2012年6月25日月曜日

真剣と浮気

法然上人の言葉に、このタイトルの「真剣と浮気」についてのものがあるようです。

 真剣と浮気は正反対である。適切な例を引けば恋愛を考えるがよい、真剣に恋する女はわが恋人以外の世間の男一般は皆一向につまらない。一くねり世間の男を白眼視するようでなければ誠の恋ではないのである。

 この境地と相反するもが軽薄者です。

 無心に一人の人を信ずること、それは小児が親を頼るのと同じともいっておられます。

 ここまで言われて浮気をするとなると、それはまさに邪か鬼だと言われんばかりの迫力です。

 ある本には、恋愛は、どのような人を好きになるかは自分の人格と密接な関係があると書いてあります。自分という人物相応の相手に恋をするものだそうです。人は恋愛によって自分というものがあらわになると表現しています。

 と言うことは、恋愛において浮気をするということは、まだ自分探しをしているということなのですかね。自分探しとなると、きれいに聞こえすぎですか。

 一つの事に真剣になれることは素敵なことです。真剣と浮気、なにも恋愛の場面だけに限られた言葉ではありません。

 一生に一度、何もかも捨てて、一つの事にすべてをささげることができる、そういったことに巡り合えるということは、幸せなことなのかもしれませんね・・・