安岡正篤翁の言葉で「四十・五十にして聞こゆるなきは畏るるに足らざるのみ」というのがあります。思わず笑ってしまった言葉です。
世間的に地位や名声がなくても、自分の環境の中で、あるいは自分を取り巻く小さな世界の中だけでも構わないので、そこで、自分の名が聞こえてこないようではだめでと言うことだそうです。おるのかおらぬのかさっぱりわからないような存在ではだめですよと言っています。
少しできた人間なら、世間はともかくとして、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえてくるものだと説明しています。面白いですね。
この言葉の後半の「畏るるに足らざるのみ」は、安岡翁が付け足した言葉のようです。
名を天下にはせる欲望はなくてもいいが、せめて、親戚・縁者の中だけでもいいから、名を知られる、一目置かれる存在であるべきだということでしょう。「いいおじさん」と言う表現で評価されてもいいそうですよ。
こうも書いています。
大小問わず、どこかでやっぱり聞こえなければ、四十・五十になった値打ちがない。
いい年をして、家に帰っても女房・子どもから嫌がられる、そんなことでは人間はダメである・・・
はたして自分自身はどうでしょうか・・・頑張ろう・・・