2012年5月16日水曜日

宗教と神様と、そしてお金と...

 You Tube で、ずいぶん懐かしい映像を見ました。それは、田原総一郎氏司会のテレビ朝日「朝まで生テレビ」の番組で、「なぜ若者は新興宗教にはまるのか」という内容の番組でした。幸福の科学とオウム真理教が登場していて、大学教授や作家の方が討論していました。

 地下鉄サリン事件前の話で、ちょうど、幸福の科学がフライデーに抗議のデモをしていたころのようでした。出演者には、当時、小川知子さんと幸福の科学の広告塔であったた景山民夫氏(故人)や、哲学者の池田晶子さん (故人)、評論家の西部邁氏などがいて、実にみんな若かったです。オウム真理教からは麻原彰晃死刑囚や当時の幹部であった上祐史浩現ひかりの輪代表、村井秀夫氏(故人)も出演していました。今から考えれば実に「濃い」メンバーです。

 宗教の在り方について、長時間にわたり討論をしていましたが、池田さんが言っていた「神は自らが作ったものでは」との問いかけに、実にかみ合わない議論が繰り返されていました。客席には、新興宗教の方々もいて、司会者の「なぜこの宗教に入ったのか」の問いに対して、必死で自分たちの主張を展開するという、何ともちぐはぐな空気が広がっていました。司会の田原氏が、宗教は、理想と現実の両側面を持っていて、現実の世界では、他宗派を否定するもので、決して受け入れないという台詞が印象的でした。

 当時の社会問題は、若者が妄信的に新興宗教を信じることで、現実社会を捨てて入信していくことでした。一人の老人の自宅に若い女性が何人も同居しているなんてこともありました。若者は何をよりどころにして新興宗教に入っていったのでしょう。何が彼らをそうさせたのでしょう。

 私の古い友人で、オウム真理教に入信して、熊本波野村で子供を預けて離れ離れになっていて、サリン事件後に手紙をくれたのですが、そこには「何が真実なのか」と書かれていました。 数珠を下げた彼ら親子を電車で見送ったことを思い出しました。それが彼らとの最後でしたが、その風景を思い出してつい涙してしまいました。

 宗教に関して、それぞれの神の考え方をここで論じるつもりはありません。映像を発見し、改めて、神の存在って何かなと考えただけです。

 ただ、今でも確信していることは、宗教にお金のにおいがしたら、それはもはや、神様とは関係ないということです。それは宗教団体ではなく営利団体であり、今でいう「ファンド」と同じです。お金儲けはまさに業であり、現世の欲の話です。
 法の華三法行という、静岡の足裏診断のグループがありましたが、多額のお金、これも絶妙な2~300万円ですが、それを支払うのは腹くくりの業であると言って、入信の覚悟を表すんものだと言っていました。これは詐欺でよく使う手で、何千万の資金融通するから、その根回し費用として、先ず数百万払いなさいというのと同じです。

 スピリチュアルの世界と金運は別物です。金運が上がるなんてふれこみは、そもそもがおかしいものです。お金を稼ぐことはあくまでも現実の世界で、運気でお金がめぐってくるものではありません。運がよくなり仕事のチャンスが来たということはあるでしょうが、それは日頃の努力の成果であって、運も実力のうちです。大事なのは、そのチャンスを生かすも殺すも己次第ということです。西に黄色のものを置いても金持ちにはなれません。

 もともとお金は黄金輝き、純粋なもので、人の欲が絡んで不純になっていくのだと聞いたことがあります。心を鍛えると、おのずとお金が寄ってくる、お金を使てもいい心の持ち主のところにお金は回ってくるというのです。では、いわゆる悪人と呼ばれる人のところにお金は廻ってきますけど、それはどうなるのでしょうか・・・
 前段のお金は純粋で、使い方次第で、純にも不純にもなるのはよくわかります。

 スピリチュアルの世界ではお金が物事をはかる単位ではないということなのでしょう。やはりスピリチュアルの世界とお金を稼ぐことは別なのでしょう。

 なんかだんだん堂々巡りのようになってきましたが、お金を稼ぐことは決して悪いことではありません。このセリフではいつも、村上世彰氏が記者会見を思い出します。確かに、お金を稼ぐことは何も悪いことではありません。それが運用であれ、投資であれ、何ら問題はありません。額に汗して稼いでいないという批判は、私はあまり納得していません。

 それにしても懐かしい名前ばかりで、考えたら、高度成長期があってバブルがあって、バブルがはじけて新興宗教が出てきて、ホリエモンや村上ファンドが登場して、江原さんや美輪さんが出てきて・・・今は何なのでしょうね。

 お金をどう使うかによって、その人の評価が分かれるのでしょうか。お金を良い方向に使う心を養うことはいいことです。私はそうありたいです。 その前に稼げってか・・・