2011年2月16日水曜日

まいったといわなければ喧嘩は負けない

 私はもともと教師になるのが夢でした。小学校の先生の影響で、その先生が熱血教師で、自分も熱い先生になりたいと思っていました。大学まで、その思いは持っていましたが、大学の教職単位取得の時に、彼女におぼれて、そっちの方が楽しくなり、単位は取らずに、結局教師にはなれませんでした。
 そんなせいか、学校もののドラマには思わずはまってしまいます。ただ金八先生だけはだめでした。私がJTBに在職中、修学旅行担当で、高校の先生とよく話しましたが、みんな「金八世代」と呼ばれる教師らしく、その教師の特徴は、生徒と友達になるという感覚のようで、金八先生が現場の教師をダメにしたと、よく愚痴をこぼしておられました。金八先生は、確かに社会問題を取り上げた内容で、重厚感はありましたが、先生の立ち位置が、私の中では共感できませんでした。教師は生徒と友達でいいのか。同レベルでいいのかは疑問でした。
 いま、小学校では、学級崩壊が問題になっています。モンスターペアレントという、私には到底理解できないやからもいますが、教師の在り方、児童の悩みなど、いろんな要素がからんで学級は崩壊していくのでしょう。モンスターペアレントなるものが学校に生息していることも問題のようですがね。フジテレビでの「スクール」という番組の中での、民間校長と恩師である元校長先生との間での会話でのセリフが「参ったといわなければ喧嘩は負けない」です。心に残りました。民間校長は、くじけずに、難題に立ち向かうのでしょう。参ったとは最後まで言わないというストーリーなのでしょうが、私も絶対に口にはしません。
 学校社会こそ、民間経営者が入るべきだと思います。学校の先生に、ぜひ一般の社会人になってもらうことが大事だと思います。学校という閉鎖社会の常識を打ち破ることが学校を救うような気がします。ただ、学校側だけの問題ではないと思ます。家庭の在り方、親と子の在り方など、問題は根が深いです。今にして思えば、私は学校の先生という、とってつもない大仕事はできない、今の私のようなレベルでならなくてよかったと思います。単位を取れなかったのは、神様が私には無理だと教えていただいたのでしょうか(すいません。言い訳です)。