさかのぼらなくても、近代における経営者の言葉、著名人、思想家の言葉の中にも、大きなヒントは隠されていると思います。父母、祖父祖母の教えも重要ですね。

わたしは小学校の卒業式の時に、校長先生に言われた言葉を今でも覚えています。
「克己」と言う言葉です。これは「私欲を克服して天理に復帰すること」だそうですが、かつての五千円札の肖像であった新渡戸稲造氏によれば「心の安らかさを保つ」と言う意味だそうです。

私は「己に克つ」の「かつ」と言う音を、勝手に「勝つ」と解釈し、自分自身に勝つことだと理解して、この言葉を大切にしてきました。誤解もまた真なりですかね・・・

過去を学んで未来へ生かす。だから歴史が大好きなんです。

2012年5月22日火曜日

間違った四つの思想

昨日は思考の三原則を書きましたが、また面白い言葉を見つけました。「四つの誤り」だそうです。

 今の世にはびこっている思想には、間違った四種類の思想があるそうです。

 第一は「詖辞(ひじ)」 偏った議論。
 第二は「淫辞(いんじ)」 でたらめな議論
 第三は「邪辞(じゃじ)」 胸に一物を持って言う邪(よこしま)な理屈
 第四は「遁辞(とんじ)」 責任回避の逃げ口上

 だそうです。これは孟子の教えです。

 どれもこれも良くわかります。ようは、広い見地で、自分の意見で、素直に、損得なく、言ったことに責任を持つことですか。う~ん。ちょっと違うかな。知ったかぶりは良くないですね。これもちょっとちがうか~。

 でも、「詖辞」は、いろんなところで出くわすことはありますね。これは聞く側も拒否できそうです。「淫辞」は、分かる人にはわかるのでしょう。騙されないようにしないと。「邪辞」は、相手にばればれですよね。「遁辞」は、これもわかりそうな感じがします。こういう時はやたら多弁になっていますからね。

  人間は弱いもので、知らず知らずのうちに、この4つの誤った思想を持ちがちなのでしょうか。改めて、言葉にしてみると、うんうんと言いたくなります。今の政治家に聞かせたいですね。政治家に限らないですが、悪いことのたとえに政治家が使われること自体、良くないですね。

2012年5月21日月曜日

思考の三原則

安岡正篤翁の言葉に「思考の三原則」というのがあります。物事を考えるときに、それが特に難しい問題であればなおさらで、いつも三つの原則に基づいて考えるそうです。

まず一つ目は、目先にとらわれないで、できるだけ長い目で見ること
第二は、物事の一面にとらわれないで、できるだけ多面的に、できれば全面的に見ること
そして第三は、何事によらず枝葉末節にとらわれず、根本的に考えること

以上が「思考の三原則」です。

目先だけでみたり、一面的に考えたり、枝葉末節からだけで見るのと、長期的、多面的、根本的に考えるというのとでは大変な違いであると指摘されています。つまり、その結果がまったく正反対ということになるそうです。

物事が煮詰まると体を動かせと言われたこともあります。部屋の掃除をしたり模様替えをするのもいいそうですよ。ちょっと話の流れからそれましたかね...

難題にぶつかったときこそ、この三原則に立ち返ることだそうです。どうしても目の前の事象にとらわれることがあり、それで思考が堂々巡りすることがよくあります。とにかく物事のとらわれないことです。宇宙から地球を見る感じを、いつも心がけることが大事です。

この「思考の三原則」も日頃の習慣づけが大事です。習慣が人を作り育てます。常に意識して、この三原則にたって物を見る習慣をつけることが、初めて教えを会得することになりますからね。聞くだけ、感心しているだけではダメですね。

2012年5月16日水曜日

宗教と神様と、そしてお金と...

