2011年4月8日金曜日

まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 「袖刷りあうも多生の縁」という言葉の意味を、このブログでも紹介しました。「たしょう」は「多少」ではなく多くの生、つまり前世です。袖が触れ合うといいことは、前世で何かの関係があった、偶然は必然ということですな。
 
 「情けは人のためならず」も、使われ方は間違っていて、情けをかけることは相手にとって良くないという意味ではありませんね。むしろ人に情けをかけましょう。人のために情けをかけるのではなく、巡り巡って、自分にもよいことが返ってくるから、積極的に人には良くしてあげましょう。人のためではないですよ。自分のためですよと説いた言葉のようです。

 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。

 私がある人に教わったことですが、情報は与えて初めて帰ってくるといわれました。大きなたらいに水が入っていて、自分の側だけが切れていて、その下にバケツが置いてあると想像してください。その水をより多くバケツに入れようとするとみんなはどうするでしょう。一生懸命、手を広げて、あるいは指の隙間をなくして、手前にかいて、バケツに水を集めようとしますよね。これでは多くの水をためることはできません。
 逆に、両方の手をくっつけて向こうに押し出すのです。すると、水は向こうの壁にぶつかって、周りをつたって、手前の切れ目からバケツにいっぱい水が入ってきます。 

 つまり、一生懸命抱え込もうとするよりも、相手にいっぱい与えることで、巡り巡って自分の懐にも帰ってくるというのです。与える情報が良質であればあるほど、戻ってくる水は透明できれいなものだそうです。
 
 まずは与えよう。与えれば必ず自分に返ってくる。