2011年11月21日月曜日

お金の欲求と精神世界は別

スピリチュアルとお金の世界は別です。金運アップとか、お金持ちになるとかありますが、必ずお金持ちになるわけではありません。そもそも欲と精神の世界は相反するものだと考えます。  そもそもお金は清いものだといわれています。「金」は光り輝くもので、むかしから聖なるものの象徴でもあります。お金に汚れがついてくるのは、人間の欲がまとわりつくからです。  精神を鍛える、こころを清らかにすることは、自然と、聖なる「金」が集まる心を養うことなのでしょう。そして、その心がお金を呼ぶのだと考えます。お金がありすぎると不幸になると言われたりもしますが、それは、お金の魔力に振り回されているのでしょう。その魔力に打ち勝つ清い心が、お金を持つ人には必要だということになるのでしょう。それがスピリチュアルの世界の考え方です。  「西に黄色」とか、「金運神社参拝」などがありますが、それだけでお金持ちになるのなら苦労はしませんよね。しかし、世の中で成功している実業家の方々や多くの社長さんたちは、どこかで、このスピリチュアルの世界とかかわっています。お金を稼ぐのは実社会、つまり人の技量であり手腕で行います。ただ、お金が稼げることへの感謝の心で精神世界と向き合っているのでしょう。自らの研さんでお金を稼ぎ、稼ぐことを感謝し、社会に貢献することで、事業に成功しているのだと思います。  金持ちになるとのふれこみで、精神世界を説くのはいかがなものか。修行により、お金を取ることは言語道断です。