 You Tube で、ずいぶん懐かしい映像を見ました。それは、田原総一郎氏司会のテレビ朝日「朝まで生テレビ」の番組で、「なぜ若者は新興宗教にはまるのか」という内容の番組でした。幸福の科学とオウム真理教が登場していて、大学教授や作家の方が討論していました。

 地下鉄サリン事件前の話で、ちょうど、幸福の科学がフライデーに抗議のデモをしていたころのようでした。出演者には、当時、小川知子さんと幸福の科学の広告塔であったた景山民夫氏(故人)や、哲学者の池田晶子さん (故人)、評論家の西部邁氏などがいて、実にみんな若かったです。オウム真理教からは麻原彰晃死刑囚や当時の幹部であった上祐史浩現ひかりの輪代表、村井秀夫氏(故人)も出演していました。今から考えれば実に「濃い」メンバーです。

 宗教の在り方について、長時間にわたり討論をしていましたが、池田さんが言っていた「神は自らが作ったものでは」との問いかけに、実にかみ合わない議論が繰り返されていました。客席には、新興宗教の方々もいて、司会者の「なぜこの宗教に入ったのか」の問いに対して、必死で自分たちの主張を展開するという、何ともちぐはぐな空気が広がっていました。司会の田原氏が、宗教は、理想と現実の両側面を持っていて、現実の世界では、他宗派を否定するもので、決して受け入れないという台詞が印象的でした。

 当時の社会問題は、若者が妄信的に新興宗教を信じることで、現実社会を捨てて入信していくことでした。一人の老人の自宅に若い女性が何人も同居しているなんてこともありました。若者は何をよりどころにして新興宗教に入っていったのでしょう。何が彼らをそうさせたのでしょう。

 私の古い友人で、オウム真理教に入信して、熊本波野村で子供を預けて離れ離れになっていて、サリン事件後に手紙をくれたのですが、そこには「何が真実なのか」と書かれていました。 数珠を下げた彼ら親子を電車で見送ったことを思い出しました。それが彼らとの最後でしたが、その風景を思い出してつい涙してしまいました。

 宗教に関して、それぞれの神の考え方をここで論じるつもりはありません。映像を発見し、改めて、神の存在って何かなと考えただけです。

 ただ、今でも確信していることは、宗教にお金のにおいがしたら、それはもはや、神様とは関係ないということです。それは宗教団体ではなく営利団体であり、今でいう「ファンド」と同じです。お金儲けはまさに業であり、現世の欲の話です。
 法の華三法行という、静岡の足裏診断のグループがありましたが、多額のお金、これも絶妙な2~300万円ですが、それを支払うのは腹くくりの業であると言って、入信の覚悟を表すんものだと言っていました。これは詐欺でよく使う手で、何千万の資金融通するから、その根回し費用として、先ず数百万払いなさいというのと同じです。

 スピリチュアルの世界と金運は別物です。金運が上がるなんてふれこみは、そもそもがおかしいものです。お金を稼ぐことはあくまでも現実の世界で、運気でお金がめぐってくるものではありません。運がよくなり仕事のチャンスが来たということはあるでしょうが、それは日頃の努力の成果であって、運も実力のうちです。大事なのは、そのチャンスを生かすも殺すも己次第ということです。西に黄色のものを置いても金持ちにはなれません。

 もともとお金は黄金輝き、純粋なもので、人の欲が絡んで不純になっていくのだと聞いたことがあります。心を鍛えると、おのずとお金が寄ってくる、お金を使てもいい心の持ち主のところにお金は回ってくるというのです。では、いわゆる悪人と呼ばれる人のところにお金は廻ってきますけど、それはどうなるのでしょうか・・・
 前段のお金は純粋で、使い方次第で、純にも不純にもなるのはよくわかります。

 スピリチュアルの世界ではお金が物事をはかる単位ではないということなのでしょう。やはりスピリチュアルの世界とお金を稼ぐことは別なのでしょう。

 なんかだんだん堂々巡りのようになってきましたが、お金を稼ぐことは決して悪いことではありません。このセリフではいつも、村上世彰氏が記者会見を思い出します。確かに、お金を稼ぐことは何も悪いことではありません。それが運用であれ、投資であれ、何ら問題はありません。額に汗して稼いでいないという批判は、私はあまり納得していません。

 それにしても懐かしい名前ばかりで、考えたら、高度成長期があってバブルがあって、バブルがはじけて新興宗教が出てきて、ホリエモンや村上ファンドが登場して、江原さんや美輪さんが出てきて・・・今は何なのでしょうね。

 お金をどう使うかによって、その人の評価が分かれるのでしょうか。お金を良い方向に使う心を養うことはいいことです。私はそうありたいです。 その前に稼げってか・・・