2011年2月24日木曜日

世の中に「こうあるべき」ということはない

 固定概念がどれだけ不要なもので、なにも生みださない概念か。人の数ほど生き方があり、誰一人同じ生き方をしていることはなく、世の中に「こうあるべき」姿などなく、それぞれの人が思い描くイメージは、違うのが当たり前である。
 男はこうあるべき、主婦はこうあるべき、子供はこうあることが普通などという概念は、人の成長を妨げ、弊害しかねない。「こうあるべき」を標準体とするのは、思考のストップを意味します。それは必ず、万物のバロメーターではないということです。
 またまた哲学的な話ですが、人に「こうあるべき」を決めてもらうことは、非常に楽な感じがします。変な安心があるのでしょう。人と一緒は心地よくなる気持ちもわかります、人と違うことは、何か常に気を張っているような感じがするのでしょう。でも、今以上には絶対になれないことも理解できます。
 かつてこのブログで
     「常識と真理は違う」
          http://cafestyle.blogspot.com/2010/09/blog-post_24.html
 というのを書きました。常識は非常識という科学者の発想も大好きです。
 個性は、組織の中では埋没することがあります。また、迎合が美徳とされることもあります。「和を尊ぶ」はけっして没個性ではないと思います。個性の上手な付きいあい方から「和」が生まれるのだと思います。「和」をつくろうことが、真の団結ではないと思います。
 いやはや、ほんの短いフレーズから、いろんなことを考えます。このブログを書いてていつも思いますが、言葉の持つ力ってすごいですね。